第13話 悪夢
昼食の残飯を片付けてから、俺達は重苦しい空気の中でそれぞれの時間を過ごした。みな大半の時間は自室に引きこもっており、毒殺事件の後で食欲が出るような人間もいないから、夕食も集まりはしなかった。各々が勝手に、最低限の飲食をしていた。
夜9時頃、さすがに空腹を覚えた俺も少しは食べようとしたが、毒に対する恐怖と共に口に流し込んだ栄養食品は、ひどく味の無いものに感じられた。ペットボトルのお茶を飲もうかとも考えたが、毒が入っていたらという妄想がちらついて、水道の蛇口を捻った。コップを十分洗った後で、コップに注いだ水を喉に流し込む。
俺が自室に戻ろうとした時、ちょうど『4』番の部屋から出てくる田城さんの姿が見えた。
「樋口君、酷い顔ね」
廊下から中央の部屋に出てきた田城さんは、俺の顔を見て言った。
「それは、お互い様だ」
田城さんだって、酷く疲れたような思い詰めた顔をしていた。
「そうね」
田城さんは自虐的に感情のこもっていない笑いを浮かべた。
「木戸の部屋に行っていたのか?」
田城さんの部屋は『5』番で、向かいの『4』番の部屋には木戸の遺体が安置してあったはずだ。そこから出てきたという事は、木戸の様子を見ていたのかも知れない。もう目を覚ます事はないというのに……。
「えっ、うん。ちょっとね……」
田城さんは目を逸らして暗い表情で言った。
「大丈夫か?」
田城さんはかなり消耗しているように見えた。殺人鬼と共にこの会場に閉じ込められ、俺だけでなく、みんな精神的に限界が近づいているように感じた。
「少しでも何か食べた方がいい」
俺が言うと、田城さんは力無く微笑む。
「ありがとう。そうするわ」
田城さんはふらふらとキッチンの方へと歩いて行き、その後ろ姿を心配に思いながら俺は自室に戻った。あんなに弱っている田城さんの姿を俺は見た事が無かった。
(田城さんは殺人鬼では無さそうだな)
俺は直感的にそう思ったが、自信は全く無い。
そうして、俺は部屋の中でただ時間が過ぎるのを待った。部屋から出れば、いつ殺人鬼に襲われるか分からない。殺人鬼を炙り出す策でも何かあれば良いのかも知れないが、アイデアもそれを行動に移す気力も無い。不安と恐怖に苛まれながら、俺はため息を繰り返した。
◇
俺がハッとして目を覚ますと、時刻は11時を過ぎていた。椅子に座ったまま、いつのまにか寝てしまっていたらしい。変な汗をかいていたようで、服がベタついて気持ちが悪い。
俺はベッドの下の引き出しから着替えを引っ張り出すと、部屋を出て向かい側の扉を開けた。運のいい事に、今は誰も使っていないようだ。
俺は部屋の扉の鍵を閉めると、さらに奥の扉を開けて浴室に入った。部屋に入ってすぐの洗面台のある空間からそれぞれ繋がる浴室とトイレには、さらに扉があって鍵もかけられるようになっているが、廊下に面している扉に比べるとやや頑丈さに不安が残る。だから、殺人鬼の
俺はシャワーを浴びながら、少しだけ気を休めた。鏡を見ると、田城さんが言っていた通り、酷く疲れた顔をしている。疲れが流れていくわけでは無いが、それでもシャワーを浴びて、ごちゃごちゃとしていた感情は少しだけ軽くなった気がした。
着替えを済ませて、やや血色の回復した俺が自室に戻ろうとすると、扉に違和感があった。
(なんだ?)
扉に横向きに木の板が貼り付けられ、釘で壁に固定されていた。これでは扉を開けて部屋に入ることが出来ない。板を壊せば何とかなりそうではあるが……。
(誰がこんな事を?)
とても嫌な予感がした。
その時、大きな銃声が聞こえ、俺の体を震えが駆け巡った。
俺がすぐに中央の部屋に走ると、田城さんが手にした拳銃を左隣の廊下に向けていた。あの廊下の先には水紀と創賀の部屋があったはずだ。
「何してるんだ!」
俺が叫ぶと、田城さんは俺を見て驚いたような顔をした。
「どうして!? 部屋から出られたの!?」
俺が咄嗟に部屋を見渡すと、机の上には二つのカップが置かれている。それから、金庫の扉が開かれていて、俺はすぐに事態を悟って後悔した。
(しまった!)
毒殺に気を取られて俺は拳銃の存在を失念していたのだ。だから、倒れた木戸と夏目から鍵を回収していなかった。おそらく、田城さんは木戸の死体から鍵を回収して、金庫を開けたのだ。
それよりも、今は目の前の状況を何とかしないといけない。田城さんまでは少し距離がある。近づくより先に拳銃を撃たれたら終わりだ。左隣の廊下から中央の部屋に、飛び散った血痕の一部がはみ出しているのが見えた。
田城さんの廊下を気にするような視線の動きから、おそらく撃たれた人物はまだ生きている。
(だったら……)
俺は近くにあった、椅子を思いっきり田城さんに向かって投げつけた。
「ちょっと!?」
田城さんは飛んでくる椅子に対して、防御の姿勢を取った。その隙に、俺は左隣の廊下へと移動した。
「灯也……」
そこには、左足から血を流している水紀の姿があった。廊下の先を見ると、左手の『2』番の部屋には俺の部屋と同じように外から板が貼られていて、中からドンドンと扉を叩く創賀を部屋に閉じ込めていた。
後ろを見ると、椅子にぶつかってバランスを崩していた田城さんは、体勢を立て直して拳銃を構えようとしていた。
「水紀! こっちだ!」
俺は水紀の体を支えると、右側の『3』番の部屋に飛び込んだ。それとほぼ同時に銃声がなり、俺達は間一髪のところで銃弾を避けることが出来た。すぐに鍵を閉めると、ドンドンと田城さんが扉を叩いた。
「樋口君、開けて!! その女は……」
「落ち着け、田城さん!」
「樋口君はその女を庇うの? もういい……」
不意に、扉を叩く音が止まった。俺は胸騒ぎがして、足から血を流す水紀を引きずって扉から離れた。その直後、銃声が鳴り、扉を貫通して床に着弾した。
(イカれてる……)
俺は田城さんに対して恐怖を覚えながら、水紀を庇うようにして、扉に向けて背を向けた。
それから、田城さんはさらに2、3発撃った後、ようやく銃声が止んだ。その後、田城さんが扉の前から立ち去る足音がして、俺は銃弾がどれも当たらなかった事に、心の底から安堵した。
「うっ」
水紀が呻き声を上げて、俺は水紀に視線を戻した。水紀の左太腿からは血が流れ出ている。俺はベッド下の引き出しを開け、適当に服を引っ張り出して、それで水紀の太腿を縛った。応急処置のやり方はよく知らないが、少しは流れ出る血が減った気がする。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
水紀は目に涙を浮かべて、痛みに耐えながら微笑んだ。
その時、また足音がして扉の前で立ち止まった。どうやら田城さんが戻ってきたようだ。
突然、扉からドンッと大きな音がした。
(まさか……!?)
俺が思い出したのは一周目の二日目の創賀の行動だ。あの時の創賀のように、田城さんは持ってきた斧で扉を壊そうとしているのだ。バキバキと木が壊れる音に俺は戦慄した。
(ムチャクチャだろ。……ヤバいな)
扉がいずれ壊れる事は経験済みだ。俺は苦し紛れに会話を試みた。
「なぜだ、田城さん!!」
「その女が、殺人鬼だからよ!!」
田城さんは、扉に斧を振り下ろしながら言う。俺からしたら、状況的に田城さんが殺人鬼にしか見えない。
「私だって色々と考えたの。でもおにぎりに毒が入っていたんだとしたら、私じゃ無いんだから、どう考えても水紀さんしかいないじゃない!」
田城さんが手を止める事は無い。
「私には沙霧が殺人鬼だとも思えない。ねぇ、そいつは、鉄人と夏目を殺した殺人鬼なんだよ? 早く出て来させてよ!」
田城さんは泣き叫ぶように言った。しかし、すぐにも殺されそうな雰囲気なのに、出て行けるわけが無い。
「水紀、大丈夫だからな」
俺は水紀の肩に手を置いて、必死に状況を打開できる方法を探した。背後からは相変わらず、バキバキと斧を扉に振り下ろす音が聞こえてくる。部屋に使えそうな物も無い。机をバリケードにしても、拳銃で撃たれたら終わりだ。12時を回った時計の秒針は刻々と時を刻み、田城さんが扉をぶち破るまでのカウントダウンが止まりそうには無かった。
不意に、フッと水紀が笑いを溢した。水紀は俺の背中に手を回して言う。
「灯也、石鹸のいい匂いがする。お風呂上がり?」
「こんな時に何言ってるんだ?」
水紀は、困惑する俺を支えにして、そのまま立ち上がった。
「おい、大丈夫なのか?」
「大丈夫、私はまだ、死ぬわけにはいかないから」
水紀は左脚を引きずりながら、今にも壊れそうな扉の前まで歩いていく。俺は困惑したまま、その様子を見守っていた。扉の前まで辿り着くと、水紀は自分から扉の鍵を開けた。
「おい、何して……」
戸惑う俺に構わず、水紀は扉を開けた。そこには、突然扉が開いて呆気に取られたような田城さんの姿があった。
それからは流れるように滑らかで無駄の無い動きだった。水紀は隠し持っていた包丁を取り出すと、それを田城さんの胸に突き刺した。田城さんは目に涙を浮かべたまま、斧を落として後ろに倒れ、水紀が包丁を引き抜くと血が噴き出した。返り血を浴びながら、水紀は死にゆく田城さんに対して小さく呟いた。
「邪魔な人を部屋に閉じ込めるって発想は無かったよ。睡眠薬だって奪われてたし、紙一重だった」
それから水紀は、左足を引き摺りながら、俺の元へと戻ってくる。地面に垂れる血が水紀自身のものなのか、田城さんのものかはもう分からなくなっていた。包丁を手にして体を血の赤に染め上げた水紀の姿に、俺は言葉を失った。血の赤に彩られた美しい顔は、心の底から恐怖を煽るような艶やかさがあった。
崩れ落ちたように地面に座り、動けないでいる俺の前まで来ると、水紀は俺を抱きしめるように腕を回した。
「なぜだ?」
俺が言葉を絞り出すと、水紀は悲しそうに声を漏らした。
「これも全部、あなたの為なの。許して欲しいとは思わない。だけど、これだけは言わせて」
俺の首元には包丁の冷たい感触があった。
「私、やっぱり灯也の事が……」
俺の耳元で囁くと同時に、水紀は包丁を力強く引いた。
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