第38話 ワイバーンを求め


 仁那は裏口から出ると、そっと林の方を目指す。

 この時間はたまに近隣の人たちが裏で洗い物などをしているときもあるが、今は誰も居ない。それでも変身した姿を見られるわけにはいかない。


 そのまま敷地の外に出て林の奥に入ると、仁那は腕輪に手を添える。


「開錠」


 その一言で変身は始まる。


 背中がカッと熱くなり、その熱が体中に広がっていく。

 服が鎧に置き換わり、髪は赤く燃えるように変異する。いつもと同じだ。


「ふぅ……」


 変身が完了した仁那は、目的の山に向けて走り出す。

 瞬く間に林を抜け、村の囲いを一飛で超えていく。


 その姿を目にしたものは居なかった。



 ◇◇◇



 ギルド職員は、手分けをして村で冒険者登録をしているものに声を掛けていく。

 一応は戦える者を、と思っていたがあまり贅沢はいっていられない。対象の魔物はワイバーン。この村に銀級の者などいないが、兼業では合っても長く依頼をこなしていたため銅級の冒険者は居る。そんな冒険者達がすぐに十人程の冒険者が集まった。


「俺達にはワイバーンを倒すのは無理だぜ」

「分かっています」

「まったく、テオの野郎。いつまでも手を焼かせやがって……」

「とりあえず行けるところまでで構いません、テオもワイバーンの姿を見れば無理だと気がつくはずです」

「ああ、見て逃げてくるだろうよ。そしたら首根っこ抑えて引きずってくるわ」


 狭いギルドの事務所に入りきれず、建物の前で職員が説明をしていた。

 危険だと分かっている依頼だが、断ろうとするものは居ない。十年ほど前のゴブリンの事件でテオの両親も冒険者として先頭に立って戦った。二人は生きていればナヴァロと同じ様に英雄として尊敬されたであろう。そんな働きで村を守った功労者の一人として認められていた。


 村人にとっても、テオは恩人達の大事な子供でもあった。


「弓を使えるものは配りますので手を上げてください」


 ワイバーンの様な翼を持つ魔物は、剣や槍だけではどうしようもない。ギルドでは緊急用に弓と、属性魔法が練り込まれた矢が用意してある。

 個人でそんな矢を使おうと思えば、簡単に赤字になるような矢だ。そんな強力な武器を渡された冒険者たちはこれならなんとかなる、そんな希望が芽生える。


「あくまでも緊急用に使ってください。戦わずテオを連れ戻せるのならそれが一番ですので」

「分かってる。冒険者は死なないことが一番大事なんだ」

「ま、俺達が冒険者なのか農家なのか微妙なところだけどな」

「くっくっく。ちげえねえ」


 危険な任務を前にして、男たちは軽口で応酬する。それも恐怖で身体が動かなくなる事が致命的だと知っている冒険者ならではのやり方でもあった。


「任せろ、きっちり連れて帰るからな」


 男たちは口々に誓いを立て村の門をくぐっていく。




 ◇◇◇



 テオは山を登りながら、いつも以上の息苦しさを感じていた。

 これからの戦いに緊張しているのもあるだろう。


「ビビるなよ、俺……。ビビったら負けだ」


 そう言い聞かせながら進んでいく。目指すスヴァル山はこの山の山頂から稜線を進んでいった先にある。まずは山頂まで行かなければならない。

 これまでこんな山奥まで一人で来たことなど無い。そこまで村から離れれば出て来る魔物もだんだんと強くなってくる。ワイバーンより先に、そんな魔物に殺られてしまっては元も子もない。


 テオは、腰の剣に手を添え、慎重に進んでいった。


「確か、マンドラゴラの群生地は稜線の北側だったな……」


 知らず識らずの内に独り言をつぶやいている。


 森の中の様々な音が耳に飛び込んでくる。葉擦れの音、鳥のさえずり。その全てが自然の音だ。人間らしき音もなく、いつ魔物に襲われるか分からない状況に、次第に不安な気持ちも膨らんでいく。


 やがて警戒をしながら山の中を進んでいくが特に魔物に合うこともなく山の山頂までたどり着く。

 少し開けた場所で腰を下ろし息をつく。 


「この先か……」


 昨日聞いた話だと、ワイバーンはこの先で見かけたという。稜線の先に目をやるが辺りは静まり返り魔物の気配などもない。

 心地よい風に吹かれ、汗も引いていく。やがて息を整えたテオは意を決して立ち上がる。そしてそのまま稜線を慎重に進んでいった。


 ……。


「いない……のか?」


 稜線を渡りきり、スヴァル山の山頂あたりにたどり着くが辺りには魔物の姿が見えない。これでワイバーンが寝ていてくれていればラッキーだなと、テオは慎重に木々の間を覗き周りを伺っていく。


 稜線はそのまま隣の山の方まで続いている。


「……行くか」


 がけ崩れでもあったのだろうか、稜線の北側は鋭く抉られており歩ける場所も細い、そこを慎重に進んでいく。

 ここまでくれば、テオにとっても未知の領域だ。隣の山との間は少し離れており、稜線はドンドンと下に下る感じになっている。しばらく進むと平らな場所に出た。


 テオの心のなかに、そろそろ諦めの気持ちも芽生えだす。


「もう……居ないのかも」


 引き返すことも頭によぎる。立ち止まり、なんだかホッとしたような、それでいて残念な気持ちの中後ろを振り向いた時だった。


 バサッ。


 強い風が起こる。


 テオが慌てて振り返ったその空に、一匹の魔物が翼をはためかせこちらを見つめていた。

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