第17話 故人

 水紀は俺を見て、気まずそうに聞いてきた。


「灯也……君は、部屋に戻らないの?」


「ああ、金庫を見張らないといけないからな」


「そう」


 水紀はそれからキッチンへと向かって行った。俺は前回の最後を思い出して、恐ろしい記憶に体を震わせた。

 包丁を持たれたら、どうやって対抗するべきだろうか?


 油断さえしなければ最悪な事にはならないだろうと、俺は警戒を強めた。


 戻ってきた水紀が手にしていたのは、二つのカップだった。


「飲む?」


「悪いけど、そんな気分じゃないんだ」


 俺が断ると、水紀は残念そうにココアの入ったコップを机の上に置いた。水紀は俺から一席空けて、自分の椅子に座った。


「そうだよね。あんな毒殺事件があった後で、飲めないよね」


 俺と水紀の間には気まずい沈黙が流れる。その間も、俺は警戒しつつ水紀の一挙手一投足に目を光らせていた。

 水紀はそれから勇気を振り絞るようにして口を開いた。


「灯也君、私達さ……」


「中学ぶり、と思いきや、実は数ヶ月前に偶然会っているんだよな」


「え? 気づいてたの!?」


 水紀は嬉しそうに表情を明るくした。


「あの時は気がつながったけど、その後でな……」


 俺が表情を変えないまま言うと、水紀は俺の冷めた様子に表情を暗くした。その水紀の昔と変わらない素直な感情表現に、俺は耐え難くなって厳しい口調で切り出した。


「水紀、お前が殺したのか?」


 水紀は驚いて動揺したように、目を泳がせた。


「なんで? 私はやってないよ?」


 水紀は悲しそうに目を伏せて言った。


「いったいどんな事情を抱えているんだ? 何を隠している?」


 俺の止まらない厳しい追求に、水紀は泣きそうな程に表情を歪めた。それを見て、俺は心を痛めた。しかし、真実に辿り着くためには必要な事だと、俺は感情を押し殺して、厳しい表情を貫いた。


「ごめんなさい。言えないの、絶対に。でもこれだけは信じて、私は殺してない!」


 水紀のその言葉に嘘があるとは俺には思えなかった。しかし、今の俺は自分自身に対する信用をすっかり失っていたから、水紀の言葉が本当なのか分からなかった。

 

 水紀はそれからしばらく黙って俯いていたが、不意に立ち上がって無理に作った明るい顔で俺に言った。


「ねぇ、お腹空かない? もうこんな時間だし」


 時計を見るともう19時前だった。


「私、何か作るね。少しは何か食べないと、持たないからさ。」


 そう言うと、水紀は勝手にキッチンで料理を始めた。


「食べるつもりはないぞ?」


「そんなこと言わないでさ。料理には自信あるからさ」


 そんな風にして一方的に、水紀は炒飯チャーハンを作って持ってきた。勝手に目の前に置かれた炒飯の盛られた皿に俺が戸惑っていると、水紀は俺の隣に座って俺用のスプーンを手に取った。そして、そのスプーンで俺の分の炒飯を一口食べて見せた。


「これで毒は入ってないって分かったでしょ?」


 そう言って、水紀はスプーンを渡してきた。水紀の必死さに、俺は頭を抱えた。


(ここまでされたら、食べないわけにいかないじゃないか)


 俺は渋々、炒飯を口に運んだ。


「美味しい……」


 疲れ切った空腹の体に活力を行き渡らせるような、上品な美味しさがそこにはあった。


「でしょ? 灯也に食べてもらいたくて頑張って作ったからね」


 水紀は嬉しそうに、表情を明るくして言った。その瞳は優しく、俺を見つめていた。それから水紀は自分の分の炒飯を食べ始めた。


「ご馳走様」

「お粗末さまでした」


 俺が炒飯を完食すると、手伝おうとする俺を差し置いて水紀は上機嫌で皿を持って洗いに行った。俺はすっかり坂本水紀という人間が分からなくなっていた。二周目の出来事は全て夢なんじゃないかと思えてくる程に、今の水紀はあの時とは別人のように感じられた。


  ◇


 洗い物を終えた水紀が戻ってきた時、ちょうど部屋から出て来た田城さんと遭遇した。田城さんは水紀を視界に捉えると、不愉快そうに睨みつけた。心なしか、田城さんの目は赤くなっている気がした。雰囲気を察した水紀はたまれなさそうに、俺に言う。


「私、部屋に戻ってるね。またね、灯也君」


「ああ、ありがとな」


 水紀を見送った後、田城さんはコップに水を注いで席に着いた。


「あの子と、仲良いのね」


 水紀の部屋に視線を送りながら、田城さんはつまらなそうに言った。


「一応、幼馴染だからな。俺には水紀が殺人鬼だとはどうしても思えないんだ」


 俺は殺人鬼と成り果てた水紀の姿を思い出しながら、呟いた。


「そうかしら? 私には、綺麗な顔に本心を隠した、不気味な人間に見えるけど」


 俺は、二人の仲がこれほどまでに険悪になってしまったことが残念に感じた。二周目の二日目の朝にはとても仲が良さそうだったのに。

 思い返すと、今回の三周目では、初日の夕食後のトランプとかで遊ぶ時間が無かったから、それも要因かも知れない。一、二周目の今頃は一緒に遊んでいたから、それが親しくなるきっかけだったのかもしれない。

 そこで俺はふと、一つの疑問に思い至った。あの時、俺と水紀、創賀は小学校の思い出や、夏目、宮野さんも含めて、中学校の思い出を話したりした。久々に会ったのだから少しくらい懐かしくなるのは普通だろう。しかし、木戸や田城さん、夏目と宮野さんの高校時代の話は一切出て来なかった。それも、俺が三周目まで四人が高校の同級生だと気がつかなかった一因だ。四人も会ったのは久々だろうに、高校の話が全く出ないのは不自然だ。

 俺は田城さんに疑問を抱いた視線を向けた。


「何?」


 疲れた様子の田城さんは、俺の視線に顔を顰めた。


「田城さん達、ひょっとして高校時代に何かあった?」


 俺の言葉に田城さんは驚いたように目を見開いた。


「なんで? そう思ったの?」


「何となく、勘だよ。高校時代の話あんまりしない気がしてさ」


「そう。樋口君ってそういう目敏いところあるよね」


 田城さんは、一呼吸置いて、仄暗い表情を浮かべた。


「別に隠すことじゃないか……。同級生が一人死んだのよ。あの子のことを思い出すから、鉄人とも高校時代の話はあんまりしなかった。もう鉄人もいないけど……」


 再び悲しみに浸りそうになる田城さんに、俺は聞いた。


「その、高校で亡くなった子って?」


冬月ふゆつき菜々子ななこ。そういえば、沙霧と仲良かったな」


「冬月菜々子だって!?」


 俺は思わず聞き返した。


「そうだけど、ひょっとして知ってるの? って、そうか。沙霧や夏目と中学同じだって言ってたもんね。だとしたら、菜々子とも同じ中学だって事になるのか。そこまで思い至らなかったな」


(冬月菜々子が死んでいる?)


 俺は衝撃を受けていた。


「知らなかった」


 俺は呆然と呟いた。突然知らされた中学の同級生の死は、実感を持って受け入れるには現実感が圧倒的に不足していた。

 しかし、これで集められた七人の共通点が見つかった。全員が亡くなった冬月の菜々子と知り合いだったと言う事になる。


「何があったんだ?」


「菜々子の死はいろいろと複雑なのよ。いい子だったんだけどね……」


 田城さんは昔を懐かしむように遠くにぼんやりと目をやった。 


「何か、このゲームとの関連は思いつかないか? 七人全員が冬月さんの知り合いってことになる。集められた理由に繋がるかもしれない」


「そうは言っても、菜々子の死は悲劇だったけど、とりあえず解決してるし、鉄人はともかく、沙霧が殺される理由なんて思い付かない。今回の犯人との関連なんて、分からないわよ」


 田城さんは辛い記憶を思い出したように、悲しそうな顔をした。


「でも、鉄人も沙霧も殺されたし、次は私の番かもね。……ごめん、私、部屋に戻るわ」


 田城さんはやはり気分が良くないようで、追われるように部屋へと戻って行った。俺は田城さんが心配だったが、部屋にこもってしまった相手に、どうする事も出来なかった。

 

 部屋の中に一人取り残された俺は、冬月菜々子の名前を頭の中で何度も繰り返した。実感が湧かず未だに受け止めきれていないが、俺の知らない所で起きたその一つの死が、とても重要である気がしてならなかった。

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