第35話 種明かし

 ◇◆◇

 

「どうして?」


 驚いたような反応の夏目に対して、俺は優しく笑みを浮かべた。


「夏目の計画は失敗したって事だ」


 直後、扉を開けて入って来た創賀が勝ち誇ったように夏目に告げる。


「俺の勝ちだな!」


「なぜ? なぜ生きている?!」


 動転している夏目に創賀が説明する。


「単純な話だ。俺はここが現実だと分かっていた」


「俺も驚いたよ。昨日、創賀を殺すつもりで部屋を出たら、中央の部屋のキッチンで創賀が血糊を作りながら俺を待っていたんだから」


 俺の言葉に、夏目は未だ現実を受け止めきれていない様子だった。


「は? ゲームの最終周と完璧に同じにしたはずなのに、なぜだ?」


「確かに、あの時の樋口の動揺ぶりから察するに、君の技術は見事だよ。普通の人間なら現実か仮想世界かの区別なんて付かないんだろうね」


 創賀は楽しげな笑みで言う。


「だがな、俺には分かった」


「どうやって?」


「夏目の開発している技術に関する情報を得た時点で、そういう結末の可能性も想定していた」


「記憶は混濁させたはずだぞ?」


「ああ確かに、何かよく分からない情報で頭はごちゃごちゃだったよ。最近の記憶も失われているみたいだったし。だけど、正しい情報が僅かにでも残っていれば、頭を整理して新たに再構築し直せばいい。そうすれば、現状に対してだいたいの予測はつく」


 創賀に対して、夏目は化け物を見るような目を向けた。俺だって創賀の常人離れした頭脳は理解できない。味方で良かった、と心底思う。

 だが、そんな俺達の気をよそに、創賀は澄ました様子で話を続けた。


「それに事前に可能性が想定できていれば、対策の仕様もある。そもそも、俺が何の準備も無く、黒幕のところに乗り込むわけがないだろう。あらゆる可能性にほぼ対処可能な準備を整えてから、俺はここに来たんだ」


「それで、いったい有村君はどうやってこれが現実だと見破ったの?」


 夏目が苦い顔をしながら聞くと、創賀は意気揚々と語り出した。


「まずは、違和感だ。起きた瞬間から、この世界に対する違和感の程度が現実世界のそれと一切変わらなかった。

 脳とコンピューターを接続したシミュレーションによる仮想現実体験。その際にどうしても生じる違和感を完全に消すために、ゲーム内の五感には本人の脳内補正を利用した修正を加えているだろう? まあ、これは現実世界でも人間なら普段から似たような事は行なっている。錯覚とかはその典型例だな。だが、人為的に加えられた脳内補正に基づく修正は、不自然な程に世界そのものと知覚とのずれを無くしてしまう。つまり、現実世界では本来あるはずの、違和感がゲーム内では無くなるんだよ。

 要するに、普段から鍛えてる俺の観察力は信用に値するって事だ。


 それからもう一つ、修正を加えられた仮想現実世界の知覚は自己認識による影響を受ける。例えば、腕を動かす動作とかでもな。そこで、俺は昨日起きた時、まずストレッチをしてみた、肩を痛めるほどにな。その結果、痛みの感じ方が現実と変わらなかった。仮想現実なら、自分の都合の良いように痛みが減るか、あるいは思い込みで増すかするだろう。肉体の傷害に基づく体性感覚を完全再現するのは難しいだろうからな。

 まったく、これを確かめたせいで、今でも肩が少し痛いぜ」


 創賀はそう言って肩を回す。


「そんな細かい感覚の違いだけで、ここを現実だと見破ったと? そんな曖昧な事で危険な賭けに出たのか? 最終周では逆にゲーム内だと認識して殺されなくてはそもそも解放されないというのに」


 夏目の指摘はもっともだ。万が一、現実世界だと気がつけなければ最悪のシナリオ通りになってしまう。創賀にはそれだけの自信があったという事なんだろうが、俺としてはもし創賀があの時、ここが現実世界だと伝えて俺を止めてくれていなかったらと想像すると、今でも寒気を覚える。


「もちろん、それだけじゃない。より確実な確認方法も用意していた」


 そう言って創賀は袖を捲って腕を露出させた。その腕の一部には赤い湿疹が出ていた。


「接触性皮膚炎、いわゆるってやつだ。原因物質に接触してから、湿疹ができるまでには時間差がある。いくら体をスキャンをしたとしても、アレルギー反応を引き起こす体内の細胞単位までは、読み取ってないだろう? 湿疹が現れる前にスキャンを行なったなら、仮想空間ではこの湿疹は再現されていないはずだ」


 創賀に敵わないと悟った夏目は頭を抱えながら、悲しそうに呆れ笑いを始めた。


「僕の技術はまだまだだったって事か」


 それから、夏目は苦し紛れに悪あがきのように尋ねた。


「でも、もし僕が技術をさらに進歩させていて、有村君の想定以上に現実を再現していたらどうするつもりだったんだ? 君の想定外の状況だったら?」


 それに対しても創賀は少しも動じずに答えた。


「その時は、ゲーム内の俺が何か対抗策を考えるだろう。それに、俺はゲーム内の俺からメッセージを受け取っているんだ」


 創賀は“承継のメモ帳”の切れ端を取り出して見せた。


『灯也に殺されろ。』


「俺は事前に自分の中でいくつかルールを決めていてな。文末の『まる』、この形の場合は、全て想定範囲内、万事オーケーって意味だ。夏目はゲームの最終周を完全再現する為に、筆跡まで丸ごと再現してくれるとゲーム内の俺は確信していたんだろうな。このメモに書かれた文章、文字の形を見て、俺は全てを把握したってわけだ」


 完全敗北して項垂れる夏目に、創賀は慰めの言葉をかける。


「夏目は十分すごかったさ。ただ、俺が天才過ぎただけだ」


 全く慰めになっていないその言葉に、夏目は打ちひしがれながら力無く言葉を吐いた。


「ここが現実だと分かっていたなら、どうしてすぐに動かなかった? どうして今まで騙されたふりを?」


「それはちょっとした仕返しさ」


 創賀は悪戯っぽく返した。


「まっ、夏目を油断させる必要があったってのもある。やけになられて拳銃乱射されても困るしな。あとは、他の連中にここが現実世界だと伝える時間も必要だったってのもあるか」


「なるほどな……」


 すっかり意気消沈している夏目は、諦めたように呟いた。



 創賀に現実だと告げられ、俺達は夏目の目をあざむくために連続殺人事件を捏造した。その時に重要なのは、ゲームの最終周となるべく同じようにする事だ。最終周の記憶が無い俺達は、俺が行うはずだった計画をもとに、本物さながらの劇を演じていった。


 まずは、血糊と死んだふりで、創賀が死んだように見せかけた。そして、木戸には隙を見て手紙を渡し、ここが現実である事と、飲み物を飲んだら毒で死ぬふりをするように伝えた。

 水紀と田城さんに計画を伝えたのは、キッチンに飲み物を取りに行った時だ。そこで、事情を話して、協力を仰いだのだ。その時、田城さんは何が何だかよく分かっていないといった様子だったが、水紀は現実だと知って目を丸くした後、心を落ち着けるように大きな息を吐いていた。水紀も危うく殺人犯になるところだったのだから、その反応も当然だろう。脅迫されていたという水紀の事情も、ようやく知ることができた。


 木戸の死を演出した後、夜に起こすはずだった水紀と田城さんの死も偽装した。田城さんは血糊を使って死体に見せかけたが、水紀は鍵を閉めて部屋の中で待機してもらっただけだ。


 そして、睡眠薬を使って夏目を眠らせて、今に至るというわけだ。なお、死んだことになっている人は、夏目が起きている間は自室に居てもらった。夏目もわざわざ死体を見に部屋に入る事は無かったし、それ以外の時間は部屋を自由に出られたから、みんな問題なく過ごせたはずだ。

 

「ここが現実だと知ったら、みんな進んで協力してくれたよ」


 俺が言うと、夏目は俺に寂しそうな目を向けた。


「完全に騙されたよ。そういえば樋口君はそういう人だったね。周りのみんなを味方にしてしまう」


 そう言った夏目の表情が、急に強張こわばるように変化した。


「待って、沙霧は? 沙霧は田城さんの遺体を確認していたはずだ」

 

 その言葉に反応するように扉が開いて、宮野さんが謝りながら暗い表情で入ってきた。


「英夢君、ごめん」


「沙霧、裏切ったのか?」


 宮野さんは辛そうに俯いた。


「夏目、言ってなかっただろ。現実で皆殺しにするつもりだって」


 創賀に言葉に、今度は夏目が後ろめたそうに視線を逸らした。


「いつからだ?」


 夏目の問いに答えたのは創賀だった。


「この周の最初から。正確には、ゲーム内の最後から二番目の周からだな。俺が最初に宮野さんを殺す時、夏目が現実で全員殺して自分も死ぬつもりだって伝えたら、宮野さんも協力する事を決意してくれたよ。その時に、“記憶の源”を飲んでもらったんだ。そうすれば、その時の記憶を維持したまま、現実世界に戻ることができる。夏目は現実でも最終周の通りに進行させるため、スタート条件はゲーム内と同じにする必要があるからな。それに、最終周についてはそのシナリオに問題が無いか確認したとしても、その一つ前に対しての注意は疎かになるだろうしな」


 創賀はゆったりと構えて、説明を続けた。


「現実で二人相手にするのはリスクが大きいし、説得が成功するとも限らない。それにゲーム内の最終周の流れも、こちらに都合が良いように誘導してもらう必要もあったってのもある」


 そこまで言って創賀は急に真剣な表情を崩して、おどけたように態度を変えた。


「ま、これは全部、宮野さんから聞いた事と、俺の想像なんだけどな。俺にゲーム内の記憶は無いから」


 俺は創賀の用意周到さに舌を巻いていた。いったいどこまで先を読んでいるのか計り知れない。

 それにその創賀の計画は、俺が一発でゲーム完全クリアしないと成り立たない。だが、もし俺がその事について創賀に尋ねたら、それは灯也を信じているからだ、と大真面目なふざけた態度で答えることはありありと目に浮かんだ。


「英夢君、どうして言ってくれなかったの?」


 宮野さんは、小さな声で夏目に聞いた。


「それは……」


 夏目はそこから先は口を閉ざした。


「なんで、そこまで……」


 宮野さんの辛そうな声に、夏目は声を荒げて返した。


「だって菜々子はこいつらのせいで死んだんだぞ? 沙霧だって復讐するって言っていたじゃないか。菜々子は、……僕のせいで死んだんだ。僕がやらないと……」


 夏目の消え入りそうな声は辛そうで、目には涙が浮かんでいた。それを見た沙霧も悲しそうに涙を溢した。


「あのー」


 再び扉が開き、田城さんが顔を覗かせた。田城さんは耐えかねたように顔を顰めて、夏目達に言う。


「私としては、なんで夏目達が復讐なんてするのか分からないし、ずっと思ってたんだけど、ひょっとして夏目と沙霧、何か大きな勘違いしてない?」


「は?」


 夏目は田城さんを睨みつけた。それに一瞬怯んだ田城さんだったが、すぐに取り繕って気後れせずに返した。


「菜々子の本当の死因、聞いてる?」

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