24、タカとオオワシ



 見舞いを終え、玄鳥至つばめきたるは雀を連れて、肩で風を切りながら濡れ縁をずんずん進んでいた。


「つばきさん、待って。速いんです、足が。おれ、ついていくのが……」


 はっとして玄鳥至が急停止すると、雀はその背中に衝突し、鼻を押さえて涙目になった。


「すまん、気がつかなかった」

「いえ……。温風あつかぜさんのことですか」


 直球だ。野球で言うなら雀の球種はストレートのみ、それもど真ん中に投げ込んでくる。


「温風は、忘れられることをおそろしいと言った」

「そりゃそうですよ。おれだって身近な人たちに忘れられるのは怖いです」

「俺は怖くないのだ、前にも言ったが。それを温風は怖いと言う」


 空に限りなく近いあの場所で、温風は何を思いながら床に臥せっているのだろうか。

 感傷に浸る玄鳥至とは違い、雀の返答は軽かった。


「おれ、思うんですけどね、温風さんはこのまま自然に任せていたほうがいいんじゃないですか」


 一球目はストライク、二球目はデッドボールだった。


「……よくわからない」

「意図した時期に風を送らなくていいと思います。それで頭に熱がいっちゃうなら、何もしないほうがいいですよ。だってそのせいで、地上は寒すぎたり暑すぎたりしているんでしょう?」


 無神経な黒い瞳に怒りが湧いた。教育を怠った己を叱りたい。


「暦に、任期に仕事をするなだと? それこそ存在価値がなくなってしまう」

「誰のための仕事ですか?」


 あまりのことに二の句が継げなくなったが、玄鳥至はすぐに気を取り直して厳かに言った。


「自然界を円滑に動かすためだ。そう神が定められたのだ。我らは季節を動かすために生み出された」

「そうかなあ……」

「どういう意味だ」

「だって、じゃあなんで神さまは温風さんを助けてくれないんですか。これじゃまるで、温風さんも消えていいみたいな――」


 雀はあっと顔色を変えてうつむいた。


「すみません、おれ、この世界のことを全然理解してないくせに……。余計なことを言いました。あの、だから……そんなに怖い顔をしないでください……」


 玄鳥至は自分の頬に片手をあてた。菜虫に見られたらまた女の子の仕草だと笑われそうだ。


「悪い」

「違うんです、おれが……」


 言いさして、雀は自嘲気味に笑った。


「他人を傷つけるようなことを言ってしまいやすくて。そんなつもりは全然ないんですけど、よく今のつばきさんみたいな顔をさせてしまう。気をつけているのになあ、またやっちゃったなあ」

「そうなのか? お前が誰かにそんなことを言う場面を見たことがないが」


 二人のあいだを突風が駆け抜けた。雀の焦げ茶色の髪が顔の周りでめちゃくちゃに踊り、呆然とした顔はいつもよりさらに幼く見えた。


「あれ……? おれは誰を傷つけたんだ?」

「俺はお前の前世が知りたいよ」


 雀は視線をさまよわせ、「……おれもです」と谷底に落とし――そのまま止まった。


 雀が下を凝視している。目線の先を追うと、谷底から何かがぐんぐん上がってくるのが見えた。タカ――否、闘牛のようにガタイのいいオオワシである。背に誰かを乗せている。


 鳶色とびいろの髪が鞭のように空を打ち、鷹乃学習たかすなわちがくしゅうすは一気に昇り詰めて二人と視線の高さを同じにすると、黒スーツの胸ポケットからトレードマークの赤い眼鏡を取り出してかけた。


「迎えに来たわ」

「ありがとう。それには三人乗れるのか」

「見てわかることを聞かないでもらえるかしら。一人で定員オーバーよ。あなたはツバメに変化へんげしてちょうだい」


 ぴしゃりと言って、鷹乃たかのはワシを濡れ縁に乗り入れた。パンツスーツで身軽に飛び降り、手に提げていた麻袋を雀に持たせて脇へ退く。袋の中を覗くと、城の入り口で玄鳥至と雀が置いてきた下駄だった。


「じゃあ、私はこれで」

「一緒に行かないのか」

「ご存知のとおり、うちは今、私しかまともに動けない状態なの。小暑しょうしょさまはご老体でもしっかりなさっているけれど、部下の穴を埋めていただくには及ばないわ。そんなの、私のプライドが許さない」

「それを啓蟄けいちつさまが聞いたら、泣いてうらやましがるだろうな」

「他所さまなんて知ったことですか。うちはこの私がいる限り、確実に暦を回してみせる」


 鷹乃はスーツのポケットから銀色のバレッタを取り出すと、散らばった髪を器用にまとめ上げた。


立夏りっかまでの道なら教えてあるから大丈夫よ。じゃあ、また」

「ちょ、ちょ、ちょっと待っていただいてもいいですか?」


 動揺のあまり声をひっくり返らせながら、雀は巨鳥を指差した。


「あの、えっと、おれ一人でこのタカに?」

「ワシよ。体が大きいものはタカではなくワシと呼ぶのよ。もちろん一人よ。そういう会話に聞こえなかった?」

「聞こえました。無理です。一人でなんて……」


 鷹乃はイライラと半歩戻った。


「ねえ、私は今、すごく時間を無駄にしているの。ぐだぐだ言うひまがあったら、まずやってみなさい」


 かちんときたらしい雀も負けず劣らず険しい顔をした。


「せめて乗り方を教えていただけませんでしょうか?」

「私がさっき乗っていたのを見ていなかったの?」

「はい? 見てましたけど……」

「見ていなかったのね」


 鷹乃は鋭いまなざしで雀を見据えた。


「仕事は見て覚えるものよ。全部教えてもらえるなんて思わないこと。勉強っていうのは、真面目に紙面に向き合うだけのことを言うんじゃないの。進んで先達の真似をなさい。そして行動の理由を考えなさい。勉強とはそういうものよ」


 言うだけ言うと、鷹乃は今度こそ去っていった。一秒たりとも無駄にできぬという足取りであった。


 残された雀の顔は熟した唐辛子のようになっていた。


「なんなんですか、あの人!」

「暦一仕事のできる女、鷹乃だ」

「あの人、あんまり他人に好かれないでしょう」

「俺はやりやすい相手だと思っている」

「無理だ。おれはあの人無理だ」

「『みんな仲良く』はどこへ行った?」


 雀はますますへそを曲げた。


「だって、言い方ってもんがあるじゃないですか。だいたい、命の危険があるものに関しては、手取り足取り教えてくれてもいいと思いますけどね」

「気持ちはわからなくもないが、あの無駄を削ぎ落としたスタイルは楽でいいぞ。言っていることも正論だしな」

「正論でも、言い方によって相手に聞き入れてもらえないなら、損じゃないですか」

「それも一理あるが……」


 玄鳥至は鷹乃が残してくれたオオワシの首をなでた。見た目どおり羽毛が硬い。オオワシは理知的な黄色い瞳でキロリと玄鳥至を見た。


「何事も受け取り手次第というものさ。お前には合わない、それだけだ。俺はそれをたしなめたりしない。合わないなら、合わないなりにやっていけばいいんだよ」


 虚をつかれたらしい。雀は自然と持ち上がっていたこぶしを下げた。


「叱らないんですね」

「俺だって苦手な者はいる」


 思い浮かぶ顔があるのだろう、雀の渋面にじわじわと笑いが広がった。玄鳥至は鼻を鳴らした。


「仲が良いに越したことはないが、無理して全員と距離を縮めなくたっていい」

「はい、わかりました」


 すっきりとした返事に、「ちなみに」と玄鳥至は口角を上げる。


「鷹乃は数羽オオワシを手なずけているが、こいつはその中でもいちばん穏やかで頭のいいワシだ」


 雀は目を見開くと、恨めしそうに口を尖らせた。


「それを早く言ってくださいよ……」

「乗れるか?」

「背中にしがみつけばいいんですか?」


 雀の言葉を聞いたワシが少し翼を広げて体勢を低くした。


「……どうやらそれでいいらしいな」


 雀はえくぼをつくってワシの背にうつ伏せに乗り、鷹乃がそうしていたように、太い首に腕を回した。


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