第2話 接触

加速ヘイスト


 エレナは自身に魔法を掛けた。自身の身体能力の限界を大きく上回る敏捷性を一時的に得る魔法は、エレナに文字通り超人的な移動速度を授けてくれる。

 その速度で、エレナは丘陵を飛ぶように駆け下った。周囲の景色を視認できなくなるほどの速度は、洞窟の中を走っているようにエレナには見えた。それもほんの一瞬のことで、息を付く間も無く、目の前には眼下に見ていたあばら家が迫った。

 内部の惨状を分かった上で、エレナは一切の躊躇なくあばら家に空いた破穴やれあなから内部へと飛び込んだ。

 エレナは『接続コネクト』していた間に見ていた景色から推測したあばら家の間取りを頭の中に描く。エレナが踏み込んだのは、先に接続していた部隊長と他三人が踏み込んだ南側の破穴……恐らく在りし日には玄関になっていたであろう朽ちた板戸から、そう離れていない南西寄りの壁である。部隊長を含め四人、西側から突入した三人を含めると七人が、この近くで『目標』に接触した。そして、餌食となった。『冥風ナイトウインド』の異名を持つ、あの男の。

 エレナは腰に手を回し、そこに佩いた短剣ダガーを抜いた。本来、騎士団に所属する騎士の得物は、ほぼ九割が騎士剣と呼ばれる片手剣であるが、エレナはこの掌ほどの刃渡りの得物を好んだ。それはエレナがかつて所属した騎士団にあっては一般的な騎士団の比率の真逆となる、ほぼ九割が短剣の使い手であったことに起因する。

 闇が深い。夜ではあるが、屋外では感じなかった暗闇に、エレナは敢えて目を凝らした。そうしていると、次第に闇に目が慣れる。これもかつての所属騎士団で教わったことだった。エレナは夜目が利く。

 もう殆んど闇の影響は受けない足取りで、エレナはあばら家の中を歩いた。踏み込んだ一室から、隣の一室へ。そうしてさらに隣へと移ろうとした時、強烈な鉄臭がエレナの鼻腔を突き刺した。

 分かっていながら、エレナはその臭気が充満した方向へ視線を向けた、部屋と部屋を繋ぐ廊下だったであろう空間に、黒いものが横たわっていた。ひとつ、ふたつ、みっつ。そこまで数えて、エレナは飛び退って部屋の中に身を引いた。

 次の瞬間である。エレナが立っていた廊下への出入口付近で、何かが切り裂かれる音がした。と思った時には、出入口と辛うじて分かる形をしていた壁が斜めに砕け散った。

 


加速ヘイスト!」


 エレナは再び自身に魔法を掛けた。自身の身体能力を超える動きができなければ、あの男……『目標』を捕らえることはできない。


「……誰かと思えば」


 闇が口を利いた。

 エレナがそう錯覚した刹那、闇がエレナに襲いかかった。

 素早く振るわれた刃がエレナの首筋に迫る。それをはっきり捉えたエレナは、逆手に握った短剣で受け、弾いた。

 闇はそのように回避されることを予め分かっていたかのように、エレナが弾いた反動さえも利用して、更に速度を増した一撃を、エレナが武器を握った逆の腕目掛けて放ってくる。これもエレナには見えていた。冷静に弾いて、もう一歩身を引く。

 だが、仮にエレナが『加速』の魔法を自身に掛けていなかったら、一撃目で死んでいた。この男の短剣技は、魔法の力に頼らなければ相対することすらできないほど、速い。

 そのまま三度、打ち合ったエレナと闇は、四度目の交錯の後、闇が身を引くことで間合いを置いた。


「腕を上げたな、エレナ・メイディメス」


 闇が笑った。

 暗闇の中で相手の顔は分からなかった。だがいま、この男が、目標が、闇が、冥風が、どんな笑みを作り、笑っているのか、エレナには見えずともわかった。声の抑揚、息遣い、気配。それら全てが、視覚に頼らずともエレナに男の感情を理解させる。いや、思い出させる、というべきなのだろうか。思い出の中の彼が、こういう感情の時にはどんな顔をして笑うのかを想像させる。そしてそれは、確認するまでもなく正しい。正しいと分かるのだ。


「……魔法も掛けずに対峙して、よく言う」


 こっちは魔法を使ってやっと互角だ。


「それが分かるなら、帰ってもらえないか。そして国王陛下に伝えてくれ。『もう追うなと言ったはずだ』と。それに」


 男の声に戦闘意欲は感じられず、だからと言って手にした刃を納める様子もない。いまなら見逃すが、こちらの返答次第では次はない、と伝えていた。


「お前を使って情に訴えたいところだろうが、おれがそういう人間でないことも、伝えておいてくれ」

「わたしだって、好きであなたの捕縛任務を受けた訳じゃない」

「……なるほど、人質か。国王とその周囲が考えそうなものだな。誰だ?」

「母と、弟」


 なるほど、と言って男は、構えを解いた。


「エリクスは、元気か」


 エリクスはエレナの弟の名だ。男は弟とも面識がある。がなければ、いまでも当たり前に言葉を交わす間柄だったはずだ。それどころかそれ以上の……親族のひとりとなっていたはずだ。

 結局、が全てを変えてしまった。それは誰に聞かずとも分かる。分かっている。分かっていながら、こういう立場でものを話すしかない自分に、エレナは苛立っていた。


「いまは。でもわたしがあなたを捕縛できなければ、冤罪を作られて投獄される」

「奴らならやるだろうな。。それで……」


 男は手にした刃……エレナと同じ刃渡りの短剣を腰の鞘に納めながら問う。


「おれはエリクスと母上をお守りすればいいのか? それとも……」

「事は、わたしだけの問題ではないの。だからわたしはこの任務を受けた」


 単に母と弟が国から追われる立場になるというのであれば、エレナにも考えはあった。考えもその力もあるのが、いまのエレナだった。

 しかし、男を捕縛する目的に、国王とその臣下の目的に、エレナは理解を見出だしてしまっていた。

 それが問題だった。


「……聞こう」


 長い付き合いだ。エレナの一言一言に含まれた、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう。男がエレナに従う意思を示した。

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