21.「夢と現」、それから⑤ 〜イツキの話~
父さんとのふたりきりの暮らしに、おれはあっさりと馴染んでいった。
まあ、当然といえば当然なのかもしれない。
記憶のあるなしに関係なく、ここ数年の間、父さんはおれを息子として接してくれていた。おれのほうだって、記憶がなかったときでも、師範である父さんのことを実の父のように慕っていた。
記憶が戻ったことで変わったのは、日常に交わす会話の内容くらいだろう。
重い病で亡くなった母さんをいっしょに偲んだり、父さんの酒に付き合ったり、ただの小間使いだと弁えていた父さんの繊細な過去の生活にそっとふれていくことで、おれたちは家族として空白だったところを少しずつ埋めていった。
おれが寺から逃がした子たちは、たまに道場に遊びに来てくれる。
いまの暮らしぶりの訊ねてみると、「朝はお勉強をして、お昼ごはんを食べたらお昼寝をして、それから遊んで」と、にこにこしながら教えてくれた。
みんな一様に闊達で、顔色も良い。彼らが身を寄せているところが、彼らのあたたかい家になりつつあるのだろう。そう思うと、じんわりと心が温もった。勇気を振り絞って、本当に良かった。空回りの勇気ではあったけれど。
宝への嫁入りを断ったことを伝えると、父さんは以外にも喜んだり安堵したりすることなく、ひたすらにおれのことを案じてくれた。
「いますぐに、という話ではなかったのだろう? もう少し、話し合わなくてよかったのか?」
「うん。どちらにしろ、おれの気持ちは変わらないからね」
たったひとりの家族を置いてはいけないから、とは言わなかった。言わなくても、なんとなく伝わってしまっているのがつらかった。
父さんは、おれにもっと何か言いたそうにしていたけれど、おれはあえてそれに気づかないふりをしてやり過ごした。何を言われても、気持ちも結果も変わらない。この話題に、もうふれたくなかった。
別れを告げたあの日の夜から、宝はおれの前からぷっつりと姿を消してしまった。
異形の世界に戻ってしまったのか、それともまだヒトの世界にいるのか。
おれの気持ちを理解してくれたのか、宝の気持ちはどうなのか。いまのおれには、何もわからない。
宝に会いたい、探しに行きたいとは思うものの、なんとなく、探したら見つけてしまいそうな気がして、そうやって見つけても、今さら彼にかけるべき言葉がわからなくて、だからおれは、自分の感情に目を瞑って、宝を想う気持ちからこっそりと逃げまわるしかなかった。
おれってやつは、本当にくだらなくて、仕様もない男だ。おれなんかをヨメにしなくて正解だ、おれは宝に相応しくなかったって、何度も心から思った。
そう思うことで宝という存在から目を背けているのだと気づいてはいたけれど、彼のことを諦めるためには自分を呪うことしかできなかった。
世の中は相変わらず暗く、不穏だった。
市中よりも山に近い家のものが狙われやすい、というのはただの風聞だったようで、町も田舎も関係なく、ぽつぽつとヒトが消え続けている。
途切れない犯行に大衆は恐れをなして、最近は昼日中でも表にでてこないヒトが多くなった。
家の中に居れば安全、というわけでもないのは重々承知しているのだろうが、家の中にこもりたくなる気持ちはおれにもわかる。
血の痕は残っているのに遺体は見つからないという話は本当だったようで、この一連の事件が異形の仕業であることはほぼ確定であるらしい。
とはいえ、捜査の進展は捗々しくなく、その異形を捕らえる目処は立っていないようだった。
そもそも、異能を持つ異形が相手となると、並みのヒトがどう頑張ったって歯は立たない。鍛えるだけ無駄だと悟ったヒトたちが次々と道場を辞めていき、うちでは再び閑古鳥が鳴きはじめていた。
おかげでまた暮らし向きは厳しくなったけれど、境界の記憶が戻った今ではなんてことなかった。
思えばおれは、記憶がないときから貧乏暮らしがそんな苦になってなかったように思う。頭では覚えていなくても、境界での赤貧ぶりが身に沁みていたのかもしれない。
毎日まいにち繰り返し、朝起きて、飯を炊き、家族と食卓を囲み、稽古に励む。
宝とのこと、彼への想いのあれこれに蓋をしてしまって、心に波風を立てないよう気をつけてさえいれば、血生臭い事件と隣り合わせで生きているわりに、おれの暮らしは概ね穏やかなものだった。
――おそらく奴らは、おれのそういった胡乱な心の隙を、ずっとつけ狙っていたのだろう。
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