12、穀雨(その2)――サプライズとは



「つばきが新しい子をいじめてる」


 雀の後ろから舌足らずな声が転がってきて、玄鳥至つばめきたるは顔をしかめた。


 声の主が誰かはわかっている。驚いた雀が脇に退けば、まず黄緑色のハートのお団子頭が目に入った。五、六歳で、お稚児さんの格好をした娘である。うすいレモン色の瞳が責めるようにじぃっと玄鳥至を見上げた。


「……なえ……」

「初日から新人いびりをしてる」

「違う。苗、話を……」

穀雨こくうさまあー!」

「ああ、くそっ!」


 パーッと駆け出す幼女の腕を捕らえ損ない、玄鳥至は盛大に舌打ちした。


「あいつは厄介だ。追うぞ」


 そう言って給湯室を飛び出したが、一向に雀がついて来ない。やむなく急かしに戻ると、少年はうつむいて肩を震わせていた。


「ど、どうした?」


 飛び出す時にぶつかりでもしただろうか。雀の腕を掴んで顔を覗き込む。雀は拒絶するようにそっぽを向いた――頬の愛らしいくぼみが玄鳥至の眼前にさらされた。


「いや……だって、つばきさんでもそんなふうに焦ったりするんだなって思ったら……すみません、だめだ、可笑しい……」


 玄鳥至はいよいよ大きく揺れ始めた体から手を放し、額を押さえて深々と息を吐いた――上がった口角を隠そうとは思わなかった。


「その笑顔を次の部屋の奴らに見せてやってくれ。今頃彼女が吹聴して回っているだろうからな」

「はい、わかりました。あんまりうまく笑えなかったらすみません」

「お前……いや、君……ええい、お前でいいか。けっこう言うよな」


 雀はわずかに動揺したが、情けなさそうに微笑んだ。


「そうですね……よく言われます。抑えなきゃって思うんですけど、なかなかできなくて。つい、ちょっときついことを言ってしまうんです。だからあんまり言葉にしないように気をつけていて……」


 そこで雀はふっと穏やかな表情をした。


「さっきの春分しゅんぶんさまの言葉には驚いたなあ。自然に生きなさい、って。おれ、なるべく感情を隠して生きてるから……」

「そうか? 俺はわかりやすいと思ったが」

「そんな感じがしてました。つばきさんには見抜かれていそうだなーって。でも、そんなことを言われたのははじめてだ。他の人に見抜かれたことはないんだけどな。なんとなく、おれもつばきさんは話しやすいです。こういうの、なんて言うんでしょうね。……相性? なんて。ははっ」




 ――君とぼくは相性がいいんだね。




「……そうだな。俺もそう思うよ」


 雀は驚いた顔をしたが、タンポポがぽんと咲いたような今日いちばんの笑顔を見せた。


「――なんだ、仲良くしているじゃないか」


 急に割り込んできた別の声に、雀は文字どおり飛び上がった。玄鳥至は相手に背を向けているのをいいことに、たいへん苦い顔をした。


 布の廊下に、四十前半くらいの男――青緑の長い前髪が目を覆い隠しているため年齢がわかりづらい――二十四節気、穀雨が腕組みをして立っている。


「苗、話が違うぞ」


 苗――霜止出苗しもやみてなえいずるは穀雨の後ろからひょっこり幼顔を覗かせた。


「あれえ? もしかして今の隙に雀ちゃんを買収――いったあーい!」

「見た目が幼いからと言って俺が容赦すると思うな」


 今度は逃がさず頭のハート団子をわし掴んで左右に揺すると、苗はキイキイ叫んで不届きな腕をひっかいた。


「はなしてぇ! ひどい、ひどいよぅ! うわあああん」


 見かねた雀が反対の腕に飛びついた。


「ストップ、つばきさん! こんな小さな女の子に、なんて大人気ない……」

「今後のためにも教えておく。相手の見た目に騙されるな」


 すると横から細い指が伸びてきて、苗を掴む腕にそっと触れた。


「まあまあ、その辺で」

牡丹ぼたん

「この子の髪を結うのはアタシなのよ」


 握り心地のよかったそれを放すと、苗はほつれてボサボサになったお団子をぶよぶよ揺らしながら、同僚・牡丹華ぼたんはなさくの腹に泣きついた。


「牡丹ちゃーん、つばきったらひどいのぉ」

「はいはい、すぐにちゃんと結い直しましょうね」

「どうしてほたるや桐花きりかはこんな男を良いと言ってるのぉ?」

「やかましい」


 玄鳥至はまだぶつぶつ言う苗には構わず、先ほどよりもこちらと距離をとっている穀雨に向かって、


「穀雨さま直々にお出迎えいただき、恐縮です」


 穀雨は目で表現できない分、口をぽっきりへの字に曲げた。


「俺もさっき、君に出迎えてもらった。攫われた、と言ってもいい」

「その節はたいへんお世話になりました。啓蟄けいちつさまはもう業務に戻られましたか」

「君が新入りを連れてさっさと逃げ去ったからな。始末書に集中できて、さぞかし実りある時を過ごせただろう」


 そして、と穀雨は踵を返す。


「俺は啓蟄のように、天地視書を暦でもない者に触らせるつもりはない。案内は最低限だ。任期がすぐそこまで迫っている俺たちは一分一秒が惜しい。それをたかだか候補者のために、サプライズ歓迎会を開くなど……しかもこの俺に、くれぐれも新入りにはばれぬようにと何度も何度も……清明せいめいめ、そんなの言われなくとも俺だって……」

「穀雨さま、言っちゃってます。お一人でサプライズしちゃってます」


 牡丹に言われ、穀雨はあっと口を開けたが、またへの字に戻して何やらもにょもにょ動かすと、決まり悪く朝剃ったひげの新芽をなでた。


「まあ、その、とにかくだ。さっさとうちの部屋を案内して、清明に受け渡したい。べ、別に、そこから会場まで案内するのが清明だからではないぞ。つばきの属する部屋に戻るのは自然なことだろう」

「はい、はい!」


 これ以上ぼろを出される前に! と牡丹が手を叩く。


「さくっと案内しましょう。まずはお部屋へ。さあ、雀くん、ついてきて」


 雀は非常に気まずそうであった。


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