13.「異形」の世界で愛に絡まる⑤ 〜宝の話

「鬼さまって、きれいなお方ばかりなんですねえ……」

自分の頭ふたつ分ほど背の高い八重をしげしげと見上げながら、イツキがため息まじりにそう呟いた。

八重の紫の瞳は切れ長で眼光は鋭いけれど、顔の造りははんなりとしてやさしげだ。結い上げた孔雀緑の髪には品の良い銀の簪を飾り、振舞いも優雅であるからか、大柄でも威圧感は薄い。

実際に、八重は郷でも一、二を争う美形だった。が、目の前でほかの男に見惚れらるとさすがに面白くない。

むっつりと押し黙る俺の顔を横目に見て、八重が眉を上げた。

「悋気な男は好かれませんよ」

「煩い」

イツキは、きょとんとした顔でひとしきり俺たちを見てから、手元の湯呑茶碗にそろりと視線を落とす。お茶はすっかり冷めているようだが、茶葉の香りを愉しんでいるらしい。

彼がおっとりとした気性であるのは、ここ最近いっしょに過ごしただけでもよくわかった。

何にでも驚き、臆病者のように振るまうのに、じつは心身ともに頑強で、肝が太い。境界で生き抜くためにそうなったのか、それとも元々そういう質だったのかまではわからないが、イツキのそういったところが魅力的だった。


「――さて、改めてご挨拶をさせていただきます。私は、八重と申します。宝さまがお生まれになってからずっとお側でお仕えし、宝さまこ片腕の如き存在だと自負しております。どうぞ、お見知りおきを」

かしこまって座礼する八重に倣うように、イツキもぴょこんと頭を下げる。

「こっ、こっ、こちらこそ……あの、おれは……」

「イツキさま、でございますね。お名前は、すでに存じ上げております。勝手をして申し訳ありません、イツキさまが眠っているあいだに記憶を読ませていただいたのは、私です」

「それは、俺が八重に頼んだんだ。だから、勝手をしたのは俺だ。それについては、もうイツキに詫びてあるし、許しももらってる」

俺が口を挟むと、イツキがほんのり頬を赤くして、何度も肯いた。

緊張しているのか、伸ばした背筋が鯱張っている。まるい目を何度も瞬いているさまが、子猿のように可愛い。

八重は、切れ長の目で、俺とイツキをさらりと見やって、僅かに安堵した顔で微笑んだ。

「イツキさまの寛大なお心に、感謝いたします。……では、本題に入りましょう。まず、イツキさまに話しておかねばならぬのは、我が主である宝さまのご年齢についてです。宝さまは御年十五になられたばかりなのですが、この異形の世では、嫁さまを迎える歳は十八と決められているのでございます。故に、あと数年、どうかお待ちいただきたく存じまして。……イツキさまの記憶を読ませていただいたところ、イツキさまの御年齢も宝さまと同年のようでございますが」

「あ……あの、おれ、むかしのことを覚えていなくて、だから、その……自分の歳も、よくわかりません。……ごめんなさい」

「いいえ、いいえ。詫びる必要など、微塵もございませんよ。記憶が欠落することは、境界に落ちてそこで暮らすモノたちに、よくあることでございますからね。それに、此方でゆっくり養生なされれば、イツキさまのご記憶はいずれ戻りますでしょう。どうぞ、ご心配なさらず」

肩を落とすイツキをいたわるように、八重が鷹揚に笑う。ほっと安堵しているイツキの横で、俺はなんとなく納得がいかず、憮然としてしまった。

俺には強い口調ですぐさま問い質してくるくせに、イツキにはずいぶんとやさしいじゃないか。まさか、イツキの愛らしさに目が眩んでいるのじゃあるまいな。

「婚姻は十八だとかいう大昔の決まり事などに、いまさら縛られる謂れはないだろう。どうせあと数年の話なのだし、いま祝言も挙げたところでどうということもあるまい。あと、イツキは俺の嫁だからな」

「知っていますよ」

念を押すように付け加えると、八重は鼻白んだ顔で俺を見た。

「しかし、此度の祝言を強行すれば、祖たちを軽んじるということになると彼奴等が騒ぎ立てるのは目に見えています。逸るお気持ちは重々わかりますが、付け入る隙を彼奴等に与えるのは得策ではありません。……宝さま、イツキさまが愛しいのはわかりましたから、私に威嚇するより先に、まずはイツキさまのお躰を大事になさってくださいな。イツキさまは境界での暮らしが長うございましたから、鬼の精を分けたところですぐすぐ状態は良くなりますまい。しばらくは、ゆるりと養生していただかねば」

よろしいですね、と念を押し返されて、しぶしぶ肯いた。

八重は、遠回しにイツキとの睦事を控えるよう言っているのだ。まったく、俺には本当に手厳しい。

イツキは相変わらずきょとんとした顔で、俺と八重を見比べている。

「宝さまもすでにご承知のとおり、先触れの蟲たちが郷じゅうに知らせてくれたおかげで、イツキさまのことはすでに周知の事となっております。まだ弱っておられるイツキさまをお護りするべく、私自ら護りの術を施した堅牢な屋敷をご用意いたしましたが……さて、どこまでお護り通せましょうか」

眉の端に僅かな懸念をのせてめずらしく言い淀む八重の科白に、部屋の空気がしんと冷えた気がした。

大きな眼を見開かせて、イツキがごくりと息を呑む。

「案ずるな。イツキ自身には、俺の護りをしっかりつけているし、元より俺は、片時もイツキと離れるつもりはない。祝言など上げなていなくても、俺たちは番っているも同然だからな」

言いながら八重を睨むと、その切れ長の目の端に薄っすらと笑みが浮かんでいた。どうやら、イツキを脅しかけるような科白は、俺を鼓舞しているつもりかららしい。

――侮るなよ。そんなものは、無用だ。

そう口にする代わりに、ぎゅっと視線だけで八重に凄んでみせたが、八重はさらりと笑って流しただけだった。

気はおさまらないが、とにかく、縮こまってしまった嫁を宥めるのが先だ。そう思って、そっとイツキに身を寄せると、俯いていたイツキがふと顔を上げて、笑った。

「……おれ、ひょろひょろで頼りないかもしれないけど、けっこう打たれ強いし、逃げ足も速いし……だから、あの……お、おれだって、宝といっしょに、戦える」

白い頬が、ほんのりと紅潮している。そこに在るのは恐れや慄きはなく、見知らぬ地で異形を相手に立ち向かうための勇ましさだ。 

……なるほど。彼は、庇護するばかりの存在ではないということか。

可愛らしいだけでなく、こころが強いおとこ。俺の、俺だけの、愛おしいひと。

だらしなく弛む俺の口許を見て八重が呆れ顔をしていたが、俺はどこ吹く風でイツキの凛々しい眼の色を見つめていた。

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