第33話 復讐

 僕は遺書を読みながら、手紙を持つ指に力を込めた。紙には皺が入って文字が歪む。

 沙霧宛てのはそもそも読まなかったし、自分宛てのを読み終えた後、憎き三人宛ての文章には、ざっと目を通した程度だった。

 それでも、恨みは体の奥底から湧き上がってきていて、菜々子を失ってできた心の穴を満たすように、僕はドス黒い復讐心に染まっていった。自分を苦しめた相手にまで優しい言葉を残すなんて、菜々子は本当に壊れてしまっていたのだろう。


 何度も言うが、これは菜々子の望みではない。誰も幸せにはならない。それでも僕は復讐すると決めた。これは菜々子を救えなかった自分自身への罰でもあるのだ。


 ◇

 

 復讐を一人で成し遂げるのは難しい。協力者が必要だった。

 そこで僕は、菜々子を失った悲しみにうずくまって泣いている沙霧に声をかけた。彼女は信用できる。彼女だけは間違いなく菜々子の味方だった。


「宮野さん」


 泣き腫らした目をこちらに向けた沙霧に、菜々子の遺書を渡しながら僕は言う。


「僕と、菜々子の復讐するつもりはないか?」


 僕の瞳を見た沙霧は、一瞬怯えるように瞳を揺らした。しかし、すぐに震える手で遺書を受け取った。


「うん、いいよ」


 その時、沙霧の寂しそうなうつろな瞳に、僅かな光が灯った。それは決して明るい光では無かったが、彼女を再び立ち上がらせるのには十分だった。


 ◇


 それから、僕は復讐の方法を考えた。そうして思考を巡らすうちに、菜々子の顔が浮かぶ。


(もし、もう一度やり直せたら、僕は菜々子を救えるだろうか?)


 そんな夢想をしていた時、僕は閃いた。現実と誤認させる程のリアルなゲーム体験は、父の会社が開発している技術を完成させれば、不可能ではないはずだ。非常に残酷で絶望的な方法、復讐には最適だと僕は思った。


(面白い最高のゲームが作れそうだ)


 それから僕は、父の会社に入り浸った。元々、たまに出入りはしていたから、特に問題は起きなかった。しかし、僕はこれ以降、本格的に研究チームに参加するようになった。


 僕を突き動かしていたのは、復讐への執念だ。復讐を成すために、ゲーム開発はもちろん、会社や研究チームの実権を握るための裏工作など、死に物狂いでなんでもやった。


 途中、ついていけないと離脱するメンバーも多かったが、僕の執念と開発能力に惹かれてチームに残ったメンバーもいた。


 本堂さんもその一人だ。年齢すらよく分からない風貌で、頭のネジも何本か外れているが、優秀なのは確かな人だ。


「英夢、確かにこの技術が完成されれば、革命的だ。だが、あんたの本当の目的は何なんだ? かなり法律スレスレの危ない橋も渡っているみたいじゃないか」


 僕が沈黙で返すと、本堂さんは不気味に笑った。


「クックックッ、まぁいいさ。俺はこれが完成すればそれでいい。面白いからな。これを完成させられるのはあんただけだ。だから、協力してるんだぜ」


「ありがとう、本堂さん」


 そうして、僕はコーヒーを渡した。


「おう、ありがとうよ」


 コーヒーに口をつけた本堂さんは、顔を顰めながら一気に飲み干し、それから言う。


「何か、いつもより不味くないか?」


「それだけ疲れているんですよ。あとはゆっくり休んで下さい」


 そうして眠りに落ちる本堂さんを見届けてから、僕は沙霧に言う。


「沙霧、あとは仕上げだけだ。もうすぐ復讐ができる」


 ここまで、三年近くかかった。三年といっても随分と短いくらいだ。奇跡的な偶然にも何度も助けられた。


「英夢、本当にやるんだね。ここから先はもう引き返せないよ?」


 少し不安げな沙霧に僕は言う。


「何を言っているんだ? そもそも僕達は人生を一度たりとも引き返せたりできないじゃないか? それこそゲームの中でも無い限りね。だからこそ、僕は今こうして復讐する羽目になっているんだ」


 それから、沙霧を安心させるように優しく嘘を吐いた。


「心配しなくても、結局はただの脅し。みんなに罪を自覚させるだけさ」


「うん。そうだよね」


 それから僕達は復讐の最終段階に入った。


 ◇


 父親が殺人容疑で捕まった木戸鉄人を金銭的に支援したのは、僕だった。父の会社である程度の実績を得てからは、多少の金は自由に扱う事ができた。

 鉄人も父親と同罪、とまで言うつもりはないが、木戸は駒として非常に使い勝手が良かった。

 僕は同じく金で雇った男を通して木戸に接触した。この男は法を犯す事も躊躇しない男だ。金で動くが、仕事である以上、秘密を漏らしたりしないという点では信用できた。


 ◆


「本当に樋口に危害を加えるつもりは無いんだよな? 俺も友達を売るのはさすがに気が引けるんだ」


 樋口のアパートの部屋の鍵を型取った粘土板を渡しながら、木戸は訝しげに男を睨んだ。


「はい、サプライズと“ゲーム”をより確実に成功させる為だと聞いております」


「ゲーム?」


「あなたの最後の仕事です。あなたの支援者はあなたにもそのゲームに参加してもらいたいそうです」


「本当にそれで金は工面してもらえるんだろうな。これで最後、なんだよな?」


 木戸は念を押すように男に確かめた。


「はい。弟さんや妹さんの学費分も確約致します。さらに支援者は、あなたのゲームでの働き次第ではボーナスを付けても良い、と仰っております」


「ボーナス?」


「はい。詳しくは場所を移動してからにしましょう。あなたの支援者から直々に説明があります」


 そう言われて、目隠しと耳当てをした木戸は用意されていた黒いワンボックスカーに乗り込んだ。


 目的地に到着して車を降りると、森の匂いがした。どこかの山奥だろうかと考えながら、木戸は男に導かれるがまま歩いて建物内に入った。目隠しと耳当てを外すと、木戸は待合室のような場所にいた。


 それからは指示に従って、大きく複雑そうな機器の並ぶ部屋のベッドの上に横になった。病院のMRIのような、それでいてそれよりもずっと大きい複雑そうな機器で全身をスキャンされた後、頭や首、全身に電極のような物が貼り付けられた。体の周囲は完全に機械に覆われていて、閉所恐怖症や暗所恐怖症だったらすぐにパニックに陥ってしまうだろう。しかし、そんな事を考えるのも束の間、すぐに木戸は意識を失った。


 ◆


 次に木戸が目を覚ましたのは、見知らぬ白い空間だった。とはいっても、ゲームの中だから、本当は目を覚ましてはいない。


 僕がボイスチェンジャーで声色を変えて話しかけると、木戸はどこからとも無く聞こえてくる声に戸惑っているようだった。


『木戸鉄人君、君にはここでゲーム参加者を全員殺してもらう』


「は? 何言ってるんだ? そんな事出来るわけないだろう!」


「安心したまえ。何も君に殺人犯になってもらうつもりは無いよ。ここはゲームの中の世界なんだ」


 次の瞬間、空中に突如として現れた拳銃が、引き金を引かれてもいないのに発砲され、木戸の頭を撃ち抜いた。

 そして息絶えた木戸はすぐに再生された。


 復活した木戸は目の前に起きた事を受け止めきれず、動揺しているようだった。

 それから僕は、空間を変化させたりと様々な超常的な現象を見せて、木戸にここがゲーム内であることを理解させた。


『ゲームを成立させる為には、殺人鬼役が必要なんだ。やってくれるね』


「分かったよ。それで金は用意してくれるんだろ?」


『ああ、もちろんだ。殺した人間の数に応じてボーナスも出す』


 それから僕はゲームのルールを説明として、一度に殺人は二人まで、間は約半日あけなくてはいけない事を説明した。

 他にも拳銃が机の下に貼り付けてある事は教えたが、その他のループする事や完全クリア条件、毒薬の情報などのゲーム情報は伏せた。


『いいかい、決してこれがゲームである事や秘密事項を伝えてはいけないよ。そうした場合、援助は全て打ち切らせてもらう』


「ああ、分かってるよ」


 これで木戸の方の準備は完了した。木戸を待機状態にして、僕は次の準備に取り掛かった。


 ◇


 僕の描いた最終シナリオは樋口に沙霧を除く全員を殺させて、最後に現実だと思い知った絶望の中で自殺させること。それを成し遂げる為には、ループによるゲーム世界への確信と、他のメンバーを殺すだけの動機付けが必要だった。その為には、木戸だけが殺人鬼では心許ない。そこで僕はもう一人の殺人鬼役を用意した。


 樋口を拉致した僕は、同じく強引に連れてきた水紀に眠っている樋口の姿を見せた。この為に、水紀は意識のある状態で連れて来たのだ。


「灯也!?」


『安心しろ、眠っているだけだ。だが、いつでも我々は彼を殺す事ができる』


「私にどうしろっていうの!?」


 水紀は動揺しながらも、ボイスチェンジャーを通した僕の声が出ているスピーカーを力強く睨みつけた。


 やはり、事前に得た情報の通り、坂本水紀は未だに樋口灯也の事が好きらしい。それは好都合だった。坂本さんの彼に対する思いの分だけ、脅迫の威力が高まる。


『彼の意識はゲーム内の仮想現実に囚われている。君にはゲーム内で行われるデスゲームの犯人役になってもらう』


「どういう事? 話が見えないんだけど。拉致される時に見せられたサバイバルゲームへの招待状って、そのデスゲームの事なの?」


「ここから先は、実際に体験してもらう方が速いだろうね。言っておくが君に拒否権は無い」


 僕の言葉に坂本さんは、眠っている樋口に視線を向けて苦しそうに表情を歪めた。


「分かっているわ」


 それからゲーム内の仮想現実に舞台を変えて、僕はそこがゲームの中だという事を理解させた後、坂本さんへの指示を伝えた。


 坂本さんへの指示は、二日目の朝9時になっても誰も死者が出ていない時、殺人鬼役となる事。殺人のルールは他の人と同じ、一度に二人まで、間は約半日あける事とした。また、坂本さんには、毒薬と睡眠薬の存在と置いてある場所を伝えたが、その他のループや完全クリア条件については伝えていない。


「私が殺人鬼役でない時はどうしたらいいの?」


『その時は一般参加者として、生き残りを目指して頑張りたまえ。殺人鬼役になった場合は、他の参加者全員を殺せ。いいか、これがゲームである事やここで知り得た情報は他の参加者に決して漏らすな。くれぐれもこちらには樋口灯也という人質がいるという事を忘れるなよ』


 これで坂本さんへの仕込みも完了した。


(あと残るのは……)


 現実世界に戻った僕は、この施設の入り口付近の監視カメラに映った人間の姿に苦笑した。


(やはり、来たか。有村君……)


 有村創賀は堂々とした態度で、監視カメラの先の僕と視線を合わせて来た。

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