第6話 親父さあ……
温泉からあがった琥珀と操は夕食の時間になったので、所定の場所に移動した。
旅館の人に到着した旨を伝えると席に案内される。既に据え膳が置かれていて、その土地の名産を使った豪華な料理が視覚で食欲を刺激する。
「おお、中々に美味そうじゃないか。でも、私にはちょっと量が多いかな?」
「そうだね。旅館の料理って気持ち多いくらいだし、食べきれなかったら俺が代わりに食べるよ」
「ふふふ、頼もしいな」
旅館の料理に舌鼓を打つ2人。料理の感想を言いあいながら楽しそうにしゃべりながら、食を進める。
美味しくて楽しい食事を終えた2人は自室へと戻った。自室に戻るなり、琥珀は既に敷いてある布団に倒れこみ、その場でじっと動かなくなった。
「大丈夫か? 琥珀君」
「あー……食べ過ぎたかもしれない」
「そうか。無理させてしまってすまない」
琥珀が漢らしくバクバクと料理を食べる姿に
「おかしいな。高校生の時だったら、これくらいの量はいけたのに」
体を作り上げるために栄養を使い、代謝も良かった成長期の頃。無限に出された料理を食べられる気がしてきた。成長期の男子の胃袋は家計を圧迫して、世の母親の頭を悩ませる一因でもある。しかし、琥珀も今では21歳。体も完全に出来上がっているし、これから段々と食が細くなっていく一方である。
成人するまでは、毎日ができることが増えていくのに成人してからは、加齢と共にできることが減っていく。その洗礼を受けてしまった琥珀はなんだか物悲しくなった。
「あー……苦しい。これくらいで根を上げるとか俺も歳を取ったかな」
「琥珀君。それを私の前で言うか」
歳の差カップルの年下彼氏が彼女の前で言ってはいけないことにランクインするワード。それが琥珀の口から出て操はちょっとムッとしてしまう。琥珀は操の声色から地雷を踏んだ感触を悟った。
「あ、ごめんなさい。28歳の操さんの前で言うことじゃなかったね」
「歳を言うな。歳を」
地雷を踏んで、咄嗟に避けた先にある地雷を踏み抜くその連鎖爆撃の精度。これは老齢になっても衰える気配すら見せないであろうことは想像するに容易い。
「琥珀君。私はこれから温泉に入り直すけど、キミはどうする?」
「あー……俺はいいや。この満腹状態で入ったら逆に体に悪そうだし」
「ふふふ、そうだね」
胃の中の物を消化するために横になってゴロゴロする琥珀。操は食後から少し時間を置いてから再び温泉へと向かった。
◇
時刻は23時頃になった。旅館内のあらゆる施設が閉鎖して、後は眠るだけという状況。琥珀も流石に腹の具合が落ち着いて、動けるようになった。自身のスマホに何かしらの着信が来てないかを確認している。
「琥珀君。そろそろ電気消そうか」
「うん。そうだね」
家族のグループに旅館内で撮影した映える写真を送信した琥珀はそのまま電気を消して布団に潜る。男女のカップルということで、布団を敷いた旅館の人も気を利かせて布団と布団の距離を縮めてある。手を伸ばせば、お互いの体に触れられる距離。そこで2人は横になる。
「琥珀君。起きてるか?」
「うん。まあね」
電気を消してすぐに眠りにつくことは人間中々できることじゃない。電機は消えているものの、窓から差し込む月明りがうっすらと部屋の輪郭を浮かび上がらせる。
「キミと付き合い始めてからもう5年も経つんだよな」
「……そうだね」
「懐かしいな。あの頃は、キミがまだ未成年ということもあってか、こうして一緒に寝泊まりすることもできなかったし、付き合っていることを公言することも難しかったな」
いくら清い交際をしていると口で言ったところで、周囲の人が信じてくれるとは限らない。ましてや、操はバンド活動をしていて、地元ではそこそこコアな人気があった。未成年と付き合っていることがバレて根も葉もない噂が広まったら、バンドメンバーにも迷惑をかけることになってしまう。
「でも、今はこうして何をするにしても制限されない。数年待った甲斐があった。私は今、幸せだ」
操の発言に琥珀は少し黙ってしまう。なんかしんみりとした空気が流れて何を言っていいのかわからなくなってしまう。
「あ、本当に申し訳ないというか。俺が未成年だったせいで操さんには苦労をかけたなって」
「ふふ、そこは、俺も幸せって返すところじゃないのか? それとも、琥珀君は私と一緒にいて不幸か?」
「そんなわけない! 俺は……」
体を起こして否定をする琥珀。なにか気の利いたことを言おうとしても言葉が出ない。
「俺は、操さんが師匠で心の底から良かったと思ってますよ」
「おいおい、なんで急に敬語なんだ。もう、そういうのはやめようって……」
「ごめん。操さん。どうしても、師匠として慕っていた時期が長すぎてたまに出ちゃうんだ。それくらい、俺にとっては操さんとの師弟関係は特別なものだったんだ」
琥珀の想いを聞いて操は言葉を失ってしまう。琥珀がそれほど自分を師として慕ってくれたことが嬉しいのだ。
「だから俺は……操さんの気持ちを知った時、操さんの気持ちに応えるのが怖かった。だって、恋人関係になったら師弟関係が壊れるかもしれないって。俺が大切にしているものが1つ失ってしまうんじゃないかって」
「そ、そんなことを思っていたのか?」
「でも、操さんは今でも俺の憧れの師です。今はもう師匠と呼ぶことは少なくなったけど、一緒に隣を歩く恋人になったけれど、でも……俺の中で大切にしていた関係は壊れなくて本当に良かったと思っているんだ」
琥珀の磯偽りない純粋な想い。それが真っすぐに伝わってきて操は顔が赤くなった。毛布に顔をうずめて手を少しバタつかせる。
「あ、あはは。な、なんだよ。琥珀君。私が恋人になったから師弟関係を解消するような狭量な女に見えたのか。あ、あはは……ごめん、不安にさせちゃって」
「え?」
「そうだよな。琥珀君も当時は高校生。いくら技術的に大人と同じ土俵に立っても、物怖じしない精神性を見せつけてくれたとしても、やっぱり、まだまだ心は成長途中の不安定で多感な時期だったんだ。私も高校生の時には色々と思うところがあったのに、そういうことを経験してたのに、それを忘れてしまっていたのかもな。本当なら、私が師匠として支えてやらなければならなかったのに」
自責する操を見て琥珀は慌ててしまう。
「あ、その……そういうつもりはなくて、俺はただ操さんのことを大切に想う気持ちは昔から変わらないというか。そもそも技術的なことを求めて師匠に弟子入りしたとか、お金取っても良い内容のことをタダでしてくれたのもあって、感謝しきれないとか……」
「いいや。キミが高校生だとわかった時点で、私は大人として出来ることがもっとあったはずなんだ。それを私の恋愛感情のせいで」
「もう、謝るの禁止!」
「じゃあ、琥珀君もお礼を言うんじゃない」
なぜかお互いに禁止しあう2人。一見変な空気になりそうなところを、この2人はそれで笑いあい仲直りをするのであった。
「琥珀君」
「ん?」
「今日はその……最近してなかったから……」
操が琥珀が大人になったからこそ、堂々と出来るようなことを誘って来た。しかし、琥珀は頭を悩ませる。
「あ、あー……ごめん。操さん。今日持ってきてない」
「だ、大丈夫。私、飲んできたから」
琥珀の脳裏によぎるのは先日の父親の話。琥珀の両親が結婚した時のきっかけを想いだした琥珀は……これは罠だと悟った。
「いや、やっぱり薬だけだとちょっと危険かもしれない。万一の時に体に負担がかかるのは操さんだから無責任なことはできないよ」
あくまでも操を傷つけないように体を気遣う素振りで断る琥珀。操はそれに納得してこの場は丸く収まった。
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