15、歓迎会にて



 雀は清明せいめいの部屋へ入るやいなや人攫いにあった。頭に麻袋を被せられ、おおとりの鍛えられた肩に米俵の如く担がれる。雀は反射的に暴れかけたが、すぐに悟って米俵を演じきり、鴻をちょっぴりがっかりさせた。


 会場は雨水うすいの仕事部屋の奥庭だった。景色は天から落ちるレースカーテンのような滝で遮られている。庭は苔の黄緑が色鮮やかで、それらを眺めるテラスに設置された長机の上には真っ白なテーブルクロス、その白を覆い尽くさんばかりに置かれているのは、立春りっしゅんをはじめとした料理好きの面々が腕を振るった大ご馳走だ。


 滝は雨水の天地視書てんちししょである。雨水が命じると、あらゆる景色がひとつに溶け合い、滝全体がどこかの梅林を映し出した。白や紅や桃色の梅花が滝を通して香りを運び、花鳥風月ここに極まれり、春の宴の真骨頂を演出した。


 春季の暦全員がそろっていることを確認し、春が開始の合図として羽衣を振ると、そこから本物の梅花が飛び出して、くるくる回りながら宙を浮遊した。促されて雀がもじもじしながら短く挨拶を述べ、お祭り母さんモードの立春が乾杯の音頭を取る。一斉にグラスやお猪口が持ち上がり、心洗われる滝の音に浮かれた声が重なった。


 雀はすぐに土脉つちのしょう草木くさきや苗に身柄を拘束され、玄鳥至から無理やり引き剥がされた。緊張に目が回りそうであったが、それでも暦たちからかわるがわる声をかけられるたび、いじらしく一生懸命受け答えをした。



 あっという間に時が過ぎ、辺りはすっかり夜の帳が下りている。酔い潰れた者、会話を楽しむ者、酒と肴を際限なく口に運び続ける者、静かに滝を見つめる者――めいめい好き勝手に過ごす中、玄鳥至つばめきたるは一人パイプ椅子に腰かけて、雫が夜空の星のように散らばる苔庭を眺めていたが、今宵の主役がふらふらとこちらに近づいて来ることに気づき、労いの言葉をかけた。


「おかえり。ここで休むか」

「はい。すみません……」


 雀は手近なパイプ椅子を引き寄せて沈み込んだ。


「お腹がパンパンで、苦しいんです……」

「室内のソファで横にならせてもらったらどうだ」

「初日にそこまで厚かましくはなれません……」


 こいつならそうだろう。玄鳥至は再び庭に視線を戻した。すると苔を踏まぬようひらひら浮きながら、こちらに向かってくる者がある。


菜虫なむし、午前は災難だったな」

「ほんとうに」


 菜虫は恨めしげに室内をめつけた。


「あの二人をどうしたらいいのかしら。私はもうお手上げだわ」


 虫啓むしひらと桃は飽きもせずぴっとりひっついている。一人がけソファに虫啓が座り、その足に桃が乗っかって、互いにデザートの抹茶プリンをあーんするところまで見て、玄鳥至は目をそらした。


「磁石でも飲んだらしいな」


 玄鳥至の冗談に菜虫は笑おうとしたが、少し頬を動かしただけで視線を落とした。


「虫啓も桃も、亥神いのかみさまにはねられてからおかしくなってしまったわ。仕事とプライベートを混同して……。どうして離れられないのかしら」

「それは……」


 玄鳥至は言いよどんだ。


 ――暦は入れ替わる。


 もしそうなったとして、菜虫はどう感じるだろうか。いや、感じたところですぐに忘れてしまうだろう。


 ――そのほうがうまく回るのだ、俺たちの仕事は。


 余計な感傷は暦に必要ない。暦は上界の神々に定められたとおりに働くものだ。なぜならそのためにつくられたのだから。――そう思っても、どこか違和感を拭えない。そしてその違和感を追おうとすれば、たちまち思考が朧になる。


 滝に映し出された梅は天国のように咲き誇っている。見事な梅林だ。夏季の七十二候、梅子黄うめのみきばむお気に入りの庭園ではなかろうか。



 菜虫はいつの間にかいなくなっていた。雀は頭を深く垂らして、あの印象的な黒目を青白いまぶたの下に休ませている。


「雀くん、眠っちゃったね」


 菜虫がいた位置に、今度は派手な同僚が立っていた。毛先をピンクに染めたふんわり金髪ショートヘア、耳には紫のピアスを光らせ、唇をオレンジ色のルージュで彩り、水の入ったグラスを持つ爪は明るい緑だ。


虹始こうし、今日は俺のツバメたちを見てくれてありがとう」

「一日くらいなんでもないよ。ボクはいつでも虹を出せるし、のんびりしたもんさ。君と鴻は渡り鳥たちのお世話だからね、目を離せなくて大変だよね」


 虹始は「ああ、飲み過ぎた」とグラスの水をごくごく飲み干してから、


「ぷはあ。春さまからのご伝言だよ。雀くんの部屋は、前任の雀始巣すずめはじめてすくうの部屋を使うって。つばき、近かったよね?」


 もぞもぞと雀が動いた。首が痛かったらしく、小さなうなり声を上げて重い頭を持ち上げた。


「ごめんなさい、おれ寝ちゃってた……」


 虹始はよしよしと雀の頭をなでた。


「ねえ、雀くん。今日はもう部屋に戻って休みなよ。つばきが案内してくれるから」

「でも、皆さんにご挨拶しないと……」

「だぁいじょうぶ。見てみなよ、ほら」


 テラスや部屋には屍がごろごろ転がっている。立春や雨水などの良識ある数名が机の上を片し始め、あしは使命感に満ちた表情で残った料理をタッパーに詰めていた。


「じゃあ、後片づけを……」

「それも大丈夫。君は今日の主役なんだから。でも、次からはぜひお願いするね」


 雀は虹始の洗練されたウインクに押され、ありがたく頭を下げた。


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