カレーライス

口羽龍

カレーライス

 美沙は10年前に夫を亡くした。それ以来1人暮らしだ。寂しい日々で、近隣との交流も少ない。


 美沙には32年前まで岳弥と言う名前の息子がいた。だが、岳弥は夢で対立して、家を出た。その夢とは、漫画家だ。


 岳弥は今から50年前に生まれた。美沙の最初の子供であって、深い愛情で育てた。週末はいろんな所に行き、家族のきずなを深めた。


 だが、岳弥は漫画家になろうとしていた。幼少期から絵が得意だった岳弥は、高校を卒業したら漫画家になろうと思っていた。すでに漫画界では名が知られていて、上京して漫画家になる事を勧められていた。


 だが、両親は反対だった。こんなのでやっていけるのか心配だと言われた。もっとまともな仕事に就けと言われた。だが、岳弥の考えは変わらない。


 そして、高校の卒業式があった夜、岳弥は夜逃げをして東京に旅立った。両親は周辺を探したが、岳弥は見つからなかったという。それ以来、岳弥は故郷に帰ってきていない。


 去年、美沙はがんに侵された。余命1年だと言う。その余命はもうすぐ終わる。いつ死んでもおかしくない頃だ。がんに侵されて以降、1つの夢が芽生えてきた。それは、岳弥と再会する事だ。死ぬまでにもう一度、岳弥に会いたい。そして、あの事を謝罪したい。手料理を作ってやりたい。


 だが、岳弥はなかなか見つからない。あれだけ頑張っているのに。証拠が少なすぎるのもあるかもしれないけど。


 美沙は自宅で寂しそうにしていた。いつになったら見つかったという電話はかかってくるんだろう。早く天国で夫と再会したいという願望も芽生え始めた。だが、岳弥と再会するのが先だ。


 突然、電話が鳴った。ひょっとして、探偵からだろうか? 岳弥が見つかったという通報だろうか?


「もしもし」

「竹山美沙さんですか?」


 探偵からだ。岳弥が見つかったんだろうか?


「はい」

「お子さん、見つかりましたよ」


 美沙はほっとした。ようやく息子が見つかった。今、何をしているんだろう。そして、どこで暮らしているんだろうか? 漫画家になるという夢は実現できたんだろうか?


「ほ、本当ですか?」

「はい。現在、東京にいました」


 岳弥は思っていた通り、東京にいたようだ。


「そ、そうですか」

「漫画家になっておりまして」


 美沙は驚いた。夢が実現したのか。ならばいい。あれほど、なれないと言われていたのに。努力した結果、漫画家になれたんだな。


「やっぱりなってましたか」

「はい。会いたいですか?」

「もちろんです」


 美沙は声を上げた。岳弥に再び再会する事。それが自分の最後の夢なのだ。


「それでは、岳弥さんに交渉してみますね」

「はい」


 美沙は元気に答えた。寂しさが一気に吹っ飛んだようだ。


「また電話かけますね」

「はい。ありがとうございます」


 美沙は電話を切った。明日にも東京に行かないと。岳弥に会って、謝罪せねば。できれば、最期の瞬間に一緒にいてほしいな。




 それから程なくして、ここは東京の三ノ輪にあるマンションの1室。そこには1人の中年の男性が暮らしている。彼の名は巣鴨光星(すがもこうせい)。売れっ子の漫画家だ。これまでに稼いだ収益は1億を超えるという。


 光星は漫画を描いていた。もうここに入って何日だろう。その間、家族のいる自宅に戻っていない。だが、それは読んでくれる人々のためだ。漫画を待ってくれる人々のためだ。


 突然、ノックをする音が聞こえた。誰だろう。アシスタントだろうか? 光星がドアを開けると、そこにはアシスタントが来ていた。状況を見に来たんだろうか?


「巣鴨先生」

「あっ、どうも。どうしました?」


 光星は笑みを浮かべた。心配してくれるのはいいけど、そんなに頻繁に来ないでほしいな。漫画に集中する時間が欲しいから。


「お母さまが会いたがっています。会いたいですか?」


 光星は驚いた。まさか、母が会いたがっているとは。光星こそ、美沙が探していた1人息子、岳弥だった。岳弥は成長して、有名な漫画家になった。そして、多くの人々に夢を与えている。


「いや、許してくれないんでしょうね」


 だが、岳弥は会おうとしない。どうせ家に帰れというんだろうな。もう、家に帰りたくない。この、夢であふれた東京で暮らすんだ。


「でも、会いたいと思ってるんですよ。謝りたいと思っているんですよ」

「それでも会わないと言ってください」


 アシスタントが言っても、岳弥の考えは変わらない。岳弥は硬い表情をしている。


「そうですか」


 アシスタントは玄関に向かった。もう帰ろうと思っているようだ。


「お邪魔しました」


 アシスタントは家を出て行った。岳弥はじっと見つめている。次に来るのはいつだろう。


「はぁ・・・」


 机に戻った岳弥は、高校生の頃を思い出していた。僕はあの時、両親を捨てて東京に向かった。




 それは高校の卒業を間近に控えたある日の事だった。先日、高校生の漫画家の特集が組まれていて、それでたまたま岳弥が出たという。普通の男になってほしかった両親は反対した。


 その日の夜は、夢の事で言い争いになったという。岳弥は焦っていた。秘密にしていたのに、ばれてしまった。どうしよう。


「あんた、漫画家になろうと思ってるんだろう」

「私はそんなのに反対だからね」


 両親は怒っていた。普通の男になって、普通の仕事をしてほしかったのに。漫画家になる夢を持ってしまったとは。許せないと思っていた。


「そんな・・・」


 岳弥は戸惑っている。どうしてわかってくれないんだろう。どうして夢を捨てなければならないんだろう。


「そんなので稼げると思ってるの?」

「うん! 俺には夢があるんだ!」


 岳弥は力強く言い放った。何としてもわかってほしかった。夢を持つ事の素晴らしさを。


「岳弥、いい加減にしなさい! そんな子供じみた夢なんか!」

「お母さんにはわからないんだ!」


 岳弥は2階に上がっていった。もうその事は言わないでくれ。自分は自分の夢を生きていくから。ほっといてくれ。




 そして卒業式の翌日。岳弥は就職することを決めた。そんな岳弥を、両親は褒めて、これから始まる社会人としての生活に期待していた。


 美沙はいつものように岳弥を起こしにいった。いつものような光景だ。そして、いつもの日々が始まると思っていた。


「朝よ、ってあれ?」


 美沙は部屋を開けた。だが、そこに岳弥の姿はなかった。どうしたんだろう。まさか、誰かに連れ去られたんだろうか? それとも、漫画家への夢を忘れる事ができずに夜逃げしたんだろうか?


 美沙は急いで1階のリビングにやって来た。リビングには夫がいる。夫はいつものように新聞を読んでいる。


「あなた、岳弥がいないのよ!」

「えっ!?」


 それを聞いて、夫は驚いた。まさか、そんな事になるとは。どうしていなくなったんだろう。まさか、漫画家を諦めたというのは嘘で、夢のために東京に行ったんだろうか?


 美沙と夫は岳弥の部屋にやって来た。部屋はとても静かで、美沙と夫以外、誰もいない。そして、暗い。


「岳弥! 岳弥!」


 と、美沙は机に手紙があるの気付く。いなくなった経緯が書いてあるんだろうか?


「置手紙がある・・・」


 美沙は手紙を手に取り、読み出した。




 お父さん、お母さん、突然いなくなってごめんなさい。

 俺、やっぱり漫画家への道を諦める事ができなかったよ。

 こんな親不孝な僕だけど、有名になって必ず恩返しするから、待っててね。




 夫は拳を握り締めた。就職したというのは嘘で、本当は漫画家になるために上京したんだ。


「東京に行ったんだ」

「もう放っておけ、そんなバカ息子・・・」


 夫は岳弥は許せなかった。そんな岳弥の事は、もう知らない。もう会いたくないと思った。


「そ、そうだね」


 美沙もそれを認めていた。疲れて帰って来ても、何も知らないふりをしよう。




 翌日、東京に向かう新幹線の中で、美沙は夫との最期の瞬間を思い出していた。今でもその事は鮮明に覚えている。今でも涙が込み上げてくる。


 夫はがんで死の床にいた。今にも死にそうだ。美沙は両手を握り、回復を願っていた。


「あなた、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ」


 夫は息が荒い。明らかに苦しそうだ。そして、何かを考えているようだ。


「あなた、どうしたの?」

「もう一度、岳弥に会いたかった」


 美沙は岳弥の事を思い出した。あれから何をしているんだろう。漫画家になれたんだろうか? 全く連絡がないし、どうなっているのかわからない。


「そうね。なかなか見つからないものね」

「岳弥、今どこにいる・・・」


 夫は幻覚が見えている。目の前に岳弥がいるように見えているようだ。だが、手が届かないようだ。美沙は悲しそうにその様子を見ている。


「心配しないで、私が見つけ出して見せるから・・・」


 だが、夫の腕が落ち、脈がなくなった事を知らせる音が鳴る。


「あなた! あなた!」


 美沙は夫をゆすった。だが、夫は起きない。死んだようだ。美沙は泣き崩れた。医者たちはその様子をじっと見ている。




 美沙は東京駅にやって来た。東京に来るのは何年ぶりだろう。その間に、東京は様変わりした。走っている電車も、駅前のビルも。だけど、東京タワーなどはそのままだ。本当にここに岳弥がいるんだろうか?


「あっ、美沙さんですね」


 そこに、1人の男がやって来た。探偵の男だ。何十分も前からここで美沙を待っていたようだ。


「はい」


 美沙はお辞儀をした。疲れているような表情だ。ここまでこれたのがまるで奇跡のようだ。


「それでも会いたいんですか?」

「はい。夫との約束なんです」


 美沙は夫の事を思い出した。最初は会いたくないと思っていたが、死期が迫ってきて、会いたいと思い始めたという。


「そうですか。何とかして説得しましょう」

「はい」


 探偵は、何とかして会わせようと決意した。だが、本当にうまくいくんだろうか?




 その夜、岳弥はいつものように漫画を描いていた。いつものように締め切りに追われている。だが、読んでくれるみんなの期待に応えないと。人気を落としてはならない。


 誰かがドアをノックする音が聞こえた。こんな時間に何だろう。岳弥は首をかしげた。


 岳弥がドアを開けると、そこには黒いスーツの男がいる。アシスタントではない。誰だろう。


「巣鴨先生!」

「どうした?」


 岳弥は眠たい目をこすっている。あまり眠ってなくて、眠いようだ。


「お母さまが会いたがってます。東京に来てるんですよ」

「会いたくない! 帰れと言っていると言ってくれ!」


 岳弥は怒っている。会いたくないといっているのに、ここまで来ているとは。早く帰ってくれ。


「はい。かしこまりました」


 探偵は部屋を後にした。すぐに岳弥は机に戻り、作業を再開した。


 その頃、美沙は探偵の家にいた。美沙はカレーライスを作っている。岳弥は美沙の作るカレーライスが好きで、作文でも書いたぐらいだ。


 そこに、探偵がやって来た。探偵は肩を落としている。交渉は失敗したようだ。美沙は表情を見てわかった。


「やはりダメでしたか」

「ですね・・・」


 美沙も肩を落とした。いつになったら会えるんだろう。もう死期が迫っているのに。


「もう命が危ないのに」


 と、探偵はいい匂いに気付いた。カレーライスだ。


「どうしたんですか?」

「あの子の大好物を作ってやろうと思いまして」


 美沙は笑みを浮かべた。自分の作るカレーライスで心変わりしてくれないだろうか? そして、また会ってくれないだろうか?


「そうですか」

「あの子、私の作ってくれるカレーライスが好きで」


 美沙は岳弥の少年時代を思い出していた。楽しかった3人で暮らす日々。もう戻ってこない3人での生活。主だ椅子だけで涙が出てくる。


「そうですか」


 カレーライスが出来上がった。専門店ほどではないが、とてもおいしそうだ。美沙は容器にカレーライスを盛りつけた。それを岳弥に渡すようだ。


「これを岳弥に渡してくるね」

「わかりました」


 カレーライスを見て、探偵は岳弥の顔を思い出した。岳弥はカレーライスを食べて、どんな反応をするんだろう。また会いたいと思うんだろうか?


 美沙はカレーライスを持って、岳弥の部屋にやって来た。やっと岳弥に会えた。だが、岳弥は椅子に座ったまま、机の上で寝ている。なかなか眠れなかったようで、眠くなってしまったんだろう。


「岳弥・・・」


 美沙は机にカレーライスを置いて、部屋を去っていった。だが、岳弥は起きない。よほど疲れているんだろう。


 美沙は家に戻ってきた。探偵はリビングでテレビを見ている。美沙は苦しそうだ。岳弥に会うために、最後の気力を振り絞っているように見える。


 探偵は振り向いた。美沙が帰ってきたようだ。


「どうでした?」

「寝てましたね」


 美沙は笑みを浮かべている。よほど頑張っているんだろう。その頑張りをほめたいな。


「そうだ、カレーライス、食べる?」

「はい」


 探偵は言葉に甘えて、カレーライスを食べる事にした。美沙は立ち上がり、カレーライスを盛りつけ始めた。


 すぐにカレーライスがテーブルに置かれた。探偵はカレーライスを食べ始めた。辛くないけど、いい香りだ。お母さんが作ってくれたカレーライスって、こんな感じだったな。初めて食べるのに、探偵はどこか懐かしさを感じた。


「おいしいですね」


 探偵はおいしそうに食べている。美沙は幸せそうにその様子を見ている。見ていると、まるでわが子のようで、愛着がわいてくる。


 その後、探偵は空を見上げた。その横には美沙がいる。岳弥は今頃、何をしているんだろう。起きて、カレーを食べているんだろうか? それとも、まだ寝ているんだろうか?


「明日、会えるといいですね」

「はい・・・。あなた、絶対に会うからね」


 美沙は遠い空から夫を思い浮かべた。夫は美沙を見て、何を感じているんだろう。岳弥に再会するのを楽しみにしているんだろうか?


「おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 美沙は寝室に戻っていった。探偵はその後姿をじっと見ている。




 その直後、岳弥の部屋では岳弥が目を覚ました。作業漬けで疲れて、眠ってしまった。早く仕上げないと。


「ね、ねてしまったのか・・・」


 と、岳弥はカレーライスの匂いに気が付いた。差し入れだろうか?


「ん? カレーライス・・・」


 岳弥はカレーライスを食べ始めた。岳弥は驚いた。そのカレーライスは母の作ってくれたカレーライスだ。長年会っていないけど、その味は今でも忘れていない。まさか、東京でまた食べられるとは。


「こ、これは、お母さん?」


 まさか、美沙がカレーライスを作ってくれたとは。岳弥はその時、久々に母の事を思い出した。どうしてだろうか? 母の味にはそんな魔力があるんだろうか?


「お母さん・・・」


 岳弥は空を見上げた。今頃、母はどうしているんだろうか? 夜逃げをした事を許してくれるんだろうか? もし許してくれるのなら、会いたいな。そして、謝りたいな。




 翌日、岳弥は二度寝から目覚めた。作業を終わらせ、今日は久々に家族の元に帰ろうと思っている。家族は今、どうしているんだろう。元気だろうか? 寂しがっていないだろうか? 久しぶりに子供と話がしたいな。


 と、朝からノックする音が聞こえた。朝から誰だろう。岳弥はドアを開けた。そこには探偵がいる。


「おはようございます、巣鴨先生」

「どうした?」


 岳弥は眠たい目をこすっている。疲れているようだ。


「お母さまが、亡くなられました。お悔やみ申し上げます」


 岳弥は驚いた。会いたいと思っていたのに。まさか死ぬとは。最後に会いたいと思っていたから来ていただろうに。どうして自分はその思いに応えられなかったんだろう。


「そ、そうですか?」

「はい」


 岳弥は昨日の夜に食べたカレーライスを思い出した。またあのカレーライスを食べたかったな。だけど、もう食べられない。


「夜食のカレーライスを食べて思ったんです。一度だけ会ってみようかなって」

「でも、叶わなかったんですね」


 探偵は泣きそうだ。もう一度会いたかったのに、叶わなかった。会えたら、どんな反応をしたんだろう。


「あの時、家出をしてよかったんでしょうか? それで私は夢を得たんですが、それによって母を失った」

「得るものと失うもの、どっちが大きいんでしょうか?」


 ふと岳弥は考えた。自分は漫画家になって多くの夢を与えている。だけど、それによって両親を失ってしまった。だけど、それは漫画家になるという夢のために役立った。夜逃げをしなければ、今の自分はない。普通の男となっていただろう。だけど、僕は漫画家になった。これからも突き進まねば。それが天国の両親への恩返しだと思って。

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カレーライス 口羽龍 @ryo_kuchiba

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