第24話 捕われの美の化身クマちゃん

 現在ルークに抱えられているクマちゃんは、難しいお話をしているマスターたちを眺め、これは――と感じていた。

 ――クマちゃんのサラサラの被毛をルークが指でサラサラしている。

 彼も美しいクマちゃんを気に入ってくれたようだ。

 


 いま起きた出来事に驚いていたマスターは、変貌した外仕事の男を「これは」と眺め顎髭をさわり、言葉を探している。


「……思ってた以上、なんてもんじゃねぇな。もし今知り合いに会っても気付かれねぇか、他人の空似だと声すら掛けないですれ違うだろうよ」 


 そういって少し間を置き、


「他に変わった所はあるか。二人共、痛みはどうだ」


まだ驚きから抜け出せない二人へ声を掛けた。



 料理人の男は先程までの棘がすっかり抜けたような顔で、

「……ええと、オレは、さっきは確かに痛かったはずなんですがね」考えるように話し出した。


「今はどこも痛くもねぇし、ずっと、疲れて怠くて苛々してたはずなのに、そんなの最初っからなかったみてぇに、なんつうか、たくさん寝て一番調子がいい時、っつう感じですかね」


 外見の変化は肌艶が良くなったのと表情が明るくなったくらいだ。

 だが試飲前の不機嫌そうなようすと違い、今の彼は陽気な料理人という風体だ。

 体の痛みからくる不快感が消え、荒んでいた精神面が改善されたのだろう。


「俺も、……あんなに腰が痛くて、曲がったまま、回復薬を飲んでも、もう治らないと思ってたのに……」


 外仕事の男性は途切れ途切れに語り、自身の腰に手をやり瞳を潤ませている。

 痛みが取れ曲がっていた腰を伸ばした男はそれきり黙り込み、続きを話さない。

 それでもここに居る者達には、彼の伝えたかった言葉が理解できた。



 彼らの話を聴き考え込んでいたマスターが、真剣な表情のまま口を開く。


「やはり回復薬と違って、痛みだけでなく疲労にも効くみてぇだな」


 見たところ、緑の液体を飲んでもルークのように魔力が馬鹿みたいに上がるということは無いらしい。

 基本となる魔力が小さければ世界征服が出来そうな人間が量産されるという問題は起きないだろう。

 通常回復薬というものは曲がったまま状態が固定されてしまった骨などは治らない。


 今回の試験の結果がこれなら、過去回復薬でも治せなかった傷をもつ者たちの希望となるに違いない。


 

 秘境にある洞窟のような、澄んだ空気の漂う神秘的な室内で、悪魔は言った。

 

「リーダー。今日は俺がクマちゃん風呂入れていい? ギルド会議呼ばれてるんでしょ?」


 美の化身クマちゃんが開発した元気になる飲み物の販売と、欲望を掻き立てる瓶の件でマスターから呼ばれているルークは怠そうに、悪魔へ視線を流す。


「……めんどくせぇ」


 守護者は低く呟くと、自らの手で――美の化身を悪魔へ差し出した。


 クマちゃんは今から己の身に降りかかる災いに気付くことなく、美しい被毛をサラサラと靡かせ、つぶらな瞳で、自身を抱いたまま滑らかに儀式の間へと移動する悪魔を見上げていた。


 

 悪魔による残虐で卑劣な行為で、美しく輝いていた被毛はその長さを失い、散らされていった。

 美の化身の心の悲鳴は誰にも届かない。




 すべてを失い、ただの可愛いもこもこに戻ってしまったクマちゃんは、心に深い傷を負い、ベッドの上で丸くなり打ち拉がれた様子で、いつも自分を癒やしてくれるルークの帰りを待っていた。


「そんな悲しむことないじゃん、絶対そっちのがかわいいってー」


 悪魔は悪びれることなく、犯行に使われた凶器をしまっている。

 強い冒険者らしく、切れ味のいい鋏と、刃物を扱う高い技術で簡単にもこもこを元の長さに戻していく手並みは恐ろしいほどだった。

 普段笑顔の絶えない彼が、無表情で美しい毛を刈っていく姿は、他の人間が見ても恐怖を感じたかもしれない。



 クマちゃんは悲しくてしかたがなかった。

 大好きなルークが何度もその長い指で梳いてくれた、サラサラの美しい髪が、全部無くなってしまった。

 こんな短い髪では、今朝ルークが着せてくれた、彼の色合いとそっくりな黒と銀の豪華なリボンが、似合わないに違いない。


 クマちゃんは泣いた。

 それは、子犬が母犬を求めて泣くような、聞くものの胸を締め付ける声だった。 

 たった一度だけの鳴き声は、悲しげに、空気に溶けて消えた。



「どうした」


 部屋のドアが少しだけ乱暴に開かれ、無駄に色気のある声が響く。

 普段あまり音を立てない彼にしては珍しい。 

 彼のベッドの上に、丸くなっているクマちゃんがいる。

 ルークは長い脚でもこもこへ近付くと、気遣うように抱き上げた。


 会議が終わり、まっすぐ部屋に戻ってきた彼の耳に入ったのは、初めて聞く、クマちゃんの悲しい鳴き声だった。

  

 もこもこは丸まったまま顔を見せようとしない。

 彼の長い指が顎の下を優しくくすぐり、顔をあげさせる。

 つぶらな可愛い黒い瞳から、ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちてゆく。


 綺麗な雫を親指でぬぐった彼が、


「切られたのか」


短く尋ねた。


 いつも通りの低く美しい声。理解したリオ。


(やべー!!! めっちゃ切れてんじゃん! マジこえぇんだけど! 俺ここで死ぬんじゃね?)


 冷や汗が止まらない。だが謝らないわけにもいかない。

 

「リーダーごめん。短いほうが可愛いと思って……」


 言い訳じみている。

 そう思いながらも、これが彼の本心だった。

 他に言いようがなかった。


「こいつは望んでねぇだろ」


 ルークは元美の化身をあやしながら告げ――

 いつも冷静な彼にしてはめずらしく、リオをぶっ飛ばそうかと思った。


 だが奴がぶっ飛び泣いたとしても、泣いているもこもこの気が晴れるわけでもない。

 

 腕のなかではもこもこがぽろぽろと涙を流している。

 ――洗い過ぎは良くない。

 思いつつ、ルークはベッドから立ち上がり、涙を流すもこもこを一緒に風呂へ連れていくことにした。


 

 暗くて静かな夜の森、のような部屋の中。

 リオは緊張からくる疲労で死んだように眠っている。


 反対側のベッドで横になりながら、クマちゃんはルークに優しく撫でてもらっていた。

  

「おまえはそのままで良い」


 ルークは口数が少なく、考えが表情にほとんど出ない。

 それでも、クマちゃんの髪型がどうであっても可愛いと思ってくれていることは伝わった。


 それなら髪が短くても良い、とクマちゃんは思った。


 きっと自分は長い髪になりたかったわけでなく、ルークに可愛いと思われたかっただけなのだ。

 彼がクマちゃんの長い髪を梳いているとき、少しだけ目を細めてくれたのが嬉しかった。

 サラサラな手触りを、喜んでくれているように感じた。


 でも、彼がどちらでも可愛いと思ってくれるなら、髪の長さのことで泣くのはもうやめよう。


 彼の温かく長い腕に囲われたクマちゃんは、大きなルークの手にやさしく撫でられながら、まだ少しだけ悲しい気持ちを胸にしまい、黒いつぶらな瞳を閉じた。

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