第9話 悪の動機

 俺たちは前回と同じように、金庫に拳銃を入れ、夕食をとった。それから、一日を終えて解散したのは夜11時半頃だった。だが、今回の俺は部屋に戻ったふりをして、すぐに中央の部屋へと舞い戻った。目的は金庫の拳銃を取りに来るはずの木戸を待ち伏せることだ。俺はキッチンの床に座り、身を隠した。この位置ならば、俺の存在に気がついて引き返される心配もないだろう。

 誰もいない部屋で静かに俺は木戸を待った。


 今でも木戸が殺人鬼である事は信じられなかった。何かの間違いであってほしいと思っていた。だから、俺の“前回”の記憶の事は誰にも言っていない。誰かに行ったところで信じてもらえるかも分からないし、展開が変わるのを恐れたというのもあるけれど、できれば未然に木戸の殺人を止めて、ただの気の迷いという事で済ませたかった。俺さえ黙っていれば、木戸の罪は存在しなかった事になるはずた。木戸が来たら、理由を聞こうと俺は思った。きっと何か特別な事情があったに違いないのだから……。


 1時頃だろうか、ずっと何も起きない暗い部屋で待っていた俺がうつらうつらしていた時、誰かの足音が聞こえてきて、俺はハッと意識を引き戻した。


 (誰だ?)


 耳を澄ませた俺の心臓の鼓動は大きくなり、目は冴えてくる。

 足音は『4』番と『5』番の部屋のある廊下からやってきて、中央の部屋に入ると真っ直ぐに金庫に向かって行く。

 俺は物音を立てないように細心の注意をはらいながら、金庫の見える位置まで移動した。そこには金庫の前にしゃがみ込む人間の姿があった。その人物は暗闇の中で手探りで金庫を開けようとしているようだった。

 

 カチッというスイッチの音と共に、突然部屋の明かりがつき、金庫の前にいた男は驚いたように立ち上がって振り返った。俺のつけた光に照らされた木戸は、眩しそうに目を細めた後、俺の存在に気がつき、動揺するように目を泳がせた。


「よぉ、樋口。なんでここに? ひょっとして樋口も俺と同じで眠れなかったのか?」


「見苦しいぞ、木戸。お前が拳銃を取り出そうとしている事は知っている」


 誤魔化そうとする木戸の必死さが、俺の心を苦しくした。


「拳銃を取り出すって無理だろ? 金庫を開けるには鍵が二本必要だ」


 木戸は手に持ってた鍵を背中に隠しながらとぼけたように言う。


「八本目の鍵があったんだろ。俺はそれを最初に確認している」


 俺の断定的な口調に、木戸は表情を曇らせた。


「知ってて泳がせてたのか? めたんだな、樋口」


 木戸は恨みのこもった目で俺を睨んだ。そこに殺人鬼の面影を感じて、俺は恐怖を感じた。


「どうしてだ? 木戸。何でこんな事を?」


「お前はどこまで知っている?」


 木戸のこちらを探るような言葉に、俺は堂々と答えることにした。木戸の本心を知る為には、情報を隠していてもしょうがない。


「シールを貼り替えて手に入れた、『7』番の部屋の鍵、それを使って夏目の部屋に侵入して睡眠中の夏目を殺害。その後、田城さんを自殺に見せかけて殺すつもりだろう? そして『7』番の部屋の鍵は壊し、二人の間でいざこざがあったように見せかける」


 俺の話を聞いた木戸は目を丸くして、薄ら笑いを浮かべた。


「そこまで分かるのか? 前々からお前は切れる奴だとは思っていたが、ここまで言い当てられるとさすがに恐ろしいよ」


 俺は真剣な表情を保ったまま、もう一度木戸を問い詰めた。


「なぜだ木戸! どうしてお前がそんな事を!?」


 木戸は俺を見て、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「そこまで見抜いておきながら、理由は見当がつかないか」


 木戸は一瞬、慈しむような優しい視線を俺に向けてから、振り切れたような不気味な笑顔を浮かべた。


かねだよ、金!! ある人に言われたんだ、ここに集められた全員を殺せば金をくれるってな!」


「は?」


 俺は予想を遥かに外れた不純な動機に愕然とした。どんな理由があろうと殺人が正当化される訳じゃない。だが、それにしても信じられない答えだった。


「金なんかのために殺人を? 馬鹿げてるだろ、ありえない」


 俺の言葉に対して、木戸は怒ったような冷たい表情で鋭く俺を睨んだ。


「恵まれているお前には分からないだろうな」


 木戸はそれから他人事のように、冷めた口調で話し始めた。


「高校に入ったばかりの頃だったか。会社を首になった親父おやじは、すっかり気が狂っちまった。挙げ句の果てには、殺人容疑で逮捕。それからはもう最悪だ。すっかり精神的に参っていた母親おふくろまで、変な宗教やまじないにはまって散財し、借金まみれ。人生のどん底って思ったよりも深かったぜ」


 木戸は自嘲するように、フッと笑いをこぼした。


「当然、大学進学は諦めるしかないと思っていたが、そこに手を差し伸べてくれた人がいたんだ。それで一時は何とかなって俺も大学に進学できたが、まだ借金は残っているし、弟や妹の学費もまだまだ必要だ」


 木戸は俺を真っ直ぐに見て目を赤くして言う。


「いいか、俺達みたいな底辺の人間が、理想の生活を送るためにはが必要なんだよ」


 俺は木戸の壮絶な過去に言葉を失った。思い返せば、木戸は多くのバイトを掛け持ちしていたし、不真面目な性格にしては奨学金の為だと言って不自然に成績だけは良かった。あのサークルだって、良いバイトを紹介してもらう為の先輩の伝手つて目的の側面もあったのだろう。木戸は人に取り入るのが上手かったから。

 それもこれも金の為。生きる為に……。


 俺は木戸の事を何も理解していなかった。


 この事実を目の当たりにした今、俺が抱くべき感情はなんだ? 何をすれば良い?


 正解なんて分からなかった。ただ苦しかった。所詮は他人事、全てを引き受けるだけの度量も覚悟も無い。何を言っても偽善でしかない気がした。そんな不甲斐なさと悲しみの中で、俺は苦し紛れに言葉を放つ。


「だとしても、殺人を犯して良い理由にはならないだろう?」


 俺の言葉に木戸はいつもと変わらない笑顔を浮かべた。


「お前は良い奴だよ。善良で立派な人間だ」


 そして、少し寂しそうに口角を下げる。


「だかな、この世には俺みたいな正しくあれない人間が一定数いるもんなんだよ」


 それから木戸は、大きな溜息を吐いて、リラックスするように体を伸ばした。


「さて、これからどうするかだが……」


「諦めろ、もうお前の計画は失敗したんだ。お前が大人しくするなら、俺も大事おおごとにするつもりは無い。」


 気を緩めている様子の木戸は、俺の言葉に軽く笑う。


「樋口は甘いな。なぁ、お前は失念しているかもしれないが、今ここで、俺がお前をれば、俺は計画を遂行できるんだぜ」


 木戸は鋭く俺を睨んだ。突如として緊迫した空気に包まれ、俺は身構える。


 力づくで木戸を止められるか?


 本気の喧嘩の経験なんて、俺には無い。格闘技の一つでも習得しておけば良かったと考えたが、今更どうにもならない。

 俺は拳を握った木戸の動きに集中した。それから木戸は腕を振り上げ、俺は歯を食いしばって、覚悟を決めた。


「え?」


 次の瞬間には、木戸の振り上げた手の拳は開かれていて、木戸の持っていた鍵は宙を舞って俺の前にまで飛んで来ていた。俺はその鍵を手で受け止めた。


「木戸……」


 木戸が思い直してくれたと安心した俺が顔を上げると、眼前には迫り来る木戸の拳があった。


(やばっ、やられた)


 俺は反射的に目を瞑って、衝撃に備える。


「イタッ!」


 額に想像よりも数段軽い痛みを覚えて、俺は戸惑いながら目を開けた。俺の額の前には木戸の弾かれた指があった。


「俺の勝ちだな」


 木戸は勝ち誇ったように指をタップして見せながら、楽しそうな笑みを浮かべていた。俺は額を気にしながら、木戸に怪訝そうな視線を送った。


「お前を殴る気にはなれねぇ。やめたよ。金はまた他の手段で稼ぐさ」


 木戸は気まずそうに目を逸らしながら言った。


「その鍵はお前から、夏目に返しといてくれ。じゃあな、おやすみ」


 木戸はそう言い残すと、自身の部屋に帰って行った。


 (止められたのか?)


 俺は手元にある鍵を見ながら、状況を整理して改めて捉え直した。そして、鍵を強く握り締めた。


 (止めたんだ)


 木戸は人の心を失った殺人鬼だった訳じゃなかった。俺は確かな達成感を覚えながら自室へと戻り、眠りについた。

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