14.「異形」の世界で愛に絡まる⑥ 〜宝の話〜
「多少のご不便には、どうぞ目を瞑ってくださいませ。古老たちの気が静まるのを待ってから、宝さまが祝言を上げることを郷のものたちに伝えることとなります。そうなれば、顔見世やら挨拶回りやらで忙しくなりますので、それまでどうか、安静にお過ごしなさいますように」
やわらかな声音でイツキにそう伝えつつも、ちらりとこちらに向けられた視線には、鋭い牽制が込められていた。
――ふたりきりに浮かれて、イツキさまに無理をさせるような真似をしてはなりませんよ。
耳に胼胝ができるほど聞かされたおかげか、実際に口には出されていなくても、ぴしゃりとした八重の言葉が聴こえるようだ。幻聴だと知らぬふりをするわけにもいかず、とりあえず肯いておく。
八重の屋敷の敷地の端のこの家は、見るからに建てられたばかりで、門の前に立っあだけで木材の凛とした薫りが家屋全体から香るようだった。
こじんまりした庭には美しい花を咲かせる木々がが品よく植わっている。大きな構えではないが、ふたりで暮らすには十分だ。何より、八重によってこの家に施されている護りが堅牢で、安心できる。
物珍しそうにうろうろと邸内を見て回るイツキの姿が鳥の雛のように愛らしく、のこのこと後ろをついてまわったていたら、「ああ、御手水はこっちみたいですよ」と案内されてしまった。
「べつに、もよおしたわけじゃないぞ」
「はあ。それなら、風呂ですか? あ、お腹が空いたとか?」
厨はどこかなあと、イツキがまたぞろ彷徨いてまわる。
驚くべき鈍さ。加えて、恐るべき順応力。境界という無法地帯で、ひとり生き延びてきただけのことはある。
とはいえ、こんなことでへこたれてはいられなかった。
眠っているあいだの行為も数えて二度も俺を受け容れてくれたのだから俺の独りよがりな想いではないはずだけれど、こちらがいくら秋波を送っても、イツキに応える素振りがない。というより、色めいた雰囲気を汲み取ってくれないというべきかもしれない。
こんなことでは、八重に念を押されるまでもなく、彼と甘やかに過ごすことはできないだろう。
「わあ! 米も卵も野菜も、たくさんある! ね、うれしいね!」
「……うん」
外敵から身を隠して、番う相手は強敵で、なんとも八方塞がりな心持ちだけれども、恋い慕う相手とふたりきりであることは違いない。そして、イツキがとにかく可愛いことも違いないのだ。
この家で暮らしていくうえで、イツキに約束してもらったことは、三つ。
ひとつは、家の敷地の外へは絶対に出ていかないこと。
ふたつは、俺と八重以外の他者と接しないこと。外からの音や声を聴くのも厳禁だ。
そして、みっつめ。どんな些細なことでも違和感を感じたら、迷わず俺に伝えて欲しいこと。
何せ、相手は異形で、異能を遣う。家の周りをどんなに護りで固めても、どうにか俺たちの目を盗もうと躍起になっている筈だ。
奴等の目的であるイツキから目を離すつもりは毛頭ないが、俺たちを取り巻く環境が剣呑であることは理解してもらわなくてはならない。
「いろいろと制約が多くて、窮屈な思いをさせてしまうな。本当に、すまない。でも、イツキの心身が不調なうちは、どうしても外部からの干渉を受けやすくなっているんだ。少しの間だけ、我慢してほしい」
「我慢だなんて……。まいにち腹いっぱいになるまで飯が食べて、まいにち躰を洗って湯船に浸かれて、屋根のあるところで布団に包まって寝られるんだよ。そんなの、我慢のうちに入らないよ」
連れ帰ってきたときよりはいくらか肉づきの良くなった頬をふくふくとさせて、イツキは童のように笑った。
「イツキは、やさしくて、強いおとこだな」
「そ、そ、そんなこと、ないよ……!」
白い頬をさっと赤らめて、まるい眼をぐるぐるとさせながら、照れる。愛らしくて思わずぎゅっと抱きしめたら、イツキは我に返ったように身じろいだ。
「ご、ごめん。……いや、だったか?」
さっと腕をほどいて詫びると、
「ううん! あの、ちがうの。おれは、その、……ずっと、考えてることが、あって」
窺うように、俺を見る。俺は神妙に頷きながら、続きを促した。
ずっと、考えていること。……なんだろう。そんなに気になることがあっただろうか。
いやもちろん、意識がないうちに異界へ連れてこられて、元の世界での記憶もないのに知らぬ顔ばかりに囲まれて、嫁にするのなんのと半ば強引に囲われている身なのだから、不安なことしかないことは重々わかっている。それに、イツキがどうしても俺と番いたくないというならば誠心誠意をもって話し合うつもりも、ある。あるにはあるけれど、しかし、どんなに抗われても彼を手放せる自信はなかった。
ひやひやと緊張を高める俺の気持ちをよそに、イツキはおずおずと言い出した。
「おれみたいな、何も持たないヒトが、宝のヨメになっていいのかな」
「なにも、もたない? 異能を持たないという意味か?」
「ううん、そういうことだけじゃないよ。おれさ、金も家もないし、強くもないし、何の役にも立たないから……」
イツキの科白は想定の斜め上をいきすぎていて、俺は思わず耳を疑った。が、どうやら本気で言っているらしい。
「……イツキは、誰かを愛するとき、そのひとの持ち物を気にするのか?」
「まさか! そんなこと、気にしやしないよ。……でもそれは、おれが何も持たないからかもしれないって、思って」
琥珀の眼を瞬かせながら、イツキがしょんぼりと眉を下げる。
ひねた様子はまるでなく、純粋に己を卑下していることに慄いた。あの荒れ地を、五体満足で何年も生き抜いたおとこの発言とは思えない。しかし、ふと、境界での厳しい暮らしがイツキをそうさせたのかもしれないと思い至った。
家族との記憶もなく、自身のことも思い出せず、イツキはあらゆる犠牲を払って生きてきたのだろう。例えば、自尊心とか、矜持とか、そういうものを。
それでもなんとか踏ん張って、自分という『個』を守りきったからこそ、いまの彼の胆力と爛漫さがあるものの、それはそれとして、目に見えないところはそれなりに削られてしまっているのだ。
「ご、ごめん……。あの、宝を不快にさせたんなら、おれ……」
「――謝る必要なんてない、イツキ」
話を、しなければ。
気持ちを注いだり、躰を交らわせたりするだけじゃなく、互いの話を率直に、ありのままに話し合って、理解し合わなければ。
イツキをそっと抱き寄せると、細い肩の強張りがいくらかほどけたような気がした。
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