第18話 睡魔
それからは時々飲食しに来る人や、洗面室に用がある人と会う事はあったが、特に大きな事は起こらずに俺はほとんどの時間を中央の部屋で一人で過ごし、時刻は11時を回っていた。
俺が見張っているから、犯人も動けずにいるのかもしれない。それは俺の意図した通りだが、俺もいつまでも金庫の前を見張り続けられる訳でもない。ずっと気を張っていたから、正直なところ、俺も眠くなって来ていた。
(いっそいなくなったふりをして、犯人を
俺は部屋の電気を消してから、キッチンの中央の部屋から死角になる所に腰を下ろした。木戸の時のように、もし金庫に近づく人物が現れれば、その現場を押さえて問い詰めようと考えていた。しかし、部屋を暗くしたことは思わぬ代償を伴い、俺の眠気は暗闇に
俺は意識をはっきりさせて、足音に耳をすませた。足音が聞こえてくるのは『2』番と『3』番の部屋がある廊下からだ。
(やっぱり、水紀が今回の犯人だったのか?)
俺は鼓動が速くなる心臓を落ち着けようと、静かに息を吐いた。
(ただ洗面室に用があるだけって可能性もある)
俺が息を潜めていると、人影は近づいてきて、部屋の明かりがついた。
「何してるんだ? 灯也」
そこには俺を見下ろす創賀の姿があった。
「なんだ、創賀か……」
俺が安堵したように息を吐くと、創賀は俺に憐れむような目を向けた。
「犯人が来ないか、見張ってたんだよ!」
俺が弁明するように言うと、創賀はため息をついて鼻で笑った。
「その様子だと、お前の方が犯人に見えるけどな」
「なっ」
確かに、暗闇で息を潜めて隠れているなんて、改めて考えると怪しい。言い返せない俺に対して、創賀は真面目そうな顔に表情を変化させた。
「ずっと見張ってたのか?」
「ああ」
俺が頷くと、創賀は真剣な目をして断言した。
「無謀だ」
創賀の強い言葉に俺は戸惑いを覚えた。
「一睡もしないで、一晩中ずっと見張るつもりか? 犯人がいつ来るのかも分からないのに? それだと、犯人が来た時には、お前は寝落ちしてるか、起きていてもフラフラで、とても殺人犯なんで相手にできないだろうよ」
創賀の言葉に俺は言い返せなかった。
「少しは休め。金庫の番は俺が変わってやる」
「でも……」
俺は金庫に目をやった。
「そもそも鍵がもう一つ有りでもしない限り、犯人は金庫を開けられないんだ。一番警戒すべきは、犯人に襲われる事だろ?」
頷かない俺に、創賀はため息をついた。
「仕方ないな、俺のことも信用出来ないってならやりようはある」
「別にそういうつもりじゃ……」
創賀はその場を立ち去ると、『7』番の部屋をノックした。
「どうしたの? 有村君」
部屋から出てきた夏目に創賀は事情を説明した。
「そういう事なら協力するよ。少しは樋口君も休みなよ」
「という訳だ。二人で見張れば文句はないだろ? 灯也、ひとまずシャワーでも浴びてこい」
「ああ、分かったよ。ありがとう」
正直、体力の限界だったから、少しでも休めるのはありがたかった。
◇
俺はシャワーで汗を流し、すっきりとした気分で部屋に戻った。久々の気が休まるひと時で、ついのんびりと時間をかけてしまったが、俺が戻った時、創賀と夏目はチェスをしていた。
「チェックメイト!」
創賀が得意げに言い放った。
「負けたよ」
集中から解放されたように、夏目は肩を落とした。
「やっぱり有村君には敵わないな」
「いい勝負だったぜ。俺が天才過ぎただけだ」
普通なら殴りたくなるほどムカつく言葉だが、創賀の場合はそれが事実だから尚更ムカつく。
「チェスなんてあったのか?」
心を静めて聞いた俺に、創賀はさも当然の事かのような顔で答えた。
「ああ、そこら辺にあった」
俺が戻ってきた事に気がついた夏目は、大きなあくびをして目に涙を浮かべながら言った。
「ごめん、眠くなってきたから、そろそろ僕は部屋に戻るね」
「おう、ありがとうな、夏目」
「それじゃ、おやすみ。二人共を気をつけてね」
「ああ、おやすみ」
部屋に戻る夏目を見送った後、俺は金庫に目を向けた。
「気になるか? 特に何も起きなかったけど、なんなら確認のため一応見ておくか?」
創賀の提案に俺は頷いた。万が一にでも、既に拳銃が取り出されていたら洒落にならない。
創賀の『2』番の鍵と俺の『1』番の鍵で金庫を開けると、そこには七丁の拳銃と二つの鍵が入れた時のまま、全く同じように置かれていた。それを確認してから、俺達はもう一度、金庫を閉じた。
「それで、これからどうする? 起きているつもりなら俺も付き合うぜ?」
「ああ、そうだな。とても眠れる気分じゃ無いしな」
俺の言葉に創賀は笑みを浮かべて、キッチンに向かっていった。
「何か飲むだろ? 夜は長いんだ」
風呂上がりで、喉の渇いていた俺は頷いた。
「紅茶がいいな」
「起きる気まんまんだな」
「ああ」
椅子に腰掛けて、俺は創賀の持ってきた紅茶に口をつけた、俺はその微妙な違和感に顔を顰めた。一周目、二周目ともまた違うが、少し苦い気がする。もちろん全く飲めないわけでは無いが、完璧なバランスの美味しさにあと一歩足りない感じなのが、余計にもったいない気がする。
「思ってたんだけど、創賀ってさ、紅茶入れるの下手だよな」
俺は三周分の思いをようやく創賀にぶつけた。
「そうか?」
創賀は納得いかないように顔を顰めて、自分の分の紅茶に口をつけた。
「確かに、微妙だな。」
創賀は難しい顔をする。
「だが、夕方、木戸君が亡くなった時だけど、あの時に淹れた紅茶は美味しかっただろう?」
「確かに、あれは美味かったけど、創賀だったのか? てっきり水紀が淹れてくれたものかと」
「あれも俺が淹れたんだよ。いいか、あれが本当の味だ。今回は少し失敗しただけだ。そんな事より、次に眠くなったら大人しく部屋で寝るんだぞ?」
創賀はいたって真面目に言ったが、内容だけ聞くと母親みたいだ。俺は笑いを溢した。
「徹夜したところでいずれ限界が来る」
「分かってるよ」
確かに創賀のいう通りだ。実際、今の俺は既に頭が働かなくなってきていた。時刻はもう深夜0時を回っているし、普段なら平気で起きている時間でも、今日半日の疲労が今になって一気に押し寄せてきたような気分だ。
「そういえば、創賀は知ってたか? 中学の時、同じクラスだった冬月菜々子が亡くなってたって話」
俺は重たい頭で、頑張って会話しようとした。創賀は俺の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ようやく、そこまで辿り着いたか」
「何だよ、知ってたのか。やっぱり彼女の死が何か関係して……」
突然、創賀がバタンとテーブルに突っ伏した。
「どうした?」
「悪い、しくじったみたいだ」
創賀はそう言い残して、それ以上喋る事は無かった。それを見た俺は、体の支配権を強引に奪い取ろうとするような激しい眠気の中で、ハッと気がついた。
(まさか、この紅茶に……)
しかし、俺は容赦なく襲いかかってくる睡魔に抵抗できず、そのまま意識を失った。
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