20.「夢と現」、それから④ 〜イツキの話~

結局、おれは自分の部屋にひとりで寝ることになった。

あの鬼が不埒なことをしでかすかもしれん、とおれの部屋の前で寝ずの番をしたがった父さんをなんとか宥めて寝室に返し、ひとりきり、布団にくるまってじっと考える。考えなければ、ならなかった。

おれの、これからのこと。

宝との関係を。

自分の身の置き所を。

そして、家族の在り方をいうものを。

――おまえがあの寺からこの道場に逃がしてやった子どもたちはな、わしのむかし馴染みがやっている養育施設へ預かってもらっとる。さすがに、わしひとりでは面倒を見きれんでな。

そう言って、父さんは目じりをくしゃくしゃにしながら笑った。

――みんな、おまえに感謝しとったよ。落ち着いたら、会いに行ってやるといい。おまえは、本当にやさしい子だ。……むかしからな。

父さんのあたたかい声が、その温もりの余韻が、いつまでも耳の中に残っている。

おれのことを、ずっと待っていてくれたひと。

おれのことを、ずっと愛してくれるひと。

そして、おれのことを必要としているひと。

「イツキ」

部屋の戸の向こうから、宝がおれを呼んだ。厳かで、密やかな、ヒトにはあらざるものの声だ。

「入っても、いいか」

「……うん。いいよ」

音もなく戸を開けて、紅髪を煌めかせたおとこがおれの傍までやってくる。

彼の眼は常と変わらず美しく、この世のすべてから愛されているように見えた。

……おれひとり、いなくなっても。

じっとおれを見つめ返してくる宝から逃がれるように視線を逸らして、思った。

宝は、誰からも愛されるような存在だ。おれひとりが彼のそばからいなくなっても、もっとたくさんの素晴らしいヒトが、異形が、彼のことを愛してくれるはず。

どうしておれをヨメにしようと思ったのかはわからないけれど、かなり高位の鬼さまであることは間違いないし、彼が暮らす異形の世界での地位も高いのだろう。

宝はおれがいなくても、つつがなく、しあわせに生きていけるはずだ。……父さんとは、違って。

「……宝。ごめん、おれは」

声が、震えた。

宝がおそろしいからじゃない。これからさき、宝と生きていくことができないことがおそろしかった。

目には見えないけれど、おれはいま、とても強い繋がりを切ろうとしている。そんな予感がして、こわくてたまらなかった。

それでも、しっかと顔を上げて、宝を見る。

赤々と燃える彼の眼を、見る。

「おれは、宝といっしょにいけない。だから、宝と番うことはできない。……ごめんなさい」

宝は、一瞬だけ目を瞠って、それから、すぐに眦を弛めてくれた。

「わかった。俺は、イツキの意思を尊重する」

静かに返された言葉が、おれの心臓にやわらかく喰い込んでくる。その感覚は、怖いくらいに心地よかった。あんなにも喰われることに怯えていたのが、嘘みたいな心地良さ。

もっと、深く喰い込んできて欲しい。おれの心臓を嚙み砕いて、吞み込んで、おれのぜんぶを宝のものにして欲しいと、強く思う。

まだ出会って間もないのに、いっしょに過ごしたのはほんの少しのあいだだったのに、どうしてこうも彼に惹かれるのかわからない。彼を撰ばない自分自身が、憎らしくてたまらない。でも、父さんを、おれのたったひとりの家族を置いていくことは、どうしてもできない。

「イツキ、大丈夫。大丈夫だ」

ぐるぐると感情を巡らせるおれを抱き寄せながら、宝があまく囁いてくる。

宝の熱がじんわりとうつってきて、おれは自分の躰が冷え切っていたことにはじめて気づいた。

「宝、たから、ごめんね、ごめんなさい」

強張っていた喉が、熱でほどける。どっと吐き出すように口から溢れた謝罪の言葉を、宝が丁寧に受けとめてくれる。

「謝らなくていい。イツキ、俺たちは大丈夫だ。この『縁』は、絶対に切れることはない。誰にも、切ることはできないのだから」

あたたかいくちびるが、おれの額にやさしくふれた。

えん。縁って、なんだろう。おれの記憶がぜんぶ戻ったら、宝の言葉の意味がわかるのかな。おれの記憶って、いつか戻るのかな。戻ったとしても、きっと宝はもう、此処にはいないけれど。

「大丈夫だよ、イツキ」

「宝、たから、――」

宝の熱でぬくもった躰が、俺の意識を眠りへと引きずり込んでいく。

せめて、せめて、最後に、ひと目でも。眠気に足掻くおれの背中を、何度も何度も撫ぜながら、宝が笑った。

「最後じゃない。最後には、ならない。だから、またすぐに、会いに来るよ。……おやすみ、イツキ」

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