祟りの■

災い


 夫婦らしき男女と、彼らの子供らしき女児が居間の椅子に座り、談話していた。短い黒髪の女は、高校生の頃、廊下を歩いていると、背後から夫がインドの挨拶と共に合掌し、尻へ回し蹴りした出来事を語る。


 ツインテールの女児は父親を指差し、彼の行動を非難した。金髪の目付きが鋭い男はそれを認め、若気の至りだと反省する。特別番組の影響で『ナマステタイキック』なる悪戯を考案し、度々、後の配偶者に行っていた。


 女児が母親の膝の上へ移動し、慰める。彼女の頭を撫でながら女は見栄を良く張り、それがきっかけで夫と出会ったと話す。男は頷き、優しく微笑み掛けた。


 女が娘に入浴を促すと、外から火薬を破裂させるような音を聞く。その直後、吹き出し窓のガラスは割れ散り、緑色のカーテンも中央部に穴が開く。恐怖のあまり、女は娘を強く抱き締める。


 先程まで鮮明だった風景は途端に、フィルム撮影のような荒さが生まれ、彼女は戸惑う。残りのガラスへ何度も何かを叩き付けて、カーテンを猟銃の被筒バレルで捲り、奇妙な格好の男が入る。


 薄青模様の鉢巻に、2本のL字型懐中電灯を挿入していた。更に首からも正方形の懐中電灯を下げている。両肩に猟銃の弾帯を巻き、日本刀と猟銃を持つ。白塗りの顔が女の方を向き、ゆっくりと近付く。


 男は椅子を持ち上げて、殴り掛かるも、躊躇無く侵入者が斬撃を浴びせた。男の裂けている首の皮膚はゴムのようだ。そして、血飛沫が出ない首の皮膚を伸ばして倒れる。


 女は娘を抱き上げ、居間の扉の方へ走り出そうとした。しかし、吹き出し窓側の壁と居間の机が爆発し、2人は吹き飛ばされる。


 床へ叩き付けられた彼女が目を開け、欠損している片腕と、斜めに割れた頭蓋骨から脳を露出させている娘の姿に絶叫した。世界は彼女の状況を無視し、軽快な音楽を流す。


 小型バイクの前輪を浮かせながら、着ぐるみのオランウータンは室内へ侵入する。2門の機関銃や誘導弾発射装置がバイクに搭載されていた。女の横を通り、食器棚の前で停車する。


 乱暴にガラス張りの引き戸を開け、鎮座していた、明るい灰みの茶色のテディベア2体を取り出す。その後、非道な行為を誤魔化す音楽を背に、オランウータンは去った。


 女が娘の亡骸を横に寝かせ、天井を眺める。先程の爆発で、家族の団欒を破壊した者の歯や、骨片を腹部へ浴びており、出血量は多い。徐々に彼女の瞼が閉じていく。


 

 キャットタワーの頂上からベッドへカナコが飛び降り、寝ている知羽を起こす。踏まれた腹部を擦りながら彼女は白猫に朝の挨拶をする。カナコが彼女の頬に額をぶつけ、キャットタワーへ戻った。


 上体を起こし、知羽は辺りを見渡す。キャットタワーを鉄塔に見立て、特殊降下訓練を行っていた以外の姿が見えない。


 通常、営内の警備は2匹体制だ。祇園ヨリコ陸士長の不在に気付き、彼女が廊下へ飛び出る。玄関の引き戸は幸い開いておらず、単独外出の可能性が低くなった。


 「祟りじゃ! 八つ墓明神がお怒りじゃ!」


 しわがれている声で叫びながら、反対側にあった洗面所の扉を開く。白猫と洗顔していた女子の背中を見つけた。ヨリコ陸士長は尾を立たせ、営内のカナコに無線で状況報告しているようだ。


 白猫2匹の姿を目視出来た知羽は合掌し、女子の尻へ回し蹴りする。ヨリコが驚き、廊下へ走り出してしまう。野蛮な行動を非難し、詰襟の女子はタオルで顔を拭く。


 張った頬骨や長身が特徴的な彼女、萩宮巡はぎみやめぐりは白猫達の面倒を見る為、祇園の家に滞在していた。日頃、カナコとヨリコの召使いをしている祇園京希が数日間留守だ。


 部屋へ戻り、ベッドに腰掛けると、知羽のスマートフォンは着信音を鳴らす。大きな音に敏感な猫達が急いで布団の中へ避難する。


 『大変な事になった』


 通話を開始して早々、洋菓子専門店の主は厄介事を連想させた。夏鈴の代わりに、数体のぬいぐるみが彼女の埋め合わせをしている。ぬいぐるみの記念撮影会は客から好評だったようだ。


 「忠文が発狂して、日本刀と猟銃で殺し回っている? それともケーキ屋の業務用エレベーターの落下事故で誰かタイムスリップした?」


 彼女の妄言をすぐ否定し、有為子と蜜三郎の盗難を話す。どちらも華弥手製のワンピースや、黒の礼装用袴を着せられている。店主の不在を狙い、盗み出された。


 蜜三郎みつさぶろうは眼帯を着けており、長年、三中義仁が管理している。寺の供養を断られたり、悪しき者の魂を宿しているなど、様々な言い伝えで恐れられていた。


 盗んだ人間の不幸と、蜜三郎の祟りを結び付けられる前に、店主は捜索を依頼したが、知羽は難色を示す。私立探偵で無い彼女より、交番へ相談する方が賢明だ。


 「誕生日ケーキの予約が明日もあるから出来ない。頼む、ガトーショコラで手を打ってくれ」


 好物を報酬として提示され、知羽は引き受ける。通話の後、寝間着から着替えて、白猫達に外出の予定を伝えた。朝の睡眠を取っているのか、布団が動かない。


 廊下で巡に行き先を訊かれ、事情を話す。すると、目立つ格好の彼女は同行を頼んだ。十中八九、不健全な感情を抱いていた知努に恩を売る為だ。犬の手も猫の手も借りたい知羽がそれを認めた。


 

 仮装の催し会場か、終戦記念日の靖国神社でしか見ない格好の巡は、客達から好奇の視線を集める。しかし、この店の主も彼女と似たり寄ったりの思想を持つ。


 クッキーを入れている大きなカゴの隣に、3つの写真立てと、オランウータンのぬいぐるみを入れたカゴがある。ぬいぐるみは陸上自衛官の格好をしており、店の商品と不釣り合いだ。


 知羽が写真立てを持ち上げ、眺めた。スイカのような顔面の陸上自衛官が、短髪の少女と一緒に映っている。前職に勤務していた時の店主と、幼い頃の夏鈴だ。


 端午の節句である今日、勇ましい過去の写真と他人のぬいぐるみを展示し、男児達の健やかな成長を祝う。残りは『第一空挺団』の銘板と共に映る店主と夏鈴、自衛官の制服を着用した彼女と店主だ。


 巡がスマートフォンを知羽に渡し、オランウータンのぬいぐるみを抱く。彼女はぬいぐるみの鼻だけ撮影し、返す。写真を見た巡が知羽を太宰と呼ぶ。


 ぬいぐるみの頭を小突き、彼女は店主から盗まれた時間帯を訊く。精悍な顔立ちの彼が凡その時間を話し、更に知羽は巡が抱いているぬいぐるみについても尋ねた。


 「俺が言うのもアレだけど、夜中、非常警報や教官の罵倒を聞かされそうだから誰も盗まない」


 『原隊へ戻るか!? 大日本帝国陸軍にお前みたいな根性無しは要らねぇだよ!』


 架空の教官からの罵倒が聞こえ、彼女は頷く。家中にを起こす危険性もあり、危険な動物だ。無くなったぬいぐるみ2体の位置が、冷蔵ショーケースの上だと店主は教える。


 客が良く近付き、入口付近や横の喫茶スペースからの注意は然して向かない。しかし、そのまま持ち去ろうとした場合、足音で向きやすくなる。知羽はしゃがんで、何かを書く仕草を取った。


 親指と人差し指と中指を顔面に添え、床を見る。動機や手口を割り出そうと思考を巡らせた。判断材料が圧倒的に足りず、彼女は立ち上がって、根拠の薄い解答を出す。


 「旅行に行っている染子は替え玉で、本当の染子が変装してぬいぐるみを盗んだ。廃棄予定のケーキを貰える華弥と私を妬んで」


 横の巡が目撃者のオランウータンに事実確認する小芝居を打つ。案の定、突拍子の無い内容を否定した。店主は苦笑を浮かべて引き続きの捜索を頼み、厨房へ行く。

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