登山より下山のほうが大変
一五二八年(大永八年) 四月 尾張国 十川廉次
俺の家にあるフロア張りで十畳の離れには窓がない。
婆さんがこの離れは座敷童に逃げられないように建てたものだと言っていたが、タイムトラベルが実在したんだ。話半分に聞いていたが本当のことだったのかもしれないと、寝ぼけた頭で考える。
いや、本当にいるなら俺ん家の家計が火の車なわけないか。がっはっは。
それにしても戦国時代は小氷河期と聞いたことがある、実際に朝はかなり寒い。大野木さんにシュラフ貸したけど死んでないだろうな? あ、死んでくれたほうが後処理が楽なのか。シビアな時代だ。
くだらない事を考えながら離れの木戸を開ける。朝焼けが目に刺さる。
離れから出るとそこは社のまま。テントを見ると大野木さんは既に起床しており、自分で薪を集めて火をつけて暖を取っていた。やはり山の上でシュラフだけだと寒かったか。
「寒かったか?」
「はい、余りにも寒く。神山の枝を使い、火を起こしてしまいました。罰ならいかようにもお受けします」
「構わん。寒いのは生きている証拠、温まるのは生きようとする証拠だ」
もっともらしいことを言って煙に巻く。俺悪くないもん。あんな時間に迷い込んできた大野木さんが悪い。
とはいいつつ、罪悪感は多少なりともある。せっかくなので大野木さんにまともな朝食を食べさせてあげようか。
なんて思っていると、森の中から誰かの声が聞こえた。高い声、女か子供だろう。
大野木さんはバッと立ち上がって腰に手をやる。スカした。刀は社の中にある離れに預かってるからね。
「曲者やもしれませぬ! 十川様、某の太刀をお返しくだされ!」
「しばし待て。女か子供の声のようだから昨夜話した子供かもしれん。お主を狙う野盗なら大声など出さぬだろう」
とはいえ、違った時には困るために白ランのポケットに入れておいた催涙スプレーを右手に握る。カプサイシンを浴びせれば大野木さんが取り押さえてくれるだろう。複数人だとヤバいけど。
ガサガサと草を掻き分ける音がする方向を警戒しながら待つ、二人で臨戦態勢だ。
そんな俺たちの緊張を尻目にピョコっと草むらから顔を出したのは源太だった。俺の予想は当たっていたんだな。
「あ、今日も神様いた!」
現代人の思考としては、明け方に小学校高学年ぐらいの年齢の子が山の中にいちゃいけないと思ってるけどね。
大野木さんが警戒を解いていない、子供でも信用してないってこと? 侍って怖いわー。
「大野木、彼が件の子供だ。怪しいものではない故に警戒を解け」
彼は「はっ」と短く返事をして居直る。一方、源太はというと、遊びに来たのに武士がいたことに驚いたのか山の中に引き返して行こうとする。
「待て源太! 大野木はお主を獲って食ったりせぬ!」
彼はピタリと止まって木に身体を隠しながら。
「本当?」
「ああ、野盗に追われて山に逃げ込み二日も彷徨ったたわけだ。恐れるところなどないぞ」
大野木さんの背中を叩きながら笑うと、源太は一応は信用してくれたのかこちらへと歩み寄ってきた。大野木さんは釈然としない顔をしているが、源太の反応が武士に対する農民の一般的な態度なんだろうな。
「源太といったか? 某は織田弾正忠が臣である大野木彦太郎という。十川様のおっしゃる通り、勝幡城への道行がわからず困っておってな。
子供であるお前に城まで案内しろとは言わぬ。村まで某を連れていけ。そこにおる者に勝幡まで同行させる」
おお、ナチュラルな上から目線だ。封建制ってやっぱ立場が大事なんだねぇ。
とは言ってもすんなり納得できるわけもなし、源太がまだ少しビクついているからフォローをしてあげるか。
「源太。俺も村まで同行するので安心しろ。とりあえず朝餉だ、二人とも食うだろ?」
俺の言葉に、二人から間髪入れずに肯定の返事が戻ってきた。
一五二八年(大永八年) 四月 尾張国畔村 十川廉次
数時間前の俺をぶん殴りたい。
源太が山道と呼んでいた道は道じゃなかった。獣道から少しだけランクアップした程度のものだ。帰り道に迷わないようにトラロープで目印を付けながら獣道を下ったせいで、もう両足の太ももがパンパンだよ。
一応、挨拶代わりに俺と大野木さんがリュックサックに三十キロの米を背負い、源田には十キロの塩を源田が持っていた籠に入れて持ってもらった。これが大きな間違いだったんだろうな。俺だけは追加で役に立ちそうなものもリュックに詰めてるから地獄の下山だった。米と塩は二人にだけ持たせればよかったわ。
何はともあれ、俺たち一行は畔村に辿り着いた。もう寝たい。
俺の心が山行により折れかかっていると、田圃の畦道を駆け抜けてくる一人の子供が。
「にいちゃーん!」
「小夜!」
源太の妹だろうか? 俺と大野木さんが顔を見合わせる。彼は息を吐くように下山前に返却した刀に手をやっている。
「身内か?」
大野木さんの短い問いに対して源太は「はい」と返す。
「妹の小夜です。アイツが外に一人で出てるってことは家でおっとうたちが一休みしてます」
「それはいい。急ぎそなたの家に案内せい」
二人はスタスタと急ぎ足で小夜に合流して畦道に歩を進める。まって、置いてかないで。腰がもう限界なの……。
「ぐおお……」
源太宅である二室住居の床部分で、俺は突然の運動の反動で死にかけていた。
「おじちゃん情けない」
「おじちゃんちゃうわ!」
小夜が俺の面倒を見てくれている。八歳ぐらいの子供に介護される二十四歳……。世が世なら事案だな。
大野木さんは畔村を管理している地侍に事情を説明しに、源太とその両親は村人を集めに向かった。ここら一体は信定の支配下だから実質的に説明と言う名の命令だしな。俺を一人にしておくわけにはいかないから、村人集めの戦力にならない小夜ちゃんがクタクタの俺についてくれているわけだ。
「この村にはどれぐらいの人がいるんだ?」
「いっぱい!」
「そうか。飴食べるか?」
「なにそれ! 食べる!」
元気いっぱいだが建設的な会話ができない小夜の対応に困ったので飴玉で誤魔化す。子供は甘いもので釣るのが一番。
リュックの中に入れておいた缶入りのドロップスを取り出し、小夜ちゃんに手を出すように告げる。ニコニコ笑顔で手を差し出してきた彼女の手のひらに向けて缶を振る。
出てきたのは橙色の飴玉、オレンジ味だ。噛まずに舐めるよう彼女に教え、俺も缶を振って一つ口にそのまま入れる。む、ストロベリー味か。
「おいしい! 甘い!」
「そいつはよかった」
子供の笑顔ってのはどうしてこうも癒されるのだろうか。
この後、源太達が帰ってくるまで俺と小夜は何も得ることのない楽しい雑談を続けた。
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