Variation

 透先輩は頭をうったらしく、最低一週間は絶対安静で入院することになってしまったらしい。家族以外は会えないそうで、病院にお見舞いには行けない。ただ、ラインの返事は返ってくるので、ちゃんと意識はあるみたいでほっとした。ラインでは、念のための入院だ。元気だから大丈夫だよ、心配しないで。長谷川さんは自分の踊りに集中してね、と優しい言葉が連ねられていた。

『ちせ、脚が上がっていないよ』

 タツヤの不機嫌そうな声に、我に返る。

『全然集中できていないじゃないか。ずっと上の空だね。そんなに城山透が気になるのかい。もう大丈夫だって返事も来たんだろう?』

 確かに通る先輩が心配なのは大きい。私が集中できない理由の半分はそれだ。あとの半分は……

「……ねえ、タツヤ。透先輩の事故、タツヤのせいなんじゃないの」

『えっ』

 鏡の中の世界に私を連れて行ってしまうような不思議な力を持つタツヤだ。透先輩に嫉妬した彼が、先輩に怪我を負わせることなんて簡単にできるんじゃないのか。

『何を言ってるんだ、ちせ』

「……自分が舞台に立てないからって先輩に怪我させたり私に八つ当たりするのは、やめてよ」

『な……ちせだって、僕のレッスンが無かったらプリマ・ドンナになんてなれっこないくせに!』

 タツヤが、言ってしまってから、あ、と小さく声をあげた気がするけど、私も止まらなかった。

「わたしはタツヤがいなくても練習できるもん!! そもそも別に頼んでレッスンしてもらってたわけじゃないし! 透先輩に怪我させるタツヤなんて最低! 大っ嫌い! 二度と現れないでバケモノ!」

 私は鏡に背を向けて、部屋から飛び出して逃げるように走った。




 翌日から、私はレッスン後に残らず急いで変えるようにして、タツヤと合わないようにした。彼に叩き込まれたレッスンはもう身体に身についたのだから。タツヤがいなくなったって、なんの問題もない。

 そう思っていたのに、タツヤがいなくなったその日から、私の踊りは急に精彩を欠いたものになってしまった。なんだか、タツヤに出会う前よりもヘタになってしまったようだ。

「長谷川さん動きが遅い!」

「す、すみませんっ!」

 宮田先生の厳しい声が飛んでくる。

「長谷川さんどうしたんだろ……白鳥の演技はあんなに良かったのに」

「やっぱりたまたまだったんじゃない?」

「火事場の馬鹿力ってやつ?」

「シッ聞こえるでしょ!」

 残念ながらひそひそ話はバッチリ聞こえている。事実なので私は何も言えなかった。身体が、鉛のように重かった。 

 白鳥の湖公演から7日後。つまりタツヤが消えて6日目。レッスンが終わったあと。スマホに通知が来ていて、今日から面会できるようになった、という先輩からのメッセージが届いていた。迷惑じゃなければ一緒に話したい、と、書いてあった。それを見て、タツヤのことは私の頭から吹き飛んだ。

 これから先輩のお見舞いに行こう。何を持っていったらいいのかな? ていうかもしかして病室で二人っきり? どうしよう、もしも二人きりの病室で告白とかされちゃったら……なんて、浮かれた妄想を抱きながら、私は先輩へのお見舞いの品を選びに花屋さんへ走った。


※  ※  ※

 ……ちせが、会いにこなくなった。

 ガランとしたスタジオ。誰もいない空間で、大鏡には部屋に存在しない黒髪の少年がうっすらと透けて映っている。

『ちせ……どうして』

 どうして顔を見たりしたんだ。自分は、ただ彼女がこのバレエ団のプリマ・ドンナになる夢を一緒に叶えたいと思っただけだったのに。彼女が踊ってくれたら満足だったのに。

 …………いや、本当にそうか? それで本当に満足なら、何故こちらの世界に彼女を誘い込んだ?

 本当の望みを、自分はちせに伝えていない。自分自身ですら蓋をしてきたのだ。

 ちせに触れたかった。鏡越しではなく、面と向かって言葉をかわしたかった。ちせと一緒に踊って、彼女と一体になりたかった。……欲が、出た。自分が不相応な望みを抱いたから、ちせが自分のマスクに触れて顔を見ることになり、怖がった彼女が、離れていってしまった……結局自分のせいじゃないか。

「ちせ……」

 嫌われていてもいい。二度と笑顔を向けてくれなくてもいい。罵倒されてもいい。

 もう一度だけ、彼女に会いたい。

 タツヤは自分の手を見つめた。以前より自分の色が薄くなっている。残された時間は、もう少ない。



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