せんキャン

 一五二八年(大永八年) 四月 尾張国 十川廉次


 着替えを終えて、戸口の鍵を外す。ガラリと戸を開けて外を見ると社の階段にボロボロになった侍が座り込んでいた。

 ランタンを左手に持ち、外に一歩進み出て大野木さんに声をかける。


「何用かな?」


「おお……、地獄に仏とはこのこと。

 某、津島への使いの折に野盗に襲われ命からがら逃げおおせましたが、遮二無二走り抜けて山に迷い込み、進む道も見失いました。

 どうか、某に救いをお恵みくださらぬか」


 あ、マジで神様かなんかだと勘違いしているなコレ。ラッキー。

 いい感じに手助けして神様に助けてもらったから生きて帰れたんすよって、生還者の冗談話にしてもらおう。


「あいわかった。だが、俺の目の前で帯刀することは許さぬ。腰の物は預かるぞ」


 刀の取り上げは抵抗すると思ったが、意外にも素直に脇差を俺に手渡した。

 それほどまでに切羽詰まっているのか。つか刀って脇差でも結構重いな。社の中の土間部分に脇差を立てかけて、リュックサックの中からペットボトルの水を取り出しタンブラーの中に注ぎ替えて大野木さんに渡す。


「水だ。一気に飲むなよ?」


「忝い!」


 一気に飲むなと言ったが大野木さんは無視をして飲み干した。


「これこれ。身体に悪いというのに」


「申し訳ございませぬ。身体が勝手に……」


 水分不足で身体がカラッカラなんだろうなぁ。

 気にしてなかったけど声が枯れてるし、長いこと山の中を彷徨ってたんだろうか。


「それほどとは、一体どれほど彷徨ったのだ?」


「二日ほどでございます。野盗どもの目をかいくぐるために行動していると山の中へ中へと……。

 失礼ですが、ここは何処になるのでしょうか。皆目見当もつかず、困り果てておりまして」


 津島近くの畔村から登った山の中だと大野木さんに教えると、彼はひどく驚いた顔で。


「畔村と言えば勝幡城より西、津島からは北西にある村だったはず……。いやはや困り申した、某はここらの山々に詳しくありませぬ」


 水を飲んで人心地ついたのか現状の把握を始めた大野木さん。武士ってのはすげーな。俺なら腹減ったって喚いてるよ。

 あ、そうだ。源太のことを教えてやるか。


「だったら丁度いい。数日のうちに畔村の子供がここを尋ねてくるはずだ。麓まで連れて行ってもらえ」


「おお! 渡りに船とはこのこと、全くもってありがたい」


 笑顔で喜ぶ大野木さん、津島に行くのはなにか重要な仕事だったのかな。どうでもいいか。

 それよりも、大野木さんに水は飲ませたが二日も飲まず食わずならば腹も減っているだろうし、軽く夜食でも作るか。


「大野木よ、これより湯を作る。身体をそれで拭うが良い。腹も減っておろうがしばし待て」


「湯を……、ですか? お気持ちはありがたいのですが、そのような手間をおかけするには……」


 社の階段下にガスバーナーとカセットガスコンロを設置する。それぞれのツマミを捻って点火すると、大野木さんは飛びあがって森の木に隠れる。十六世紀の人にとってこれらの道具は得体の知れないものなのだろうか。


「勝手に火が付くなど! よ、妖術ですか!?」

 

 技術です。人の手によるね。

 鍋とコッヘルを火にかけて二リットルペットボトルから水を注ぐ。その間にキャンプ用のテントを組み立ててしまおう。大野木さんを社の中に入れて朝まで過ごすわけにはいかないからな。昔使ってた二人用のテントを万が一に備えて持ってきておいてよかったわ。


「大野木、ちょっとそっち持ってくれ」


「は、はあ? 承知致しました……」


 大野木さんにインナーテントの端を持たせて準備を重ねていく。ランタンの明かりだけだとテントの設置しづらいな。

 薄暗い中、フレームをカチカチと重ねて骨組みを作っていく。大野木さんは俺が何をしているか理解できないらしく無言で作業を見つめている。俺も別に声をかけないので沈黙が場を支配する。

 意を決したのか、大野木さんが口を開いた。


「これは一体何を?」


「おまえさんの今日のねぐらを作ってるんだよ。社の中に入れるわけにはいかないからな」


「はぁ……、この布がねぐらに」


 半信半疑な大野木にランタンを持ってもらい手元を照らしてもらう。フレームを入れる穴が見えないからな。

 四方の穴にフレームの差し込みが終わり、見事にテントが出来上がった。あとはペグで固定するだけだ。


「おお、これは素晴らしい!」


「とりあえず今日一日はこれで凌げるだろ。固定するから手元を照らしてくれ」


 大野木さんは「ははっ」と畏まりながらペグダウンする俺の手元を照らす。本気で仙人かなにかと勘違いしてくれてそうだな。好都合だ、上げ膳据え膳で接待して信定が信用しないレベルの現実を押し付けてやるわ。





 一五二八年(大永八年) 四月 尾張国 大野木彦太郎定光


 野盗に破れ、付き人と離れた時には死を覚悟したものだが、いやはやどうして巡り会いとは何処に転がっているかわからないものだ。

 かようなことを思えることなど数刻前までは考えもしなかったな。

 テントとお教えいただいた天幕の一種は非常に優れたもののようで、野営の際の煩わしい虫らもほとんど侵入してこぬ故に過ごしやすいと来た。ここで経験したことは必ず弾正忠様にお伝えしなければならぬ。

 下賜していただいた食事も天に昇るような美味さであったな。名をカリィだったか。あのような食事をお与えくださるとは、まったくもって十川様は素晴らしきお方よ。


「それにしても、あの野盗ども……」


 私が津島に向かうことを知っておったような口ぶりであったな。

 不意を撃っての危害の加えよう、供廻りは全滅しておろうな……。せっかく殿が津島を抑えたというのに、それを妨害せんと何者かが手を回しておるのであろうか。今川か、それとも大和守らか……。回答は出ぬ。ともかく、一時も早く勝幡城へと帰らねば。

 十川様は子供がやってくるとおっしゃっていたが、明日の朝早くには出立して城に戻るべきだな。

 腹も満たし、安心して眠れる環境のおかげか考えも良くまとまるわ。

 ほんに、十川様に感謝をせねばな……。



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