55、処暑――豊作



 曼珠沙華まんじゅしゃげが彩る畦道あぜみちを、かかしのぶしつけな視線を受けながら歩く。暦たちの姿がはっきりしてきたところで、つばさは一人一人を指差してつらつらと説明した。


「遠目にもはっきり確認できたと思うけど、図体の大きいのは初候・綿柎開わたのはなしべひらく。君さ、綿の実って見たことある? あれが開くと綿が出てくるんだよ。それを収穫する季節ってこと。はい、ここで豆知識。〈綿〉は、〈わた〉と読むけれど、綿を製品化すると〈めん〉と呼ぶようになるんだよ。〈木綿もめん〉とか。

 彼は暦でいちばん体が大きくてね、パンパンに綿が詰まった実みたいだろうって、本人もよくネタにしてる。あとね、彼ってば年中浴衣なんだよ、暑がりでさあ。見た目からして相撲取りだから、みんなからは〈綿乃花わたのはな〉って呼ばれているよ。だけど昔、夏さま主催の相撲大会が開かれた時は、全然上位に食い込めなかったんだよ。虫も殺せないくらい優しいからね。


 隣でふらふら動いているのは次候の天地始粛てんちはじめてさむし。あだ名は〈天地てんち〉。暑さを静める暦なのに冷え性でさ、ずっと夏でいたいーって、寒くするのを渋るんだよ。綿乃花は早く快適に過ごしたいから、よく二人でぶつぶつ言い合ってる。水始すいし虫坏むしふさみたいに派手な喧嘩はしないよ、処暑しょしょさまはお強いからね。


 そして末候・禾乃登こくものすなわちみのる――ああ、いたいた。彼女ってば、あのとおり稲穂と同じ黄金色の髪の毛だから、この季節になると同化しちゃって、探すのが大変なんだよね。名前もそうだけど、まさに稲穂のための暦ってわけ。元気いっぱいのいい娘だよ。くノ一みたいな着物が似合っていてかわいいし。僕らは〈禾乃かの〉って呼んでるよ。梅子やほたると仲良しで、好みのタイプは夏さまだって。彼女に惚れたら、まず日焼けから始めてみればいいと思うよ」


 つばさの解説は兄とは違いかなり主観を交えてのものであったが、仲間に対する親しみが込められていて、雀は好ましく思った。


 袖なしで丈の短いピンクの着物の下にグレーのジャージを穿き、生成きなりの前掛けをした金髪の少女がこちらに気づいた。緑色の大きな目がこぼれ落ちそうなほど見開かれ、満面の笑みで刈りたての稲穂を振った。


「えっ、やば! つばさじゃーん! 遊びに来たの?」

「やっほー、禾乃ちゃん。稲刈り始まったんだね」

「そうだよー! 見て見て、やばくない? 今年はこんなに! 豊作やば!」

「うんうん、僕もそう思ったよ。禾乃ちゃんの新米でお米を炊くのが楽しみだなあ。また今年もピクニックしようね」

「マジで? やばーい、うれしい! つばさのおにぎり、めっちゃおいしいもん! 食べ過ぎて太ったら、つばさのせいだかんね!」


 来客に気がついた処暑の面々が手を止めて近づいて来た。全員ほかほかと汗を掻き、前掛けが土や泥で汚れている。


「後ろの子は誰だい? もしかして……」


 丁髷頭ちょんまげあたまの綿乃花がもっちりと雀に会釈した。「雀くんかな? はじめまして、綿柎開です」


「雀くんだって? どれどれ」


 ひょろひょろと頼りない歩きは天地である。ヒツジみたいなくるくるパーマで中性的な声と顔立ちをしているが、どちらかと言えば男に見えなくもない。前掛けだけでなく、トンボ柄のもんぺや頬にも土をつけていた。


「わあ、こんにちは。新米を食べに来たの?」


 雀はとんでもないと顔の前で両手を振った。


「いえ、今日は秋の宮の見学とご挨拶で……」

「やっと来たのか。遅かったね。うちの任期はとうに終わっちゃったよ」


 やわらかいハスキーボイスが綿乃花たちの背後からした。姿を現したのは、高身長にオーバーオールを着、オレンジ色の髪を後ろで一本に結び、目もとのきりりとした格好いい女性であった。


「処暑さま、お忙しいところすみません。今年の収穫はいつもよりちょっと遅いんですね」

「ああ、あんまり良い稲だったから、しばらく風に抱かせていたんだ。ここは下界と違って台風を恐れる必要もないし、黄金の大海原が波打つ様は今しか楽しめないからね。君たちに見てもらえてうれしいよ。さて、せっかくだから天地視書てんちししょを開こうか」


 処暑は天地視書を唱えながら、稲田に向かってさっと腕を一振りした。


 たちまち稲穂から金が抜けていく。刈り取られ、その場に交互に寝かされたままの稲や田の土に至るまで、稲田のすべてが無数の見知らぬ土地を映し出す。


「夏季の小満しょうまんの所は見たんだろう? あそこの天地視書は大変だけど、うちはこれで済むんだよ」


 処暑が笑うと、八重歯がちょこんと顔を出した。目もとが和み気安い印象になる。


「質問してもよろしいでしょうか」


 雀の挙手に処暑がどうぞと促した。


「刈ってしまったら、天地視書が使えなくなってしまいませんか?」

「よく見なさい」


 処暑はかがみ込んで土に触れた。映像のケヤキ並木に波紋が起きた。


「稲ではなく、田そのものですか?」

「そう。苗や稲はもちろん、ひび割れた土でも使える。うちの者は屋内にいるよりも、外に出るほうが性に合っているんだよ。同じ畑でも、秋分の所は曼珠沙華の花そのものだから、天気の悪い日に外に出ることをいやがって、花を壁に描いているよ」


 雀はしかつめらしく首肯した。


「秋分さまが毎日土いじりしている姿は、ちょっと想像しにくいですもんね……」


 その場にいた全員が吹き出した。とりわけ処暑が大笑いして、雀は秋分に申し訳なく思いつつもにやりとした。


 天地視書が消えると、稲穂のささやきと共にスズメが数羽飛んできた。処暑はそれを目で追い、「哀れだな」とつぶやいた。


「追い払う気にもなれない。地上のスズメの数がずいぶん減った。飢えに苦しみ、こちらに来てまで取り憑かれたように食料を求めている。早く君が雀始巣すずめはじめてすくうになることを願うよ」


 チュンチュン、豊富な食料を前に歓喜した小さな姿が雀の胸に迫った。


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