4.「ヒト」の世界で、「異形」に遭う。③ ~イツキの話~

町の外れの、とくに山に近い寺から、次々とヒトが消えているらしい。

どうやらあの山には、異形のモノが潜んでいるらしい。

噂はうわさを呼び、根も葉もないような話がまことしやかに囁かれたのは、市中のヒトたちが家に引きこもるようになってからふた月ほど経ってからだ。この事件が起こるまでこれほど凄惨な話はとんと耳にしなかったから、よけいに尾ひれがついたのだろう。

しかも、山近くの寺に住む坊主たちがこの噂に怯え、我先にと寺を捨て市中に戻ってきていると伝え聞いて、さすがのおれでも聞き流すことはできなかった。

寺というのは、尊いモノを拝み崇めるだけの場所ではない。かつてのおれのように、行き場のない孤児たちを養護してくれるところでもあるのだ。

おれは、坊主がいなくなった寺に置き去りにされた子どもたちが心配になった。

あいにく師範は急ぎの用事だとかで、四、五日ばかり留守にすると言って出かけたばかり。師範に相談してから動いた方がいいのはわかっているけれど、帰りを待つあいだに子どもたちに何かあるかもしれないと思うと、気が騒いで夜も眠れない。

おれなんか、腕が立つわけではないし、命だって惜しい弱虫だけれど、町から遠く離れた大人の庇護もない寺に子どもだけを住まわせておくわけにはいかないだろう。

身寄りのない子どもたちの命を守るために、一時的でも子どもたちをうちで与かることを、師範は反対しないはずだ。だって、子どもを生かすのは大人の役目だもの。おれは十八になったばかりの若輩者だけど、子どもを世話するくらいはできる。

それに、うちの道場から孤児寺まで、おれの足なら三時間ほどで行ける。子どもを連れて帰るとなるとその倍以上の時間がかかるだろうけど、夜が明ける前に道場を出れば、まだ日が高いうちに戻ってこれるはずだ。

おれは腹を決めて、陽の明けきらぬ早朝に道場を飛び出した。


――そうして、おれは鬼に出逢ってしまったのだ。




鬼と思しき男がやってきたのは、おれが寺に到着してすぐのことだった。

出会い頭に、嫁にきてほしいのだと男が申し出てきたときすでに、おれは此奴こそが件の異形のもの、鬼なのだと確信していた。

もっとも、この男には師範に聞いていたようなツノはないし、キバも見当たらないし、爪も尖っていない。どこをどう見ても、ヒトであるおれと相違ない。

けれど、赤々した髪と眼の異質さは隠しようがなく(いや別に隠そうともしていないのだろうが)、とにかく、ヒトにはない色を纏っていることだけは確かであり、男が異形である証だった。

寺の山門の前で、この男を一目見た瞬間、おれは踵を返して道場に逃げ帰ってしまいたかった。門の隙間から子どもたちが覗いているのが見えなかったら、たぶん、そうしていただろう。

「……よ、ヨメに……?」

からからの声で訊き返すと、男はしっかりと肯いた。

「それは、その……だ、誰でも、いい、のですか?」

「誰でも、よくはない」

ムッと、形の良い眉がつり上がる。

しまった、怒らせたか。内心、冷や汗ものだったが、よく見ると眉も睫毛も髪や眼と同じ紅で、恐ろしいのに見惚れてしまった。そんなおれを見て、男は目じりの険をするりと弱める。

「……大事な嫁だ、誰でもよいわけがない」

「そ、そう、それはそうですよ、ね」

もぞもぞと相槌を打ちながら、おれはちらりと門の隙間に目をやった。怯えた子どもの顔が、ふたつ。きっと、寺の中にはまだいるだろう。

異形の男は、門には見向きもしない。おれの顔をじいっと見つめるばかりだ。

……好機、かもしれない。此奴はどうしてだかおれに興味があるらしいし、逆に、寺の子どもたちには無関心だ。

あの子たちといっしょに逃げる時間はさすがにないけれど、子どもたちを逃がすだけなら可能じゃないだろうか。今から子どもたちに諸々を言い含め、急かして町へ向かわせれば、陽が高いうちに道場へ逃げ込めるはず。

「……あ、あの! お、お、おれ……おれで、よかったら」

持っている勇気をすべてを振り絞って、自分からおそるおそると彼のそばに寄った。男は少し複雑そうな顔をしながらも、おれから視線を外すことはしない。

「おれ、なんかでよかったら……その、あんたの、ヨメに、ええと……どう、ですかね……?」

「俺の嫁に、なってくれるのか」

勢い込んで確認されると、さすがに腰が引けた。が、おれなんかの命で子どもたちを救えるなら、と、なんとか踏ん張ってみる。

「は、はい。ヨメに、なります。……でも、ちょっとだけ、待っててください。こ、この寺の子たちに、言付けを預かっていて」

男が鷹揚に肯くのを見て、おれはささっと門へ駆け寄り、覗き込んでいた子どものひとりにできるだけ細い声で早口に伝えた。

「おれがあの彼奴を連れて寺から離れるから、君たちは、おれたちの姿が見えなくなったらすぐに町へ行くんだ。できるだけ急いで。町に着いたら、カマクラってヒトがやってる道場へ行って。裏門は開けてあるから、そこから道場の中に入って、誰か来たら、道場の下男の知り合いだって言うんだよ」

それだけ言うと、その子の躰をぐっと押しやって、門扉を閉じる。ほどなくして、小さな足音が門から走り去る音が聞こえた。

……よし。とりあえず、子どもたちは逃がせたな。

深く息を吸って、吐いて、呼吸を止めたまま振り返る。また息を吸ってしまったら、命が惜しくなりそうだった。

「もう、用事は済んだのか?」

さっきまで恐ろしくてまともに見れなかった男の顔は存外にやさしく、同じように声もやさしい。きっと、おれの覚悟が決まったからそう見えるのだろう。

こくりとひとつ肯いて、そろそろと彼の傍に寄っていった。

気分は、俎板の上の鯉だ。

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