第25話 ネゴシエータークマちゃん

 温かいルークの胸元で目が覚めたクマちゃん。


 又、夢を見ていた気がする。

 ――白い場所、誰かに……鏡? 忘れないでと言われた気がするが、もう忘れてしまっている。

 残念だが仕方がない。


 もぞもぞしていたら、目が覚めたルークが大きな手でふわりと頭を撫で、長い指が目元にそっと当てられた。

 きっと昨晩泣いたことを気にしてくれているのだろう。

 

 ありがとうという気持ちで彼の指をキュムとつかみ、そのままふんふんしていると、指がお鼻を、トン、とさわって逃げていってしまった。



 ルークが今日クマちゃんに選んでくれた服は、昨日より少しだけ豪華さが抑えられた、黒と銀色のリボンだ。

 これなら短い髪のクマちゃんでも着こなせる。

 クマちゃんはうむ、と深く頷いた。

 

 何故か何度も頭をさすり「痛い……」と呟いているリオは、今日は肯定的ではない声を出さないらしい。


 クマちゃんはルークに身支度をしてもらっている最中、ふと、鏡を確認し――

 可愛いクマちゃんが映っているのを確認した。うむ。



 酒場へ下りた彼らが席に着くと、すぐにウィルが合流した。

 南国の青い鳥のように派手な男が「おや」とクマちゃんを見る。


「今日はいつもの髪型に戻したのだね。短い髪の君も、とても素敵だよ。リーダーとおそろいの衣装も、良く似合っているね」


 いつものようにゆるりと透き通った声は、クマちゃんの最先端ファッションを褒めてから「ところで」と切り出した。


「リオはどうしたの? 頭が痛いの? なんだか今日の君はいつもより静かなのではない?」

  

 南国の鳥は座ってからも「痛い……」と頭をさすっている元気の無いリオの心をカカカカカとクチバシでつついた。

 

「別になんでもないし……」


 なんでもなくは無さそうなかすれ気味の声が小さく呟く。

『別に』と言う人間が本物の『別に』な人間であることは、椅子と間違えて知らない人の膝に座ってしまう人間くらい少ない。


 実は昨夜クマちゃんが寝たあと、ルークが『泣かせんじゃねぇ』と言い、リオは『はい。分かりました』

と合点する前にコツンとされたのだが、ギルド最強の男のコツンは洒落にならないレベルのコツンだった。

 もしも彼の出身の町でクソガキどもにあれをやって叱っていたのだったら、親に訴えられることを心配するレベルである。


 滅多に怒ることのないルークに、コツンをされた初の人間が自分であることをリオは知らない。



「クマちゃん。まじ俺が悪かったからその顔やめてくんない? なんか傷つくんだけど」


 リオは自分が悪いとわかっていても、言わずにはいられなかった。


 立入禁止区画へ移動する最中。

 ルークに抱えられたクマちゃんと、可愛いクマちゃんを見ていたリオの目が合った。

 突如大きくなる目。もふっとあけられた口。

(え、なにそれ)思った瞬間彼はハッとした。


 ――まさかあれは、きらいなにおいを嗅いだときの猫の顔――。


 視線が交わるたびに繰り返される〈きらいなにおいを――〉

 クマちゃんはつぶらな瞳で愛らしくルークに撫でられているときでも、リオと目が合うだけで、小さな黒い湿った鼻のまわりのもこもこをふくらませ、口を開けっ放しにした。


 威嚇の声を出されないだけマシだろうか。


「君が悪いよ。もしも僕が急に、君の頭をつかんで丸刈りにして床へ叩きつけて『君にはその格好がお似合いだよ』って言ったらいやでしょう?」


 イカレ鳥男ウィルがリオに尋ねる。

 発言内容に心がざわつく表現があるのは、彼も怒っているからだろう。

 いつもより口調が優しくない。


(例えが具体的すぎる)リオは思ったが、

「……嫌だ」小さな声で呟くだけで、目を合わせようとはしなかった。


 これ以上このイカレ鳥を怒らせたらあの壁みたいにされてしまう。


 

 程なくして三人と一匹は奥の部屋へ到着した。

 視線でクマちゃんを確認した意外と可愛いもの好きのマスターが椅子に座ったまま尋ねる。


「なんだ。今度は元に戻ったのか。例の効かない薬の効果は一日だけだったか?」 


 それは今のリオには触れられたくない話題だ。

 クマちゃんがまた、きらいなにおいを嗅いだときの猫の顔を彼に向けている。


「……わかった、その話はいい」マスターが何かを悟り、こめかみを揉む。

(大方、昨日の会議でルークが居ない隙にクソガキが勝手に切ったんだろ)彼は思ったが、誰も幸せにならない話題を打ち切り、仕事の話に戻った。


「昨日の会議で決まった事だ。冒険者が例の飲み物を買う時の話だな。まずは、店の中に職員を置いて購入者のリストを制作する。ギルドカードを使用し記録を取る正式な物だ。不正は出来ない。回復薬が使用されれば、ギルドに通知がくる。瓶がよそに持ち出された時もだ。回復薬の使用後、瓶が返却されない場合職員からの警告が行き、警告を無視すればギルドから厳しい処罰がある」


 マスターは一度言葉を切り、視線を少し落とした。

「基本は罰金だが、今回は額がなぁ……」曖昧に呟き悩むように顎髭をさわっている。


「処罰って罰金? あの瓶の額って決まったの?」


 正体不明の素材で出来た、この世のどんな宝石より希少で、光がゆらめき、何度も色が変化し、キラキラと輝きがこぼれ落ちていく、いつまで見ていても飽きることのないあの、牛乳が入っている瓶。

 人間の欲望を掻き立てる為に存在するような、美しい、あの、牛乳が入っている瓶に値段が付いたというのだろうか。  


「……値段なんて付けられるわけねぇだろ。あんなもん、一つだけでも国宝なんかよりよほど高価だろうよ」


 マスターが渋い声でぼやく。

 嫌そうに片目を顰めて足を組むと、ため息をついた。


「ギルドの回復薬用のガラス瓶に、中身を移してはいけない? あの瓶なら持ち逃げされても問題ないのではない?」


「お前らは怪我しねぇから問題ないだろうが、光る瓶に入ってる時の方が薬効が高いとわかっていて、盗難防止の為にそれを下げるのは本末転倒だろう。怪我したやつらにとっては、瓶よりも中身の効力に意味があるんだ。そもそも、この白いのは酒場で出回ってる噂を耳にしたから、店を建てたんだろうしな。純粋にあいつらの心配をしただけで、瓶の価値がどうたらと人間共が揉めることなんて、考えてすらいねぇだろうさ」


 当然会議でも同じ話題がでた。一応中身を移してみたが、やはり瓶を変えると薬の効果は下がった。

 見るからに特別な瓶なのだからなんの効果もない方が不自然だろう。


『ギルドの回復薬が足りないらしい』


 噂と聞いてすぐ、三人の頭に冒険者たちが不安そうに話していた姿が浮かんだ。


「まぁ大丈夫なんじゃない? リーダーが大事にしてるクマちゃんの物盗むバカ、流石にいないでしょ」


 ルークが大事にしているクマちゃんの毛を無理やり刈ったバカが言う。


「じゃあ、僕は『購入者リストはリーダーも目を通すよ』って皆に教えてあげることにしよう。そのほうが安心できるのではない?」


「ああ、そうして貰えると助かる。悪いな」


 ウィルからの提案に礼を言ったマスターは(クライヴにも頼んどくか――)クマちゃんを可愛がる吹雪のような男を思い浮かべた。

 

 皆が真面目に話しているあいだルークは、クマちゃんがリオに向けている〝きらいなにおいを嗅いだ時の猫の顔〟の、もふもふと膨らんでしまった部分を撫でていた。

 


 皆が森の調査へ行ってしまった。

 少し扉をカリカリしてしまったクマちゃんだったが、やらなければいけない事を思い出した。

 瓶を作るために魔石がいるのだった。


 ――マスターと交渉しなければ。


 

 カリカリを止め、ヨチヨチとマスターの足元へ忍び寄るクマちゃん。

 察知した彼はすぐにもこもこを抱き上げた。


「ん? 扉はもういいのか」


 もこもこしている生き物を優しく撫で、彼が尋ねた。

 膝を征服し立ち上がったクマちゃんが、スッと肉球を伸ばし、机を物色する。


 仕事の手を止め、可愛いクマちゃんを眺めていたマスターは「なんだ、絵でも描きたいのか」と笑っていたが、ピンク色の肉球付きのもこもこの手がペンを持ち、重要書類にそれを突き立てた瞬間に、


「待て待て待て待て、落ち着け、それから一旦手をはなせ」


全く落ち着きのない様子で、もこもこの不吉な行動を阻止した。



 肉球を確保されてしまったクマちゃんは「これなら書いていい。他はだめだぞ、もっと欲しかったらやるからな」渋い声の監視者に質素な白い紙を渡され、仕方なくそちらに書くことにした。


 簡単に〝元気になる飲み物の瓶を作るのに魔石が欲しい〟と書けば伝わるだろう。

 うむ、とひとつ頷き、もこもこの手を動かす。


「変わった絵だな……。随分ぐにゃぐにゃしてるが……」


 達筆すぎたのだろうか。何故か伝わっていないようだ。

 不思議に思い机に置いてある書類の文字を確認してみるが、クマちゃんの字と変わらない。ここの国の文字だ。


 もっと大きくないと読めないのかもしれない。


 短い方が伝わるだろう。魔石、と書けばいいだろうか。「おいおいおいおい、書くのは紙の上だけだ。机はだめだぞ」なんだか周りがうるさいが集中して丁寧に書こう。

 クマちゃんは腕をめいっぱい動かし文字を書く。


「…………ま? もしかして、文字か? でかすぎるだろ……いや、白いのが文字を書いているだけでも凄いことなんだが……」 


 最初の字は伝わったようだ。やはり小さくて見えなかったのだろう。

 うむ、と頷きながら作業を続ける。

 紙が足りない。もこもこの手を伸ばし、周りの紙を集めながら二つ目の文字を書いた。


「……せ? なんで一文字書くだけで四枚も使うんだ……」

 


 マスターは知らない。

 これからクマちゃんが〈げんきになる のみものの びんを つくるのに ませきがほしい〉と一文字ずつ丁寧に書くために、大量の紙と時間を使うということを。

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