10.「異形」の世界で愛に絡まる② 〜宝の話〜

ふわふわとした、何とも心地の良い夢をみた。

ひやりと冷えた相手の肌が、俺の肌とふれあって、はなれて、また、ふれあう。

その顔は、どんなに目を凝らしてもぼやけて見えない。だけど、ふれあっているうちに、少しずつ熱を帯び、相手の躰が自分と同じ温度になっていくのがはっきりとわかる。

まざりあう、というよりも、からみあう、という感じだった。

俺の腹の上で腰を揺らす、その躰がやけに軽い。きっと、ひどく痩せているのだろう。

かわいそうに、と伸ばした俺の手は、望むものにはふれることができずに、虚しく空を掻いた。

夢だから、仕方がない。でも、ふれられないのは、どうにも淋しい。

ほろほろと落ちてくる甘やかな吐息に気が高ぶって、だんだんと意識が浮上していく。夢と現の境が、曖昧になる。

顔の見えない相手のくちびるから、あえかに喘ぐ声が洩れてきて、俺の鼓膜を震わせた。腹の上で、細い躰が揺れているのをぼんやりと感じる。

ああ、気持ちが良い。そう思った瞬間に、下肢が濡れた。

濡れた感触から追い立てられるように、俺はするすると覚醒していく。意識が、浮き上がっていく。

――そして。


ハッと目を覚ますと、寺の中は真っ暗、室内はしんと静まり返っていた。暗くなっていること以外は、俺がうっかり寝入る前と何も変わっていない。

……いや、ちがう。

徐々にくっきりと覚醒していく意識で感じ取る、違和感。僅かに着崩れた下履きと衣服、妙な気怠さと、自身の精の匂い。そして、それに雑じる自分以外のものの匂い。

たった今まで、誰かがここに居たのだ。そして、その誰かは俺と交わって、俺が目を覚ます前にここから逃げた。おそらく、俺の胤を肚にもって。

誰が、何のために? 当然のごとく、胸に湧いた疑問だった。が、そういえば、ヒトの世界で異形の鬼を崇める信仰があると聞いたことを思い出す。

おそらくはその信仰から派生した思想だろうが、この境界でも、鬼の身の一部を得れば願いが叶う、とかいう風説がまことしやかに流れているという話も耳にした。突飛な推測ではあるけれど、その解釈を拡げていくと、鬼の胤に福があるというような話になるのかもしれない。

実際のところ、俺たちの胤にそんなありがたい力はない。ただ、鬼や異形の体液がヒトの躰に影響を及ぼすことは事実だ。

俺はがばりと立ち上がり、すっと五感を研ぎ澄ませた。とにかく、後を追わなければ。

薄っすらと残る誰かの気配と、その肚に抱えたと思われる俺の胤。それだけでも追えるだろうが、そもそも逃げた誰かが『縁』あるものなら、俺が追う先に必ずいる筈だ。

着物の裾をさっと端折り、走りに走った。全力で駆けたのなんて、幼いころ以来ではなかろうか。息を切らす俺の頭の隅で、口に布を着せぬ馴染みの友が、刺々しく嫌味を垂れてくる。

――ほら、ご覧なさい。こんな大事なときに居眠りをするなんて、とんだ失態でこざいますよ。前々から過眠症の回復に努力するよう再三再四ご忠告を申し上げておりましたのに、まったく貴方ときたら。

ああ、わかった、わかった! 迂闊で寝汚い俺が悪かった! 

雑念(と言えば、本人は不服そうな顔をするだろうが)を振り払って、ぐっと意識を集中する。失態をおかしたと自覚しつつも、子どものように気が逸るのはどうしようもない。

だって、もうすぐ会えるのだ。

もう、直ぐに。




道の端に倒れていた彼の頬はおそろしく白く、まるで屍のように青褪めていた。

慌てて駆け寄り、さっと頸筋に手を当てる。弱々しいけれど、脈は確かに打っていて、とりあえず、ほっと安堵した。

それにしても、冷たい。肌の血の気のなさもだが、彼の体温の低さにあらためて驚いてしまった。

抱え上げると、羽のように軽い。普段から、ろくに食事も摂っていないのだろう。真っ白の髪はすっかり傷んでいて、皮膚と同じくかさかさと乾いていた。

ヒトが鬼を崇める理由のひとつでもあるが、鬼の体液には、ヒトの身には強すぎるほどの精力増強作用が含まれている。しかし、鬼である俺の胤を肚に容れているはずの彼は、意識もなく、瀕死の状態だ。

境界の過酷な環境で心身ともに極限まで疲弊しきっていたせいか、強すぎる鬼の胤を弱った躰が受け容れきれないのかもしれない。。とにかく、一刻を争う危険な容態だった。

――俺が目を覚ますのが、彼を見つけだすのが、あと少しでも遅かったなら、彼は命を失っていたのかもしれない。

そう思うと、ぞっと肝が冷えた。

足早に、でも、彼の躰をできるだけ揺らさぬよう、下手に刺激を与えぬようにと気を付けながら、境界から郷への道を急いで戻る。

ヒトの躰は、異形とは比べものにならないくらい弱いと聞いた。

異能を使って世界を渡るのは、俺にとっては造作もないことだが、ヒトを伴うのは初めてだ。彼の負担にならなければよいけれど、そこのところもはっきりとはわからない。

異形の世界にヒトが棲まうという話など耳にしたことがないし、屋敷に着いたらその辺のこともよくよく調べてみなければ。……それに、郷の老獪たち。耳聡い彼奴のことだ、俺が境界に渡ったことはとっくに把握しているだろう。ということは、遅かれ早かれ彼の存在は、郷のものたちすべてが知ることになる。その対策も、しっかりと練らなくてはならない。

腕の中の彼は、しんと眠ったままだ。その冷えた細い躰に自身の熱をうつしてやりたくて、ぎゅうぎゅうに抱きしめる。

騒ぎ急く気持ちを抑えて、慎重に世界の境目を飛び越えながら、俺は、彼を必ず守ると心に誓った。

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