あたしの不幸
ばらばら、ばらばら、ばらばら、ばらばら。
ぱらぱら、ぱらぱら、ぱらぱら、ぱらぱら。
じぐざく、じぐざく、じくざぐ、じくざく。
ちくたく、ちくたく、ちくたく、ちくたく。
真っ白に形を歪ませたパズルの欠片は、既に。
もう手遅れだった。
初めから。
産まれる前から。
すべての欠片が違っていて。
揃うはずもなかった。
一人以前の問題。
ただのひとりごっこ。
父と暮らし始めた。
厳密には父と、新しい母とだった。
新しい母はあたしを笑顔で迎えてくれた。
まっすぐにあたしを見てくれた。それでもあたしは目を合わせられなかった。目というか、現実を、か。逃げ出すという選択肢がどこにもなかった。
母を選べばよかったのか、なんて思ってしまったりもした。
何を今更。
ほざいているのだ。
…………。……。
母の。母を狂わせた愛というものが心底見えなくなり、期待して求めて守り続けてきたものが崩れた。そういう感覚がこの瞬間も襲い続けていた。
それは実感し、痛感した。
何を見れば、何を信じれば、何に縋ればいいのかが、分からなかった。
母への最上の愛のお返し。
テレビや本で見た、答えたら返してくれる、返したら答えてくれる。
等価交換。
そういう仕組みが嘘だと思ってしまった。
こんなにも、守って求めて。
得られたのはこんなにも。
実態もない得体もしれないもの。
なんて、虚しいのだろう。
そんなことを思っていて、視線も定まらない。そんなあたしに新しい母はいう。
可哀想に、と抱き締めて涙を流して。
つらかったよね、いたかったよね、大丈夫だった。どれも心配の言葉ばかり。
そして特に響いたのは可哀想だった。
それと、不幸。
ずっと一人で寂しかったでしょう。
寂しくなんかなかった、母がいたから。
ずっと押し付けられてきたでしょう。
何を?愛嬌、礼儀、約束?
押し付けられたなんて烏滸がましい。
あたしが勝手にしたことだ。
ずっと我慢してきたでしょう?
何も、なかった。
あの微笑みが嬉しかっただけ。
貯めるものなんて、母からのあの微笑み以外何もない。
ずっと幸せじゃなかったでしょう?
不幸だって。あたしの、今までを。
今まで、あたしの全部。
求めて努力して守り切って。
壊れて、外れた。
……………………。
あたしは幸せじゃなかったの?
あたしのあの微笑みへの嬉しさは嘘だった?
植え付けられた、育てられた、言われたからしたことだった?
あたしは寂しかったの?
あたしは。
あたしは。
あたしは、家族が欲しかった。
揃えて、笑って、喜んで。
絵本みたいな幸せな物語を、求めていた。
あたしが主人公でみんなに愛されて…………愛?
………………愛はよくわからなくなったから。
もう、いいから。
次は何をすればいい、その答えはまだ分からない。
けれどその頃あたしは悩んでいた。次に進むために、何をするか、何を求めるかに葛藤していた。幼いながらに必死に考えて考えて、坩堝に、入った。
「ーーーーーーはい、よろしくおねがいします」
そうしてあたしは空離州二羽になったのだ。
まず、あたしは新しき暮らしに順応してみることにした。
あの頃と同じ、父や新しい母の顔色を窺い、守るべきことを決めてみる。異性とは遊ばないは例外でも、暗くなる前に帰るは心配はされたけど、連絡をくれれば大丈夫と言ってくれた。
新しい母はよく気にかけてくれる。
専業主婦なので基本的に家におり、二羽が帰宅してからは読書以外のときは常に目の届くところに居た。よく、話しかけてもくれた。
優しい。
優しいが、母と同じで怒られたことは一度もなかった。
だから不安になった。
怒られてみようと思った。だけれど悪いことをしようとしても、悪いことが分からなかった。
それでも約束とは反対のことをした。
暴力などは手を付けなかったが、ものを壊したりだとかをした。新しい母はそれでも怒らなかった。何でこんなことをしたの、とは聞かれても無言を貫いた。それでも母は少し悲しそうに笑うのだ。
母のあの少し怖い微笑みとは違う、もっと嫌な感じだった。
ある夜、夜中に目が覚めてふらりと廊下を徘徊していた。
その時父と新しい母の寝室に灯りがついていることに気がついて、意味もなく気配を殺して近づいてみた。
新しい母の優しい声とは打って変わった甘く艶めかしい喘ぎ声、あの時母を見捨てた父の心からの言葉みたいな甘く優しい声。
軋み音とともに唇を噛み締めて、あたしはその場を去った。
その行為をあたしは知っていた。
母がよく自慢気に語っていた。
今思えばあれも母を狂わせた求愛行為の一種でより加速させた薬物なのかもしれない。
毒、薬物過剰摂取。
母はきっと父の無責任でさえも愛したのだろう。否、誰でも良かったのだから何でも許せるのだろう。全てが愛を増幅させる。蔑みの視線や言葉、犯罪的な行動でさえ、母にとっては愛なのだろう。
……………そうか。
さっきの新しい母の悲しげな笑いは憐れみだ。
あたしがそういう環境にいて育ったから悪いことをしても仕方がないって、可哀想な子だから優しくしないとって。
あんな母親とあんな父親の子供なのだから下手に刺激したら暴れるかもって、思われていたのかもしれない。
妄想でもいい。
片鱗でもそう思われたのなら、
あたしはーーーーーーーーーー許せない。
あたしは幸せだった。
そう、幸せだった。
母の薄い微笑みがあれば生きていける。そう思っていた。
でもそれを狂わせたのは父だ。
父とそんな父にした新しい母だ。
父が改心しなければあの生活は続いていた。いつかは答えてくれていたかもしれない、それ以上の微笑みを求めるあたしが努力して満たされ続ける。母も薄い微笑みを浮かび続けられる。あたしが、愛を知らなくて済む。そんな、生活。
否。
そういう話ではなかった。
あたしは今、何を思っているか。幸福だとか不幸だとか、寂しいとか可哀想だとか関係なしに何を思ったか。それは一辺倒に変わらないひとつだげ理解してみた。
恐怖。
それが永遠と残り続けているあたしの重さ。
母を狂わせた愛。
父を改心させた愛。
愛によって世界は成り立っているのかと思うほどあたしの周りはそうだった。物語では友情も恋もあるっていうのに、そう単純にことが運ぶこともなく停滞するばかり。後退とも言えるこの生活にまた愛が増えた。
新しい母が出産したのだ。
決まってあたしは放置され始めた。
新しい母は気にかけても赤ん坊の方に手が多く回るのは必然で、段々とその視線は、存在は、あたしの周囲から消えた。
あたしは何も感じなかった。
只々一人の時間が増え、父も次第にあたしの名前を呼ばなくなった。父も新しい母もその赤ん坊ばかり。そんな毎日を送り、再度寝れない日があった。この時、誰も見ていなくとも約束は守っていたし悪いことはしなかった。
いい子で、いた。
そうすれば、とかすかな期待を懐いてのことかもしれない。名前を呼ばれることは母でなくても嬉しい。優しくされるのは怖いけれど、嫌いじゃないから。
それでもこの胸に空いた穴は、重さは消えない。
「ーーーーーー」
リビングからだ。父と新しかった母の声。
「そろそろ二羽ちゃんを親戚に預けないか?」
「…………………え、となんで?」
平然と乗り出した話題はあたしのこと。
新しかった母は虚をつかれたみたいに不思議と驚愕が混じっていた。
「ーーのことで大変だろう?丁度親戚に子供を欲しがってる不妊症の夫婦がいたはずだ。こっちも楽になるし、あっちも幸せだ。なにより二羽ちゃんのためにも」
「二羽ちゃんのため?別に、私は大変だなんて思ってないよ。ただ面倒見きれていないし、構ってあげられないのが心苦しいだけだもん」
投げやりなのか、本音。構わず父は残忍な言葉を吐く。
新しかった母が取り乱し、顔が曇るのは当然に思えた。
「それだよ。別にかまってあげられなくてもいいんだ。二羽ちゃんは元々一人の時間が多かった子だ。今まで構ってきたのが返って邪魔だと思われているのかもしれないからな」
「………っ、それは無責任にもほどがあ」
「だって二羽ちゃんは何より俺の子じゃないんだ」
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