第32話 遺書

「ねえ、聞いた? 冬月さんの娘さん、殺されたって」

「お気の毒にね。ほんと物騒。私の子も心配だから家から出さないようにしてる」

「でも犯人はもう逮捕されてるんでしょう?」

「その犯人、木戸鉄人君の父親だったって話、知ってる?」

「嘘っ! 怖いわね〜」


 そんなヒソヒソ話を耳にしたように思う。菜々子が死んだ事へのショックが大きすぎて、この頃の僕の記憶も曖昧だけれど、事件の概要はこうだったらしい。


 深夜、菜々子は自ら家を抜け出したらしい。それに気がついた両親は、いなくなった菜々子を心配して警察に相談。それを受けた警察の捜査で、菜々子が木戸鉄人の父親、木戸きど徹数てつかずと一緒にいる姿が目撃されていた事が判明した。その後、捜索の結果、警察が木戸徹数の居場所を突き止めた時には、既に菜々子は死亡していたそうだ。木戸徹数はその場で現行犯逮捕されたらしい。


 遺族の意向で、葬儀は家族だけで簡素に行われたそうだ。だが、幼馴染で家も比較的近かった僕が、呆然と菜々子の家の前を彷徨うろついていた時、家から出てきた菜々子の母親が手紙のような物を僕に渡してきた。


 そこに見えた二文字に、僕の体は凍るように固まった。


『遺書』


「これね、菜々子の部屋にあったの。英夢君に向けてのものだと思うから。菜々子ね、実は……」


「いえ、いいです。僕は全部、分かってます」


 遺書を受け取った僕は言葉を遮った。菜々子の母親は辛そうな顔をしていたから、これ以上負担をかけたく無かった。


「そう。だったら他のも、できれば英夢君からそれぞれの子に渡しておいてもらえない?」


 渡された遺書は全部で五つあった。僕と宮野沙霧、田城花凛、坂本水紀、樋口灯也に宛てたものだ。


「はい」


 腹の中で渦巻く感情を抑え込んで、僕は頷いた。


「英夢君、本当にありがとうね。菜々子と仲良くしてくれて。きっとあの子も、それで救われたと思うから」


「はい」


 これは嘘だ。もし本当に僕が菜々子が救えていたのなら、彼女は死なずに済んだ。

 涙ぐみながら家に戻っていく菜々子の母親を見送った僕は、自宅までの道を歩きながら考えた。


 遺書があるという事は、菜々子は自ら死を選んだのだ。木戸の父親が精神的におかしかったという話は噂で知っている。後で知ったことだが、実際、木戸徹数は無罪になって、そのまま精神病院に入院したらしい。

 きっと、菜々子は死ぬために、木戸徹数に会いにいったのだ。そこまで菜々子を追い詰めたのは、きっと田城さん、坂本さん、樋口の三人。それは遺書の宛名からも分かる。きっと関係が断たれた後も、ずっと菜々子の心を蝕んでいたのだ。


 僕は一人になって、遺書に目を向けた。きっとここに書かれている内容は、優しい言葉だろう。昔から菜々子は、熱狂的になりやすかったり、思い込みやすかったりするところがあった。それでいて、根は真面目だから、些細な事でも深刻に捉えて、自分の責任にしてしまう。


 いったいどんな言葉が残されているのか。僕はおそるおそる手紙を開いた。



 ◇◇



 英夢へ


 ごめんね。私は怖くて英夢に何も言えなかった。それでも英夢は私を気にかけてくれて、私のそばに居てくれて、ありがとう。

 英夢の作るゲームは本当に面白いし、世界中の人々を楽しませられるくらいの、すごい力があると思う。もっと英夢と一緒に遊びたかったな。

 きっと英夢は凄い事を成し遂げる。私はそれを見届けられなかったけど、いつかどこかで、私が生きていた事が何かの役に立ってくれたら嬉しいな。

 最後に、私は弱くて一緒に生きていけるだけの力が無かったけど、それでも、私は英夢がいてくれて、本当に良かったと思ってる。今まで本当にありがとう。


 冬月菜々子



 ◆◆



 沙霧へ


 まず、ごめんなさい。沙霧には心配かけたく無くて、いつも通りでいて欲しくて、本当の事言えませんでした。でも、沙霧は間違いなく私にとって一番の親友だったし、かけがえの無い存在でした。

 本当は、沙霧と一緒に大学にも行って遊んで、働きながら時々愚痴なんか言い合ったりして、……結婚したらお互いの子供同士も絶対仲良くなれたと思う! それから一緒に歳をとって、人生を振り返って懐かしんだりしたかった。

 けど、それは全部沙霧に任せます。私の分まで、絶対に幸せになってね。

 今まで本当にありがとう。大好きだよ、沙霧。


 冬月菜々子



 ◆◆



 花凛さんへ


 きっと花凛さんには、迷惑かけちゃったと思う。でも私の事で思い悩んだりする必要はないよ。花凛さんは正しかったし、おかげで私はこんな人生でも無駄にせずに済んだと思うから。

 ありがとう。私は花凛さんの活躍、期待してるから。


 冬月菜々子



 ◇◇



 水紀ちゃんへ


 ごめんね、きっと水紀ちゃんには、変な重荷を背負わせちゃった気がする。でも、私の事は気にせず、幸せになっていいからね。むしろ、私は水紀ちゃんに幸せになって欲しい。水紀ちゃんは私の憧れだったし、きっともっと素敵な人になっていくと思う。

 私と友達でいてくれてありがとう。


 冬月菜々子



 ◇◇



 樋口君へ


 樋口君はきっとこの手紙を受け取っても、困惑するだけかも知れない。きっと誰だか覚えてすらいないかも知れないけど、やっぱり伝えたくて。私は樋口君の事が好きでした。これは私の自己満足だし、迷惑だったら破り捨てて忘れてくれても構わないです。でも、樋口君を好き人がいたっていう事実だけでも、心のどこかに置いておいてくれたら嬉しいです。

 私の人生を楽しいものにしてくれてありがとう。ずっと元気でいて下さい。


 冬月菜々子



 ◇◇




 

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