第3話 初手失礼安定
カップルたちがよく待ち合わせとして使う駅前の前衛的なオブジェ。四足歩行の生物なのに鳥の頭がついているという生命に対する冒とくを感じさせるそのデザインは一部の女子高生からキモカワイイと称されている。
そんなオブジェの前で待ち合わせていたカップルが1組。琥珀と操である。
「ごめん、操さん。待った?」
「なぜ謝る必要がある。まだ待ち合わせより5分前だぞ」
「いや、なんというか。女性の方がデートに準備がかかりそうだし、それなのに待たせるのはちょっと配慮が足りないっていうか」
琥珀ももう21歳と年齢を重ねた大人なのだ。法律的にも精神的にも成人したのでそうした気遣いができても不思議ではない。
「ふふ、気にしなくても大丈夫だ。私が勝手に早く起きて、早く来ただけだ」
操は笑った。琥珀と会うためだったら、多少待つことなんて全然苦ではないのだ。苦にならない理由はもう1つある。
「この前、アレと待ち合わせをしていたら、3時間も遅刻しやがった。毎回待ち合わせの時刻に30分以上遅刻する奴だから、30分は遅刻としてカウントしないでやっている。けど、3時間は流石に無理だ」
「すみません、ウチのアレが」
琥珀は頭を下げた。名前を出されなくてもわかる。操の話に出てきた奴は間違いなく、琥珀の姉の真鈴であると。琥珀としては逆にそうであって欲しい気持ちだ。3時間も遅刻するような社会不適合者がそう何人もいてたまるかと。
「あはは。だからキミが謝る必要はないさ」
操は右手を琥珀に向かって差し出した。琥珀は左手で操の手を握り、二人は足並みを揃えて歩き出す。
「なんかこうしていると、アレみたいだね」
「アレとはなんだ?」
琥珀が右手で頭を掻きながら照れくさそうにする。そして、彼の言葉から衝撃的な言葉が発せられる。
「迷子を連れて歩いているみたい」
「は?」
「ほら、操さんって背が低いし、最近は詩乃ちゃんとも手を繋ぐ機会が多かったからね。身長差のサイズ感的にはちょっと大きくなった詩乃ちゃんっぽいから」
操は琥珀の失礼発言にムッと来てしまう。やはり、成人しようと人間の根本的なところは変わらない。何気ない一言が相手を傷つける。それはわかっているのに、その言葉を選んでしまうのは、もう一種の
「なるほど。琥珀君は私が小さいから子供だって言いたいんだな?」
「いや、子供だなんて思ってないよ。だって、操さんは後2年でさんじゅ……」
そう言いかけた琥珀の左腕に操は抱き着いた。この腕を絶対に離さないと強固な意志を感じられる程に腕を絡ませる。
「小さい子がこんなことをするか? 迷子が腕に絡みついたりするか?」
周囲の視線も気にせず、琥珀に体を預ける操。琥珀もこれには一本取られたと眉を下げて困り顔をする。
「操さんってこんなことする人だっけ?」
「こんなことをさせたのは琥珀君だぞ」
それを言われたら琥珀も何も言い返せない。高校生の時からの関係で、自分がまだ未熟だった故に操にヤキモキした想いをさせてしまったことは十分に自覚している。それでも懲りずに自分と付き合い続けてくれている操には感謝しかないのだ。
「それにしても……俺の腕にしがみついている操さんってなんだかコアラみたいだね」
「コアラ……?」
「うん。コアラってよく木にしがみついてるよね?」
またしても、思ったことをそのまま口にしてしまう琥珀。操としては複雑な気持ちになってしまう。折角、勇気を出して普段はやらないことをしているのに。もっと自分を意識して欲しい。この想いが伝わって欲しいとギュっと琥珀の服の袖を掴んだ。
「そうか……コアラか」
「うん。コアラみたいで可愛い」
可愛い。琥珀がその言葉を発した瞬間、操は琥珀に抱き着くのをやめて、ペシペシと琥珀の肩を叩き始めた。
「あ、ちょ、み、操さん!? なにをして……」
「この! Amber君はまたそういうことを言って!」
「ちょ、呼び方が昔に戻っている」
操は琥珀のことを「Amber君」と呼んでいた。それは、彼のハンドルネームに由来することだ。他に琥珀のことを「Amber君」と呼んでいる人がいなかったから、操はこれは自分だけの特別な呼び方だと認識していて、とても気に入っていたのだ。
過去には、他にも「Amber君」呼びをする女子が現れた話があった。その時には嫉妬したりもした。今では、姪である詩乃が「あんばー君」と呼び始めたので、その呼び方を姪に譲り、琥珀君と呼ぶようになった。流石の操も姪相手に嫉妬したりはしないし、姪が楽しく英語を学んでいるんだったらそれを邪魔するほど無粋ではない。Amberが自分だけの呼び方ではなくなった以上、その呼称にこだわる必要もなくなったというわけだ。
肩に打撃を食らった琥珀。痛みというほどではない、ちょっとしたじんじんする感覚と共に大衆向けのレストランに入る。操はもちろん、琥珀もそれなりに稼いでいるのでもう少しグレードの高い店にいけるのだが、お互いの金銭感覚的には無駄遣いを避けたいタイプなのだ。
高級志向というわけでもないし、かといって節約しすぎる程のドケチでもない。丁度2人の金銭感覚の相性も良いので、デート場所に揉めることも少ないのだ。
テーブル席につき、料理を注文した2人は雑談を始める。
「琥珀君。最近、お兄さんの家庭はどうかな?」
「まあ、順調というか、兄さんたちは上手くやっているよ。今は義姉が妊娠しているから、二人目ももうすぐかな」
「本当か? それはおめでたいな。キミのお兄さん夫婦は今何歳だっけ?」
「えっと……確か今年で31歳ですね」
「31歳で2人目の子供か。絵に描いたような幸せな夫婦だなあ」
何気ない会話。そのはずなのに、琥珀は操から放たれるプレッシャーを感じていた。そう、それは結婚と言う名のプレッシャーだ。
操は別に琥珀に圧をかけているつもりはない。けれど、琥珀はそれを感じている。それはもう無意識の内に放たれる“覇気”なのだ。鈍感な琥珀でも感じられる程である。
でも、操としては、現在28歳で21歳の彼氏と付き合っているわけである。自分は結婚適齢期の年齢ではあるが、彼氏の方はまだまだ結婚するには気が早いというギャップがあり、プレッシャーをかけすぎるのも悪いと思っている。
「に、兄さんの話は置いといて、真珠の話をしよう」
琥珀は妹の話をすることで、結婚の話から遠ざけようとした。琥珀の妹の真珠は現在19歳。体育会系の大学に通う女子大生である。結婚は可能ではあるが、結婚するには早い年齢。
「真珠の中学時代の同級生に、小説家がいて、なんかその子の小説が賞を取ったみたいなんだよ」
「へー。それもまたおめでたい話だな。今度、その小説を読んでみたいな」
「あはは。今度タイトル聞いておくね」
なんとか話を逸らすことに成功した琥珀。別に操と結婚するのが嫌というわけではないが、イマイチ決心がつかない。結婚するとなると2人の生活も大きく様変わりするし、子供のことも考える必要があるのだ。
そんなこんなで、料理を食べ終えて次のデートスポットに向かおうとする2人。その前にしなければならないのは支払いだ。
「操さん。やはり、譲る気はないんだね」
「ああ。やはり、ここは人生の師としても譲るわけにはいかない」
両者が伝票を睨みあい、そして手を出して……
「最初はグー!」
ジャンケンを始めた。
「あぁ! ま、負けた」
「ヨシ! 操さんに勝った」
この2人。お互いデート代を払いたい側の人間なので、こうしてジャンケンでどちらが支払うのか決めているのである。勝った方が払うという男気溢れるルールで。
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