11.「異形」の世界で愛に絡まる③ 〜宝の話〜
「……とにもかくにも、首尾よく嫁さまに出会うことができて、本当に、本当にようございましたよ。まあ、毎度のこととはいえ、宝さまの過眠症には呆れてしまいますが……結果良ければ良しということにいたしましょう」
大柄であることを存分に活かし、八重は俺を見下ろしながら、威圧感たっぷりにそう言い放った。とてもじゃないが、「良しといたしましょう」という口振りではない。
口答えは許さない、という彼からの強い圧を感じ取って、俺はおとなしく項垂れておいた。
境界から飛び戻って、友人の八重の屋敷に着いたのが夜半過ぎ。早朝から活動するため夜浅い時間に寝る八重はすでに床についていたというのに、それを容赦なく叩き起こして、急を要する事態なのだとろくな説明もせず、離れに部屋を用意してもらった。
八重は、起こされたことに立腹することもなく、俺の顔色を正しく読み取り、すぐさま別室に寝具やらお湯やらを支度して、連れ帰ったイツキの看護に手を貸してくれた。
彼に対する恩義はたっぷりと重く、俺などの頭が上がるはずもない。
「……それで、彼の名は、読めたのか?」
気が急いている自覚はあったが、白い顔で眠り続ける彼のことを少しでも知りたくて我慢ができず、食いつくようにそう訊いてしまった。
八重は、生まれ持つその異能により、相手にふれることでそのモノが持つ『記憶』を『読む』ことができる。この能力もまた、俺と同様にとても特殊で、郷の中でも重宝されている異能だ。
「ええ。彼の方の御名は、イツキさま。境界に落ちたのが二年前、当時の齢が十三。御年は、宝さまと同年ですね。二年もあの境界で生き延びていたという事実は本当に驚くべきことですが、生まれつき頑強な質の方だったのでしょう。とはいえ、重度の栄養不足で危険な状態であることは否めません。しばらくは安静に」
「イツキ、というのか! 良い名だな!」
「お静かになさい」
ぴしゃりと諫められたが、興奮は収まらない。
早く、一刻も早く、彼の名を呼びたい。そして、彼にも俺の名を呼んでほしい。その声を、語調を、閉じた瞼の下の眼の色を、知りたくてたまらなかった。
かっかと高ぶる気持ちのまま、眠る彼の枕元に膝を寄せる。が、痩せて蒼白いイツキの頬を見て、すうっと冷静になった。
同年だというのに、明らかに俺よりも小柄な体躯。状態は落ち着いているが、先と変わらず血の気の失せた顔色、目の下の濃い隈と、罅割れたくちびる。イツキから漂う生の気配が、あまりにも薄すぎる。
「……やはり、命が危なかったのだな」
「そうですね。あと少しでも見つけるのが遅れていたら、この方と生きて出会うことは難しかったでしょう。しかし、今は状態も安定しております。胎に容れておられる宝さまの胤が少しずつ身に沁み込んでいけば、三日ほどで意識も戻られるはずです」
八重が、いくらか声音をやわらかくしてそう応じた。
相変わらず、歯に衣着せぬ物言いだが、俺を慰めようとする気遣いが感じられる。辛辣なところもあるけれど、心根はやさしい男なのだ。だからこそ、信頼できる。
「――問題は、イツキさまがお目覚めになられてから、ですよ」
八重の低い声音に、ぴりり、と部屋の空気が張り詰めた。
その声に込められている険しさは、この郷の古い習わしや仕来りに対する苛立ちによるものだと、俺は知っている。
俺が境界へ渡った時と同じく、境界の狭間から戻ってくる際にこの世界の線を跨いだことで、先触れの蟲たちが俺とイツキのことを郷じゅうに知らせまわった筈だ。つまり、イツキのこと、俺の番となるべきものが見つかったという事実は、この世界ですでに周知のものであるということ。
「イツキの体調が心配で、とりあえずは彼の身を隠すために俺の家を避けたというのに、結果は同じか。……少なくとも、イツキが目を覚まして体力が戻るまで、適当な場所に籠もっていたかったんだがなあ」
「どちらにしろ、それも彼奴等は想定済みでしょうがね」
はっきりと眉を顰めて、八重が不快さを隠しもせずに言い捨てた。
古めかしい因習に固執して異形の世界の未来を狭めるばかりか、自身の益や保身にしか興味を示さない年寄衆。そんな老獪たちの存在を腹に据えかねているのは、俺や八重ばかりではない。
だが、郷のものたちは皆、よくよく身に染みて理解しているのだ。連中を不用意に糾弾すれば、連中の子飼いの傀儡たちに害されてしまうということを。
そうやって屠られてきた同胞たちを、今までさんざん目にしてきた。己の身だけならまだしも、家族や親しいものたちにまで塁が及ぶ。郷で暮らす民たちが、古老たちを恐れ、見て見ぬふりで過ごすのも無理はない。
「連中は、この愛らしい嫁を、黙って見過ごしてはくれんだろうな」
「そうですねえ。彼奴等は、宝さまが十八になられる前に、宝さまと、宝さまを支持する異能のものたちを、完全に掌握するつもりでしょう。嫁さまが見つかったこの機を自分たちの都合の良い方に転がすべく、色々と画策してくるはずです」
「そうだなあ……イツキが弱っているうちに、攫うなり襲うなりして質にした上で俺たちに何らかの交渉事を持ちかけるとか、そういう安易な策を嬉々として練ってそうだ」
「いかにも、彼奴等が思いつきそうな愚策ですよ」
鼻で笑ってはいるが、目は笑っていない。
俺だって、そうだ。軽く揶揄するような言葉の裏には、脳まで萎びた連中への憤りが、ごうごうと滾っている。
「……さて。これから、いかがいたしましょう」
「決まっている。イツキを護り、娶り、異形の世界を正しく統べる。――そのためには、民の害となる輩に、政の前線から退いてもらわんとな」
敢えて声は張らず、しかし、きっぱりと言い切った。
俺は、自分が生まれ育ったこの世界を、この郷を、良いものに変えていきたい。俺のこの特殊な異能も、そのために生まれ持ったとすら思っている。
それは、イツキと出会う前から、それこそ物心ついたときからずっと決めていたことだ。
イツキと出会っても、初心は変わらない。むしろ、イツキをこの世界の事情に巻き込んでしまうことによって、俺の決意はますます強まった。
静かに眠るイツキと、意気込む俺の顔をちらりと見比べて、八重がほんのりと目じりを弛ませる。それから居住まいを正し、「天の果てでも、地の底でも、命を懸けてお供いたします」と、恭しく誓いを立てた。
若輩の俺に迷いのない言葉を真っ直ぐくれる、八重の存在が心から頼もしい。
八重に向かい合って座り直し、しっかりと肯き返した。
有象無象の跋扈するこの地を、正しく統べることは容易くない。それでも俺は、必ず、やり遂げてみせる。必ず。
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