第19話 二日目の犠牲者

「樋口君! 樋口君!」


 誰かに呼ばれる声がして、俺は目を開けた。視界には心配そうな夏目の顔があった。


「良かった。もう起きないかと思ったよ」


 俺が体を起こすと、体の節々が痛んだ。まだ少し頭がぼんやりとするが、どうやら俺は中央の部屋の床の上で寝ていたようだ。

 夏目の横には、厳しい表情の創賀の姿があった。


「最悪だ。完全にやられた」


「何があったんだ?」


 俺が寝ぼけた声で聞くと、創賀は心底不愉快そうなしかめっ面で言う。


「睡眠薬を盛られたんだ。おかげで、俺と灯也は夏目が起こしてくれるまで、すっかり熟睡状態だったよ」


(睡眠薬?)


 俺はもやのかかった頭で記憶を辿った。そして昨夜の事を思い出してテーブルの上を見ると、まだ少しだけ紅茶が残っていたはずのカップは既に片付けられていた。


 俺が部屋の時計を見ると、既に10時を過ぎていた。


「完全に寝坊だな」


「もっと早く起こせれば良かったんだろうけど、僕が朝起きたら部屋の扉が開かなくて、出るのに時間がかかったんだ」


 夏目の言葉は嘘では無いようだ。夏目の『7』番の部屋がある廊下を見ると、割れた木の板が落ちていた。おそらく二周目に田城さんがやったように、外側から木の板で閉じ込められていたのだろう。


「その後何とか部屋から出られて、この部屋で眠っている二人を見つけたんだけど、樋口君はなかなか起きなくて。気分は大丈夫そう?」


「ああ、まだ少し頭が重い気がするけどもう大丈夫だ。迷惑かけたな、夏目」


「まだ少し薬が残っているんだろうな。悪いな灯也、俺が抜かったばっかりに」


 謝る創賀に俺は首を横に振った。


「お前だけのせいじゃ無い」


 俺にだって責任はある。今更思い出したが、二周目の最後に水紀が口にした『睡眠薬』という言葉をもっと気に留めて注意していれば、避けられたかもしれない。


「そういえば、水紀と田城さんは?」


 俺が聞くと、夏目は不安そうに答える。


「実は今日はまだ見てないんだ。部屋でまだ寝ているだけかもしれないけど……」


 その言葉に、俺は急に危機感を感じて、頭を叩き起こした。寝ぼけている場合では無い。


(そもそも何故俺は生きている?)


 俺と創賀を眠らせた殺人鬼が無防備な俺達を殺していない理由が気になった。実際、昨夜意識を失う直前の俺は死を覚悟していて、次に目覚めるのは初日のいつもと同じ白い部屋だと思っていた。


 俺は疑問と胸騒ぎを抱えながら、水紀の部屋に真っ先に向かっていた。


「おい、水紀?」


 俺は『3』番の部屋の扉を大きく叩いたが返事は無く、ドアノブに手をかけた。


「クソッ、鍵がかかっている」


 俺は水紀の部屋の扉が開かないのを知ると、すぐに田城さんの部屋へと向かった。


「あっ、ちょっと待ってよ!」


 夏目は俺の迅速な行動に戸惑っているようだったが、創賀は冷静な様子でついて来ていた。


「田城さん! 田城さん!」


 田城さんの『5』番の部屋もノックしても返事は無く、俺はドアノブに手をかけた。今度は鍵はかかっていなかった。


「開けるよ」


 一応、声に出して言ってから、俺は扉を開けた。部屋に広がった光景を見て、俺は歯を食いしばった。


「まったく創賀のいう通り、最悪の事態だ」


 頭から血を流して息を失った田城さんの悲惨な姿を見るのは二度目だった。今回も一周目の時と同じように、田城さんの手には拳銃が置かれていた。そして、机の上には『3』番と『5』番の鍵が置かれている。


「そんな……」


 部屋の光景を見て絶句する夏目を部屋の外に残して、創賀は田城さんの遺体に近づいた。


「死後硬直の程度からして、死後数時間以上は経っているだろうな」


 創賀はそれから部屋を見渡して、俺に聞く。


「灯也、この状況をどう見る?」


「一見すると自殺。だが、それに見せかけたって可能性もある。ただし現状では、机の上に置かれた二つの鍵から、水紀との間で何かがあったと考えたるのが自然だ。」


 一周目の経験があった俺は、特に頭を使うこともなく、すらすらと述べた。


「そうだな」


 俺の推測に創賀は頷いてから、部屋を見回している俺の耳元で小声で言った。


「いいか、飛び散った血痕の一つに至るまで、今のこの部屋の状況を入念に観察して記憶しておけ」


「なんでだ?」


 俺が創賀の言葉に不思議に思って尋ねると、創賀はわずかにニヤリと口角を歪ませた。


「今日のお前はかなり頭が切れるみたいだし、俺からのアドバイスだ。いったいどこに真実のヒントが隠されているかはわからないからな。ここから生きて出るためにはそういう緻密さが必要ってことだ」


 どうやら俺が焦っていろいろと喋ったことで、創賀に変な勘違いを抱かせてしまったらしい。自分の能力にそぐわない発言は控えようと思って、俺は落ち着こうと息を吐いた。


 今更焦ったってしょうがない。今大事なのは、冷静に状況を見極め、何が起きているか把握する事だ。


 俺は創賀に言われた通り、部屋を入念に観察した。壁にもたれかかって項垂れている田城さんの様子や、血の飛び散った部屋の様子は一周目と概ね変わらない。一番の違いは、置かれた鍵が『7』番から『3』番に変わっていることだ。それに今回の『3』番の鍵は、先端が曲がって壊れている様子もなかった。


「考えられるのは殺人鬼が水紀で、それに気がついた田城さんが水紀と揉めて成り行きで殺害、それを気に病んで自殺ってシナリオだ」


 創賀の発言に俺が顔を上げて創賀を見ると、創賀は同情するような顔をした。


「水紀が殺人鬼だとは思えないっていうお前の気持ちも分かる。俺だってそうだ。だが、現状で一番可能性が高いのはそのシナリオだ」


 俺は反論できなかった。俺は二周目の実際に殺人鬼だった水紀を知っているから、むしろそのシナリオが腑に落ちる。だが、一周目ではこれは二人のいざこざに見せかけた、木戸の仕業だった。もし今回もそうだったら、夏目と創賀のどちらかが殺人鬼ということになるが、夏目は部屋に閉じ込められていたし、創賀も夏目が起こすまで睡眠薬で眠らされていた。

 俺はもう何が何やら分からなくなっていた。


「とりあえず、水紀の部屋を見てみよう。話はそれからだ」


 創賀は『3』番の鍵を手に取って、俺に見せながらそう言った。


 ◇


 それから、俺たちは水紀の部屋に向かい、田城さんの部屋にあった『3』番の鍵を使って扉を開けた。


 部屋に入った俺の視界に飛び込んだのは、床に仰向けに倒れた水紀の姿だった。その光景に俺はショックを受けて、部屋の前で立ち尽くした。水紀の胸には、包丁が突き刺さっていて、服を血で赤く染めていた。美しい顔には生気が無く、その容姿端麗さも相まって美術館に飾られた残酷な芸術品のように、センセーショナルな場面を作り出していた。

 死には慣れたはずだったのに、水紀の遺体を見て胸が苦しいのは、水紀が死ぬのを見たのは今回が初めてだったからだろうか。あるいは、俺にもまだ人並みに死を悲しむだけのまともさが残っているのかもしれない。


 そんな俺を置いて水紀の死を確認した創賀は、近くに落ちていた番号シールの貼られていない鍵を見て、まるで全てを理解したかように一言呟いた。


「なるほどな」


 それから、創賀は立ち尽くしている俺と夏目に声をかけた。


「一旦、中央の部屋に戻ろうか」

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