第10話 再会

 二日目の朝、木戸を止める事に成功した俺が目を覚ましたのは、八時半頃だった。正確には起こされたと言うべきだろう。扉をドンドンと叩かれる音に目を覚ましたのだ。俺が部屋を出ると、水紀達五人の姿があった。夏目も田城さんも無事だ。俺は木戸の殺人を止められた事を再確認して、安堵しながら挨拶をした。


「みんな、おはよう」


「おはよう、灯也君」


 水紀は安心したように、表情を緩めた。


「まだ、八時半だろ? みんな早起きだな」


「こんな状況でよく熟睡できるわね。水紀さん、かなり心配してたわよ」


 田城さんの言葉に、水紀は慌てたように言う。


「花凛ちゃん、それは言わなくていいから。ほら、殺人鬼がどうとか言ってたからさ、少し心配で」


 田城さんと水紀はいつの間にか仲良くなっているようだ。女子の結束感に俺は密かに感心した。


「まぁ、鉄人もまだ寝ているみたいだから」


 田城さんは小さく溜息をついてから、「起こしに行ってくる」と去っていった。


「じゃあ、朝ごはん用意してるから、早く来てね」


 水紀たち他の四人も田城さんに続いて去って行く。そんな中で、俺は夏目だけを呼び止めた。


「夏目、ちょっといいか?」


「どうしたの? 樋口君」


「お前の部屋の鍵を見せてくれないか?」


「え? いいけど……」


 夏目は不思議そうにしながらも、鍵を見せてくれた。


「あー、やっぱり〜」


 俺は鍵を受け取ると後ろを向いて、扉の鍵穴をいじる振りをして鍵のシールを貼り替えた。


「どうしたの?」


「実は、鍵が閉まらなくてさ、受け取る鍵を間違っていたみたいなんだ」


 『1』と『7』の数字が若干似ている事に感謝しながら、俺は夏目に本物の『7』番の鍵を返した。


「え? そうだったの? 僕、全く気がつなかったよ」


「ああ、もう大丈夫みたいだ。ありがとう」


「うん」


 かなり無理がある気がしたが、何とか誤魔化せて俺は安堵した。


 ◇


 それから、俺が身支度を整えて中央の部屋に行った時、そこには木戸の姿もあった。俺が視線を送ると、木戸は寄ってきて耳打ちした。


「安心しろ。もう、変なことは考えてない」


「ああ」


 俺は問題が解決して、すっかり安心した清々しい気持ちで、水紀の用意してくれた朝食を食べた。


 ◇


 それから俺達七人は各々で自由に時間を過ごした。木戸を止めたというのに、一向にこのサバイバルゲームから解放される気配がない事だけが、俺の気がかりだった。


(まさか、殺人鬼を本当にしなくちゃいけない訳じゃ無いよな……)


 俺は嫌な考えを頭から振り払う。そして俺は創賀に見られている事に気がついた。創賀が近づいてきたから、俺は身構えた。


「な、なんだ? 創賀」


 創賀は俺を見定めるかのように、観察眼を端々に光らせていた。俺の態度だけで創賀に全て見透かされる気がして、俺は焦った。


(いっそ木戸の事を全て話すか? いや、しかし……)


 木戸はまだ何の罪も犯していないのだから、無闇に木戸のプライベートを話すのは木戸の名誉の為にも良くないと、俺は思いとどまった。それに俺は、大事おおごとにはしないと木戸に言っている。


「灯也、お前何か知って……、いや、今はまだいい。」


 創賀は自ら引き下がって、行ってしまった。俺がほっと息をつくと、目の前にカップが差し出された。温かく甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「ココア作ったんだけど、飲む?」


「ああ、ありがとう」


 ココアに口をつけると、ココアのほど良い甘さと風味が広がり、体を温めた。

 水紀は俺の隣の席に座り、自身もココアに口をつけた。


「灯也君、私達さ……」


「中学以来だよな。本当に久々で懐かしいよな」


「実は最近会っているんだよ?」


「え?」


 水紀は俺の事をじっと見つめていた。


 ◇◆◇


 あれは数ヶ月前、目を覚ました私は時計を見て目を疑った。


(寝坊した!?)


 飛び上がるように体を起こして、急いで支度を済ませて家を出た。昨日は夜遅くまで課題レポートを作成していた。そのレポートの提出期限が今日の午前10時なのだ。厳しい教授だから、期限を過ぎれば単位を落としかねない。

 私が駅までの道を走りながら時計を見ると、9時ぴったり発の電車まではあと3分ある。乗る予定の電車は一本前だったが、この9時の電車に乗れればぎりぎり10時には間に合うだろう。私は急いで改札を抜けて、ホームへの階段を駆け降りていた。電車はもうホームに到着していて、すぐにでも出発しそうだった。何とか間に合いそうだと、私が前の男の人を避けて階段を下ろうとした時、足が滑った。

 足場が消えて体のバランスを崩した私だったが、幸い階段の一番下はすぐ近くで、何とか転ばずに着地できた。しかし、最悪だったのは、鞄が開いてた事だった。急いで家を出たから、ファスナーを閉め忘れたのだろう。転びかけた拍子に、鞄の中身が飛び出し、私の周囲一帯にばら撒かれた。

 私はすぐに拾い集めようとしゃがみ込んだ。しかし、ホームの床に散らばったレポートの紙を私が急いでかき集めている間に、電車の扉が閉まる音がした。その音に私は絶望する。私を置いて目的地へと発っていった電車の残した風に吹かれて、紙はさらに散らばった。

 私は地面に膝をついて、顔を伏せながらゆっくりと鞄の中身を拾い集めた。次の電車は15分後、それだと到底間に合わない。それに、周囲の私を見る視線が痛い。荷物を駅のホームにばら撒いたみっともない女だ。私は電車に乗り遅れた絶望と、今の自身の姿の惨めさに涙が溢れそうになる。私は顔を伏せて、黙々と散らばった鞄の中身を拾い集めていた。


「はい」


 急に声をかけられて、少しだけ顔を上げると、散らばったレポートの束を私に差し出している青年の姿があった。


「あっ、ありがとうございます」


 泣きそうな顔を見られるのは恥ずかしかったから、私は俯いたままそれを受け取った。しかし、青年は紙を私に渡した後も私の前から立ち去ろうしなかった。

 見られているのが恥ずかしいから、早くどっかに行って欲しいと思いながら、私は拾い集めた持ち物を鞄の中にしまう。

 青年はそんな私に声をかけて来た。


「お姉さん、電車乗り逃したみたいだけど、大丈夫ですか?」


 まだ話しかけてくるなんて、ナンパかと疑いながら、すっかり意気消沈していた私は無愛想に答えた。


「もう間に合わないので、大丈夫です」


 私は青年を放って家に帰ろうと階段に足をかけた。今日は元々午前の講義の予定もないし、あの教授が期限を過ぎて提出された課題を受け取ってくれるとも思えない。元はと言えば、期限ギリギリになるまで、すっかり課題の存在を失念していた私が悪いのだ。


「ちょっと待って。お姉さん、帝応大学の学生ですよね」


 私の大学を言い当てた背後からの声に、私は肩を震わせた。


「いや、さっき落とした学生証が少しだけ見えて。だったら、諦めるのはまだ早いと思いますよ」


 青年の目的が良くわからず、私が不審に思って振り返ると、青年はスマホで何か調べているようだった。青年は少しすると顔を明るくして、スマホの画面を見せて来た。


「ほら、3分後に出るバスに乗ってこの駅まで行って、そこから特急に乗れば、さっきの電車とほとんど変わらない時間には着くと思います」


 スマホの画面には、私が使ったことのないルートが表示されていて、それなら確かに間に合いそうだった。私は驚いて、青年の顔を見た。青年は気恥ずかしそうに顔を逸らして言う。


「お節介だったかもしれないけど、もしこのルートで行くつもりなら、急いだ方がいい。じゃあ、お気をつけて」


 そう言うと、青年はちょうどホームの反対側に来た電車に颯爽と乗り込んだ。それから、希望を見出した私は急いでバスに乗り込み、そこでようやくあの青年の顔と懐かしい幼馴染の顔が一致した。


(灯也、昔と少しも変わっていない)


 私はバスに揺られながら懐かしい気持ちを思い出した。結局、私は灯也から離れる事を選んで別の高校に進学し、それからしばらくは忘れていたけれど、大学生になった灯也は私が幼い頃に憧れた灯也のままだった。


 ◇


 もちろん、そんな心の奥底に潜む本心は隠して、私は灯也にその日の出来事を話した。


「覚えてない? おかげで私はレポート期限に間に合って、単位を落とさずに済んだんだけど。 あの時はお礼言えなかったから。」


 記憶を探るように俯いていた灯也は、思い出したようにパッと顔を上げた。


「ああっ! あの綺麗な人か!」


 私は突然綺麗だと言われて、恥ずかしくなる。これまでの人生で美人だとか可愛いとか褒められる事は何度もあったけれど、やっぱり灯也に、しかも素で口からこぼれたように言われるのは心にくるものがある。私はニヤけそうになる口元を押さえて、自然な笑顔を作った。


「あの時は、転ぶ所から一連の場面を全部見ててさ。あまりにも可哀想で、しかも乗り遅れた時に、本当に絶望的な泣きそうな顔してたから。偶然あのルート知ってたから、つい口を出しちゃったんだよね」


「本当にありがとう。あの時は助かったよ」


 私がお礼を言うと、灯也は懐かしむように穏やかな笑みを浮かべた。


「まさか、あの時の人が水紀だったとは……。確かに言われてみるとそんな気がして来た。だったら尚更、勇気を出して声をかけて良かったな。水紀を助けられたんだから」


 灯也がこういう言葉を天然で言っているのは、幼馴染の私は知っている。


「灯也君って、昔もよく私を助けてくれたよね。絶対に諦めないで最後には必ず解決してみせるの」


「そうだったか? 創賀の方がよっぽどいろいろと凄かったと思うけどな」


 創賀の圧倒的な才能に目が眩んで、見逃されがちだけれど、私は灯也の強みを知っている。

 私は自分自身の気持ちと対話して、決意を改めた。

 私がココアを飲もうとすると、いつの間にか手元のカップは空になっていて、ひとときの甘い時間は終わりを告げた。


 ◇◆◇


 







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