愛している人は近くて、遠い番外編

ギリゼ

東ノ卵

天沼矛作戦


 温かさに包まれていた無防備な時間が、最も少女にとって生を実感出来る。太陽の恩恵は受けられなくなり、極寒の脅威を凌ぐ為、地中へ潜り込むアナウサギと同じく、狭い暗に閉じ籠っていた。


 3月末日、ランドセルと釣鐘帽子の別れに、涙する級友達の演技を真横で鑑賞した劇が終わり、彼女は書類上だけの小学生となっている。その肩書が明日、消えてしまい、新たな身分を貰うまで、数日間は飼育中の愛玩動物だ。


 彼女より3年早く生まれた兄が、波のような揺らめきある金髪の従姉を彼の部屋へ招いており、疎外感を抱いた短髪の女子、三中知羽みなかちはねは、1階の居間を占拠して、録画しているテレビドラマを鑑賞した。


 茶色のセーターと、白いプリーツスカートを組み合わせた格好が、休日の定番だ。締め付けは少なく、とても動きやすい。


 内なる感情を解放し、息子への単独接近禁止令を妻に命じられていた男が、近くの床で倒れている。先程、テレビの使用権を巡り、彼女と争うも股間へ前蹴りを受け、敗北した。


 ベージュのシフォンリボンで束ねている長い後ろ髪を揺らし、時折、床を何度も叩く。うつ伏せになっていた彼を彼女は心配する事無く、振る舞う。思春期の女子と父親の関係性が朝方の外のように冷え込んでいた。


 「今、脳裏にハラ軍曹の笑顔が浮かんでいるよ。もう僕は、種を蒔けないかも」


 その映画を観ていない彼女は、父親の発言の意図を汲めずにいる。ふと思い付いた空耳を返し、沈黙させた。かつて彼女も彼に心無い言葉を浴びせられ、不信感を抱く。


 「ウンコだ。捨てろ」


 テレビドラマの制作費を出している自動車製造会社のコマーシャルが流れ始めた矢先、スマートフォンの通知が鳴る。


 視線を机の上に向け、拾い上げて確認した。SNSアプリケーション、『LIFE』のメッセージを受け取っている知らせであり、送り主は母方の従姉だ。親指を画面に滑らせ、内容を表示させる。


 『コードネーム(クレオパトラ)が昨夜、敵の手により、連れ去られた。至急、鶴飛邸から救出せよ』


 『尚、拒否した場合、三中知羽捕獲作戦を予定される。これより、天沼矛あめのぬぼこ作戦、発動』


 ウサギのぬいぐるみの画像も送られた。茶色の毛をしており、脚が実際のウサギより長い。耳はしっかりと上に伸びている。これがクレオパトラの正体だ。


 拒否する選択肢が残されていないと諦め、彼女は返信する。休日の小学生を選ばないといけない状況が、人望の薄さを物語っていた。


 『このチハネ、外に出るに、人の手は借りぬわ!』

 

 知羽がリモコン操作でテレビの電源を切り、立ち上がると彼女の父親は両手を上げて喜んだ。ようやく立ち、リモコンを取る。演技か自然体なのか、仕草が男子小学生と変わらない。


 

 上着を着用し、玄関から出た知羽はいつも使っている自転車の元へ向かう。見覚えの無い白く、頬が豊かな女性の面をカゴの中で見つけた。それは『おかめ』と呼ばれている。


 恐らく、クレオパトラを持ち去った人物に、素性を知られない為の対策だ。その人物が、残酷な加虐性愛者である事を彼女は幼い頃、身も以て知った。


 8歳の誕生日に、父方の叔父から親カンガルーと、袋から顔を出す子カンガルーのぬいぐるみを貰い、翌日、盗まれてしまう。兄の幼馴染がその日に訪問している。鶴飛邸のどこかでぬいぐるみは、帰宅を待ちわびていた。


 自転車に跨り、漕ぎ始める。面が揺れると、下に隠れていた回転式拳銃と丸い火薬を包装している袋は、その姿を露わとした。彼女の兄がかつてこの玩具を使い、遊んでいる。


 目的地と少し離れた塀の傍に到着し、知羽は自転車を置いて、用意されている面を被った。そして、拳銃に火薬を装填し、小走りで進む。外の門から庭の様子を覗き込んだ。


 いつも小屋に繋がれている犬の縄が伸びており、誰かが愛犬を散歩へ連れて行っていた。この状況で玄関に入れば、中の住人に誰かの帰宅と勘違いさせられる。


 辺りを警戒しながら玄関の引き戸へ近付き、ゆっくりと開けた。地面に靴底を擦り付け、土を落としてから床へ上がる。見知らぬ住人の家で行えば空き巣だった。


 慎重に廊下を歩き、クレオパトラが閉じ込められていそうな長女の部屋に向かう。極力、音を立てず扉を開けると、中は無人だ。壁側にアップライトピアノが見えた。


 クレオパトラは、掛け布団の上に置かれており、丸く白い帽子らしき布を頭へ被せられている。側面の穴から長い耳を出していた。


 似たような帽子を被る海外の老婆が、クッキーの包装で描かれている。そのせいか、クッキーを振舞う老ウサギの印象を抱かせた。


 隣に親子カンガルーが横たわっている。しゃがみ、ぬいぐるみを片腕で抱き抱え、廊下へ戻ろうとした。しかし、不意に玄関から足音が聞こえる。


 使用する予定は無かった拳銃の撃鉄を下ろし、知羽が扉に体を委ねながら開ける。強硬手段しか選択肢は残っておらず、覚悟を決めた。


 「だ、誰?」


 廊下に立つ前髪が均等に切り揃えられている女子は、驚きのあまり、目を見開く。彼女に銃口を向けて、3発放ち、知羽が走り出す。火薬の音で怯え、ぬいぐるみ窃盗女子は、両耳を押さえながらしゃがみ込む。


 彼女の横を通り過ぎ、玄関に行くと、居間の扉が勢いよく開かれる。娘と息子を持つ家主の男だった。挨拶代わりに右手を斜め後ろへ伸ばし、また1発鳴らす。


 「うるせぇ! お前は花菱会の鉄砲玉かよ!」


 銃身を戸の格子に引っ掛け、乱暴な動作で開けた。後ろの引き止める声を無視し、自転車を停めていた場所まで走る。小屋に入っていたロットワイラーは知人と気付いているのか、退屈そうな表情で眺めた。


 家主の男が靴を履き、追いかけている事が足音で分かり、知羽は拳銃とぬいぐるみを自転車のカゴへ入れて跨る。後ろから火薬が鳴る音を聞き、すぐ振り向いた。


 反対側にいる同じ仮面を付けた女性は、銃口をこちらへ向けながら漕いでいる。謎の乱入者の存在に、門を出たばかりの家主の男が左右を何度も見て、戸惑う。

 

 追跡された場合を想定し、追手を攪乱させる囮が予め用意されていたようだ。何としても作戦を成功させる従姉の意思を窺えた。


 1速のまま、自転車を漕いで、ぬいぐるみ達に安全バーと座席の無いジェットコースターを堪能させる。時折、曲がり角で彼らの体が横に滑った。先程の発砲のせいか、体から火薬の匂いが少し漂う。


 追手を撒き、知羽は一旦、自転車を停めて、依頼主の従姉に報告する。目立ちやすい面を外し、上体を後ろへ伸ばす。


 『良くやったわ。これであの腐ったミカンも少しは懲りたはずよ。空き地で合流するわ』


 『クレオパトラがいないと、せっかく用意したイベントが台無しよ』


 1分もしないうちに返信が届く。指定された場所は、遊具を撤去してしまい、ベンチしか残っていない公園の残骸だ。かつて、それなりに賑わっていたが、すっかり子供達の足は遠のいてしまう。


 そこで行える催しがビンゴ大会か、近所迷惑を考えないバーベキューしか知羽は想像出来なかった。死なば諸共と思い、彼女の兄にメッセージを送る。


 『蚊帳の外がバーベキューするらしいから、パツキンの乳見て、鼻伸ばしてないで早く空き地来い』


 何か怒りを覚えてしまう光景を見たのか、スマートフォンを握る手が震えていた。彼と数年程、直接会話していない。

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