現実

第30話 回想

『これで良かったんだよね……』


「もちろん、ようやくだ」


 沙霧の最後の言葉に僕は答えると、静かにゲームを停止した。あとは最終周の記憶データを消去し、一つ前の周の最後の記憶をそれぞれの脳に転送すれば、今ゲーム内で行われた通りに、現実は進行する。ゲーム内と全く同じ施設は用意してあるし、何の問題も無い。


 “承継のメモ帳”も当然ゲーム内データから再現する。そこに書かれた文字を見て、僕は笑みを浮かべた。


『灯也に殺されろ。』


「どうやら僕の勝ちみたいだね、有村君」


 そうして一通りの準備を済ませた僕は、現実世界の『7』番の部屋のベッドの上、自分の所定の位置について目を閉じた。



 ◇◇◇


 僕と冬月ふゆつき菜々子ななこは幼馴染だった。これは彼女の死を回避できなかった僕の贖いと復讐だ。きっと菜々子はそんな事は望んでいないだろうし、僕の自己満足と言われれば否定はできない。それでも、僕はこうするしか無かった。そうでもしなければ、やり場のない感情に押し潰されてしまっていただろうから。


  ◇


 中学の同級生、樋口灯也は人気者だった。勉強もスポーツも出来るし、容姿も悪くない。加えて性格も良くて、誰に対しても分け隔てなく優しい。もちろん頭脳面では天才の創賀には敵わないし、圧倒的なリーダーシップやカリスマ性があった訳でも無い。それでも、少なくとも樋口を嫌っていた人間はいなかったと思う。

 僕だってずっと憧れていた。あんな風に何でもできるような人間になれたらと、羨ましく思う事はあった。けれど、妬みや嫉妬といった感情は浮かんでこなかった。樋口は性格が良かったから、彼みたいな人間にこそ才能は与えられるべきだと、むしろ好感していた。


 あれは、僕が趣味で自作したゲームを学校に持って行った時だった。


「すごい面白いよ! 夏目って天才だな!!」


 樋口は僕のゲームを楽しそうに遊んでくれた。そもそも、僕がポロッと口にした、ゲームを作っているという言葉を拾って、遊びたいと言い出したのも彼だ。持ってくる時はとても不安だったけれど、目の前のゲームに喜んでいる樋口の笑顔に僕の心は救われた。


「全然大した事ないよ。作りもシンプルだし、まだまだだよ」


 そもそも樋口みたいな明るい人間が、僕みたいなクラスの隅で大人しくしているような人間に興味を持って話しかけてくれるだけでも有り難いのだ。僕は必死に自分を下げて、適切な距離感に保とうとした。


「十分すごいと思うけどな」


 それから樋口は恐縮して俯いている僕に向かって言う。


「じゃあさ、今度夏目がゲーム作ったら、また俺に一番にプレイさせてくれよ。あっ、もちろん、夏目が良かったらだけど」


 樋口は人が嫌がる事を強制したりはしない。今回だって、自作のゲームを持ってきたのは最終的には僕の意志だ。けれど、この時の僕にとっては、また遊んでくれる、という彼の言葉が何より嬉しかった。


「うん。その時は、樋口君に一番最初に遊んでもらうよ!」


 この時の僕はきっと素敵な笑顔をしていたのだろう。復讐に取り憑かれる前の、まだ純粋な僕だったから。


 ◇


 そんな樋口を菜々子が好きになる事に、特に不思議は無かった。誰だって、樋口に対してそれなりの好感は持っているのだ。それでも、手の届かない存在への漠然とした憧れから、明確な好意へと菜々子の気持ちが変化したのはあれがきっかけだろう。


 とある体育の授業終わり、樋口は急に立ち止まり、周りの友人達に言った。


「先行っててくれ! 俺はちょっと用事あるから」


「そうか? 分かった」

「早く来いよー」


 僕は樋口の事が気になって、足を止めた。

 樋口は道を引き返すと、廊下の端の方で胸を押さえて苦しそうにうずくまっていた菜々子に声をかけた。


「冬月さん、大丈夫?」


 周囲を見渡しても他の女子の姿は無く、樋口は目が合った僕に頼み込んだ。


「夏目、俺は冬月さんを保健室に連れて行くから、遅れたら次の授業の先生に説明しておいてくれ」


「う、うん。分かった」


 樋口は他の誰も気がつかなかった菜々子の異変に誰よりも早く気がつき、心配してすぐに声をかけたのだ。僕も菜々子の事は心配だったが、迅速な樋口の言葉に頷くしかなかった。


 思い返せば、中学に入ってから菜々子と話す機会は以前より少なくなっていた気がする。それでも、菜々子は幼馴染でそれなりに仲の良かった方ではあるし、心配だったから僕は授業終わりに保健室に向かった。

 そこで、菜々子は開口一番に興奮気味に語り出した。


「ねぇ、英夢えいむ、聞いてよ! 樋口君ってすごい優しいし、紳士的なの! だってね、保健室まで歩いて行く時も……」


 その元気な様子を見て、僕は安心した。さっき苦しそうだった時の面影は、菜々子からは微塵も感じられなかった。まぁ、これだけはしゃぐ菜々子の気持ちも分かる。遠い憧れだと思っていた人物が、自分を見つけて心配してくれたのだ。急に距離が近くなって嬉しいのだろう。僕が共感しながら菜々子を見ていると、保健室の扉が開いた。


「おう、夏目、来てたのか」


「うん、一応、幼馴染だし」


「ひ、樋口君、さっきはありがとう」


 樋口を見た菜々子は急にしおらしくなって、小さな声で言う。


「冬月さん、大丈夫? 少し顔赤いみたいだし、先生もしばらく安静にって言ってたから、無理しない方が……」


「う、うん。ありがとう」


 菜々子が慌てて布団に潜ると、樋口は心配そうな視線を向けた。それを見て、僕は樋口が完全な善意で全てやっているのだと、改めて確信した。打算や下心の無い純粋な親切心に、僕は敵わないと諦めの感情すら覚えた。


 それからだ、菜々子が明確に樋口に対して好意を向けるようになったのは。彼女の視線を追えば、いつもそこには樋口の姿があった。恋、という表現が適切なそれは、なぜか僕の心を少し寂しくさせたけれど、僕としても、菜々子が樋口が結ばれて幸せになるのなら、それは喜ばしい事だった。もちろん、菜々子にとってはライバルは多いだろうし、簡単には行かないとも分かっていた。それに、当の樋口本人が好きな相手というのは、不明だった。個人的には学年でも美人と噂されている坂本水紀が疑わしいとも思ったが、根拠の無い噂話はどこからとも無く浮かんでは消えてを繰り返しており、そもそも僕はそういった恋愛話にも疎かったから、結局よく分からなかった。


 そして、月日は流れ、中学生時代も終わりに近づく頃。全ての始まりにして、僕の樋口に対する評価が反転する出来事が起きた。


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