あの春、一番静かな彼女

 

 人体欠損描写がある邦画を鑑賞中の知羽の兄、知努ちぬは、数十秒で返信した。考える事すらせず、彼女の頼みを断る。妹より父方の従姉、JudithユーディットHasseハッセとの時間を選んだ。


 『今、ユディ子と一緒に映画を観ているからダメなのさ』


 『知羽君、せいぜい美味しい肉を食べるがいいよ』


 劇中に登場する、猫のような軽やかさを備えた美少女の口調を模倣している。普段の彼は、粗暴で品格の無い言葉遣いを使う。しかし、一部人間に対して、柔らかな物腰となる。


 「手が早い変態の癖に生意気ね」


 同級生から幼稚な印象を抱かれないように、知羽も家族以外の前で口調を変えていた。ようやく、使い分けに慣れている。


 

 数分、自転車を漕いで、彼女は集合場所の遊具が撤去された公園へ到着する。先客の2人が1つの黒い自転車に乗り、騒いでいた。黒い詰襟の制服を着ている1人は、自転車のステムへ体を預けながら漕ぐ。

 

 赤いシャツを着たもう1人が両膝を曲げてサドルに座り、ハンドルを握る。時間を持て余した学生のようだ。原動機付自転車や普通自動二輪を持っていない彼らは、この乗り方で刺激を得ている。


 詰襟の1人が、知羽の存在に気付き、手を振った。素行の悪い学生の印象を抱く彼女は、怪訝そうに凝視する。


 相手の正体が、男装をしていただけの20代後半に差し掛かる父方の従姉、白木夏鈴しらきかりんだ。端正な顔立ちと快活な性格は、同性異性問わず年下から慕われていた。


 ハンドルを左に切り、旋回するもう1人は、集合場所を指定した女の兄、斎方櫻香さいかたおうかだ。強面の彼は数年間、三中兄妹の前に姿を見せていなかった。


 「サクラと夏鈴ねぇはここで何をやっているのかしら?」


 「キッズリターンのマサルとシンジの真似だ。ここじゃ無いと出来ないからな」


 櫻香から説明を受けている知羽の反応が薄い。本編を観ている知努と違い、思い入れは全く無かった。作品の曲だけ、幼い頃、兄の演奏で聴かせて貰っている。


 記念として2人の様子を撮影した。夏鈴が漕いでいる足を止め、すぐ櫻花もブレーキを掛けて停車し、地面へ足を付けた瞬間、彼女は屈んだ。彼が驚きつつ抱き留め、唇同士重なり合う。


 当然、作中の行為を再現している訳で無く、恋人達の戯れだ。夏鈴の服装のせいか、男子学生2人の口付けにしか見えない。彼女は両手を彼の後頭部へ回し、妖艶な手付きで髪を撫でた。


 何度も啄むように夏鈴が彼の唇と重ね、主導権を掌握している。彼女は唇を離し、熱い吐息を吐き見下ろす。十分に恋人の愛を享受出来たようだ。


 「君は夜の世界の華やかな女性に、現を抜かす悪いだ。ボクがしっかり躾けないと」


 「今の絵面がBLなんですがそれは」


 戸惑う櫻香の唇がまた塞がれ、更に舌を差し込まれる。彼の顔から威圧感は消えていた。彼女の情欲を注がれ、獰猛な狼が子犬へ変えられる。2人は、互いの熱を舌で味わう。


 従姉の淫蕩な豹変に、恐怖すら覚えている知羽が言葉を失い、呆然と立ち尽くす。先程の現役高校生に負けない活力ある面影は、消え失せていた。


 腰を上下に艶かしく動かし始め、夏鈴の歯止めが利かなくなっている。彼女は詰襟のボタンを外そうとした時、普通二輪自動車のエンジン音が公園へ近付く。それでも構わず、上から外す。


 そして、黒い普通二輪自動車は公園の敷地内に入り、停車して、ヘルメットを被った女性と子供が降りる。茶色のカーディガンを羽織っている女性は、黒いヘルメットを脱ぐ。


 「キッッッショ! 何が悲しくて、式場以外で兄のキスシーンを見ないといけないの」


 目元へ黒いアイシャドウを引いていた女性は、櫻香と夏鈴の背中に冷ややかな目線を向けている。現実へ引き戻された彼が唇を離し、彼女を地面へ降ろす。何か呟いて、素早く自転車のスタンドを立てた。


 関係性を隠そうとせず、夏鈴は向き直って櫻香の胸に側頭部を預け、手を振る。ハンドルにヘルメットを掛け、斎方華弥さいかたかやも手を振った。


 白のマリンセーラー服を着ている白木忠清しらきただきよが、脱いだ白いヘルメットを反対側のハンドルへ掛けながら軽く唸り出す。無理やり連れ出され、機嫌を損ねている。


 早速、知羽に回収を頼んだウサギのぬいぐるみと対面した華弥は、カゴから持ち上げて驚く。着せていた服が無くなっている。

 

 「ウイコがちょっと火薬臭いわ。それより、この子に着せていた服はどこ?」


 「はその帽子しか被っていなかったわ」


 華弥は白い布をウイコの頭から取り、新たな緑色の布が姿を現した。ウイコの両耳は、体の良い下着置き場として使われている。緑色の下着も脱がし、華弥はジーンズパンツのポケットへ入れた。


 服飾作りの趣味を持つ彼女が、2つの下着を盗む意図は1つしか無い。有名なブランド品と見抜いたからだ。その様子を目撃した忠清が顔を逸らす。


 夏鈴は、ウイコの由来を説明する。三島由紀夫の小説『金閣寺』から取られていた。海軍の看護師、有為子ういこが金閣寺に匹敵する美貌を持っており、強い印象を残す女性だ。


 「それなら、俺の有為子は、性別を超越した美しさを持っているな」


 櫻香は胸元の彼女の頬に手を添える。胸騒ぎがした知羽は指の間が閉じていない両手で視界を覆う。夏鈴は鼻を鳴らし、少年漫画から台詞を引用した。不遜な男性を連想させる低い声だ。


 「デカい口を利くようになったな、小僧」  


 逃げ出そうとした忠清の右肩を掴み、華弥が新たな作戦の立案を発表して、知羽は不満そうな声を漏らす。ちょうど、囮役の女性が自転車で到着する。


 猿の刺繡を施されたジャケットを羽織っており、未だ付けている面と相まって不気味だ。第2次反抗期真っ盛りの女子小学生すら威圧感のあまり、沈黙する。


 ウイコの衣装奪還を主目的に置き、華弥が鶴飛邸の侵入方法を説明した。玄関の引き戸は施錠されていると予想して、3人が庭へ忍び込んだ後、忠清は陽動を行う。


 「マヌケな猿です」


 帰宅させて貰えない彼がげんなりとしていた。囮役の女性は身分を明かす事無く、作戦の説明を聞いているだけだ。玄関から出た住人の注意が忠清に向く間、3人は侵入し、服を奪還する。


 次に華弥が脱出の話題に入った。鶴飛の住人から走って逃げ、自転車とバイクはそれぞれ違う方向へ分かれる。忠清が内通者と悟られない為にしばらく滞在させた後、連れ帰る予定だ。


 「ウイコとカンガルーはバカップルに預けるわ」


 「ボクはそろそろ出勤だから、おかかちゃんが後の面倒を見るさ」


 夏鈴は顎を上げ、櫻香と接吻しそうになり、華弥が大声で遮りながらカゴから親子カンガルーのぬいぐるみを取って、彼へ押し付ける。まだ異性との経験は無かった。


 謎の女性が使う自転車のカゴに、火薬の包装を数袋入れており、まだ拳銃の出番は残っている。予定が決まっていない櫻香以外は準備を整え、公園を出た。

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