第1話 仮面裏の悪 告解編
「にゃ~はは、名探偵の助手も大変っすねえ」
運転席の猫俣美依が、ツインテールを揺らして朗らかに笑った。後部座席に一人座っている芝野は、ルームミラーに苦笑いで返す。
「マリアさまの完璧な推理を聞くたび、自己肯定感を削られるんですよ。役立たずの僕は何のためにいるんだろうって」
「それで? 一人で手柄を立てに来たんすか?」
「はい。鬼灯朧の情報を持って帰れば、マリアさまも見直してくれるかなと」
「気持ちわっかる~。こっちも似たようなもんっす」
二人の乗っている自動車は、
美依曰く、鬼灯朧による殺しと疑われている事件の現場に、こっそり連れて行ってくれるらしい。
「つかささんに怒られないんですか? 仕事中、勝手に抜け出して」
「最近は怒られなくなってきたっすね。限定スイーツの列に並びに行ったりとか、猫の世話に一時帰宅したりとか、しょっちゅうなんで」
「それ、見限られつつあるんじゃ……」
そんな他愛もない会話が交わされながら、自動車は走り続ける。
やがて美依が車を停めた場所は、街の外れにある廃墟ビルだった。周囲は放棄された工場地帯だ。
美依は先んじて廃墟の中へ入っていき、芝野も数歩離れて後に続く。
「ねえ、芝野さん」
ふと美依は立ち止まった。芝野に背を向けたまま、声をかける。
「おまえ、何なんすか?」
「何……とは?」
芝野は平静を装いながら聞き返した。美依はゆっくり振り返る。
――その顔は、冷酷そのものだった。
瞳孔は開ききっていおり、普段の能天気な笑顔の面影はまるでない。例えるならば、野生動物が獲物を狙うときの静けさを纏っている。
「無能のくせしてマリアさまに気に入られていて。しかも一緒に住んでて、旅館まで行く一緒に行く仲? あり得ないあり得ないあり得ない……」
美依は芝野を見据えたまま、早口で罵倒を重ねる。
「わたし調べたんすよ、芝野さんのこと。そしたら驚いたっすね」
「…………」
「芝野謙なんて人間は存在しない。戸籍さえないおまえが、何を企んでマリアさまに近づいてるんすか?」
「…………」
芝野は無言だった。照明のない廃墟の闇は二人に濃い影を落としている。
「まあ、おまえの正体なんてどうでもいいんすけどね。わたしのやるべきことは変わらない」
美依はパーカーのポケットからスマートフォンを取り出した。
「糞野郎どもから――マリアさまをお守りすることっす!」
スマホがタップされる。すると轟音とともに天井が崩れ、芝野の頭上に瓦礫が降り注いできた。
芝野は咄嗟に横跳びで避ける。よろめきながら顔を上げると――S&W M39の銃口が芝野の心臓をまっすぐ狙っていた。
「サヨナラっす」
銃声。美依の撃った弾丸は、体勢を崩していた芝野の胸を確実に貫いた……はずだった。
しかし美依の視界からは、一瞬前まで捉えていたはずの芝野の姿が消えていた。
――直後、美依はみぞおちに強い衝撃を受ける。
「がっ……!」
不意打ちを喰らい、美依は背中から全身をコンクリートに強く打ちつけた。反撃する間もなく、芝野に仰向けの姿勢で馬乗りにされ、拳銃を奪い取られる。
「クソが……! わかってたんすか、狙われてるって……!」
「……まあ」
芝野の表情は影に覆われて見えない。美依は身をよじって拘束から抜け出そうとするが、体重と腕力で強引に抑え込まれてしまっていた。
「だからって、弾をよけるなんて! おまえ、マジでなんなんすか……!」
「…………」
「なんか言えよ!」
美依は唾を吐き出した。唾は眼鏡のレンズにかかり、左手の拘束が僅かに緩む。その隙に落ちていたスマートフォンを掴むと、芝野の目の前でフラッシュライトを照らす。
そして、照らされた芝野の顔を目の当たりにし、美依は初めて、怯えた声を漏らした。
「ヒッ……!」
「……抵抗しないでください。殺したくなる」
口元の吊り上がった、狂気的な笑み。そして、ライトに照らされた芝野の額には、赤みがかった歪な形の傷跡が浮かんでいる。
「その傷、まさか……っ!」
「ああ……興奮するとね、充血で浮き出てしまうんです」
芝野は額を手で擦る。すると肌色のファンデーションが剥がれ落ち、傷はますます目立つようになった。目や鼻のパーツは手配書の写真とまったく違うが、その特徴的な傷の形と位置は一致している。
「連続殺人鬼……鬼灯朧……!」
「さすが刑事さんですね。手配犯の特徴を覚えているとは」
「じゃあ……鬼灯朧の復活を調べたいって言ってたのは……!?」
「誰かが僕の模倣犯をやってるみたいで。いい迷惑なんですよ」
芝野謙――否、鬼灯朧は、美依から奪い取った拳銃を、彼女の胸元に強く押しつけた。
『殺される』。美依は直感し、恐怖する。全身から冷や汗が噴き出る。
「やめ……やめろぉ……っ! はなせっ……!」
美依はがむしゃらにもがくが、身体を固定されていてビクともしない。
引き金に鬼灯の人差し指がかかる――
「お待ちなさい、芝野」
そのときだった。涼やかな女の声が廃墟に響いた。
二人は声の方へ顔を向ける。カツカツと音を立てながら優雅に歩いてきたのは、純白のロリータ服に身を包んだ少女、新宮マリアだ。
「マリアさま」
「ま……マリアさま!」
美依は救いの女神に出会ったかのように破顔し、声を張り上げる。
「こ、こいつ! あなたの助手の正体、殺人犯の鬼灯朧っす! 偽名を使ってあなたのところに潜り込んでたんす! こっち来たら危ないっすよ!!」
必死に叫ぶ美依を見て、マリアはくすくすと笑う。
「何言ってるのかしら? 知らないわけがありませんわ」
「え」
「ついでに教えて差し上げると、
「は……?」
「かわいらしい名前でしょう?」
唖然とする美依をよそに、マリアは芝野のそばに近寄る。
「囮役ご苦労様ですわ」
「ですがマリアさま、僕の正体を知られてしまいました。失態です」
「いいのですよ」
「しかしこのまま警察署に帰しては、僕もあなたも捕まってしまう。やはり殺すべきでは……」
「芝野」
マリアがひと睨みすると、芝野はあっけなく黙った。美依を押さえつけるのをやめ、マリアの後ろにボディガードのように立つ。
身体の自由を取り戻した美依は上体を起こす。しかし足が震えて動けなかった。
「さて、わたくしがここに来た理由は言うまでもありませんわね?」
マリアは立ったまま美依を見下ろす。
「わたくしの手駒である多田の命を奪い、そして芝野をも殺そうとした、その犯人の罪を暴くためです。ねえ? 猫俣美依さん」
マリアは微笑む。しかし美依を見るその瞳は氷のように冷たい。
「あなたの大好きな探偵の推理お披露目ですわ。期待してくださいましね」
「わ、わたしじゃないっす! 確かにこいつは殺そうとしたけど……多田のことは知らねえっす!」
マリアにゴミを見る目で見下ろされ、美依はこの期に及んで苦しすぎる弁明を述べる。それは、敬愛する人に少しでも嫌われたくないという、死の恐怖とはまた違う恐怖の表れだった。
美依のそんな心理をマリアは見通していたが、あえて無視して推理を語り始める。
「あなたには殺したい人が二人いました。多田恭太郎と芝野謙。大好きな探偵の傍を飛び回る悪い虫。そこであなたは二人の殺害計画を立てた。――かつてお母様を独り占めするため、義理のお父様を線路に突き落とした時と同じように」
ヒュッ、と美依の息を吸い込む音が廃墟に響いた。
「なん、で、知ってるんすか……」
「探偵ですから」
マリアはかわいらしくウィンクをする。
「最初のターゲットは多田恭太郎。彼が拳銃を持っていることを警察の情報網で知っていたあなたは、あわよくば足のつかない銃弾も手に入れたかった。そこで多田の外泊を狙って彼の部屋に忍び込み、スマートカーテンモーターで遠隔発砲のトリックを仕掛けた後、銃弾を持ち去った」
「か、カーテンモーターってなんすか!? そんなのわたし知らな――」
「――まあ、あなたのスマホ、カーテンモーターのアプリが入っているのね! 便利ですわよね、これ」
反論を言い終える前に、マリアは美依のスマホを勝手に操作していた。
「で、なぜ嘘をついたのですか?」
「…………」
押し黙った美依を、マリアは愉快そうに眺める。
「続けますわね。このトリックには二つの目的がありました。一つは離れた場所から殺すことで殺害時刻のアリバイを作るため。もう一つは、発砲のタイミングで現場の近くに位置取り、通報を受けて自分が第一発見者として駆け付けられるようにするため」
「そ、それは……」
「まんまと狙い通り、あなたは証拠の回収に成功。足のつかない拳銃の弾も無事手に入れたわけです。――凶器を手に入れた後、芝野を殺す方法はもっとシンプルでよかった。人に見つからないところで撃ち殺せばおしまい。存在しない人間だから捜索は難航するでしょうし、万が一見つかっても身元の特定は難しい……」
マリアはしゃがみこみ、怯える美依の頭をよしよしと撫でる。
「探偵のお膝元で、二人も完全犯罪を狙う度胸。わたくしは嫌いじゃありませんわ」
「……で、でたらめっす! マリアさまの推理には証拠がないじゃないっすか!」
美依はなけなしの反論をするが、マリアは余裕の表情を崩さない。
「ええ。ついさっきまでは、そうでしたわね」
マリアは少し歩くと、コンクリートの地面から二つ、何かを摘まみ上げた。
先ほど芝野に向けて撃たれた弾丸と、その
「弾についた線条痕は、あなたの拳銃と完全に一致する。そして9mm弾の薬莢の底面には、見てとおり刻印がありますわ。メーカーと製造年。多田の拳銃に入ったままの弾と一致するはずです」
「ぐっ……!」
「どちらも芝野を殺した後に回収するつもりだったのでしょうけれど……残念でした」
マリアは再びしゃがむと、美依の顎に指を添えて持ち上げた。
「さあ猫ちゃん、あなたはこの罪をどう償ってくださるのかしらね?」
耳元でささやかれ、美依は体を震わせる。マリアの背後には殺気を滲ませている芝野が控えている。
「あ……あ……」
凶器も、トリックも、動機も。すべてを暴かれ、身を守る殻が何一つ無くなった美依。そんな彼女の口を突いて出てきたのは、言い訳がましくも本心からの言葉だった。
「……ち、違うんす! わ、わたしは……マリアさま、あなたのためを思って! 反社の男に、正体不明の男。マリアさまが二人に裏切られて、酷い目に遭わされる前に、わたしが守ってあげたかったんす……! 本当に! 信じてほしいっす……!」
涙ながらの必死の懺悔を、しかしマリアは一蹴する。
「どんな動機でも、罪は罪。何もなく赦すわけにはいきません」
「ま、マリアさま……」
「もう一度訊きますわね。何をもって贖罪してくださるのかしら?」
口をぱくぱくさせていた美依だったが、徐々に怪訝な顔に変わっていった。
「わたしは……ここで殺されるか、そうでなくても警察に突き出されるんだって思ってたっす。違うんすか……?」
恐る恐る訊ねた美依に、マリアは微笑みかける。ただし今までの冷たい瞳ではなく、いつの間にか慈愛に満ちた視線に変わっていた。
「罪は罪。ですがわたくしは、あなたの愛にも応えたいのですわ、猫俣美依さん」
「で、でも、わたし、マリアさまの大事な人を殺したっす! そんなの許してもらえるわけがない!」
マリアは首を横に振る。
そしておもむろに両腕を広げ――美依を抱きしめた。
「いいえ、罪は赦されます」
「……え」
「確かに多田は死にました。ですが失った命を数えるよりも、今わたくしを愛してくださるあなたを罪から救いたい。それがわたくしの気持ちです」
「ま、マリアさま……」
美依は驚愕していた。自分を抱いているマリアの身体が、微かに震えている。顔は見えないが、まさか泣いているのだろうか?
「そしてここに告解します。わたくしもあなた以上に、大きな罪を抱えた身。償えるならば、喜んで絞首台に立ちましょう。ですが普通の方法では償えないのです。この罪は司法という仕組みに収まらないのです――」
「どんな罪、なんすか」
「申し訳ありません。今はまだ言えません。ですがわたくしは、どんな手段を使ってでも贖罪を成し遂げる。そのためには、警察や司法をも欺むき、真実を覆い隠すことも厭わない。そして何より……わたくしには味方が必要ですの」
マリアの罪が何なのか、美依は全く理解できない。それでも一つ分かったことがあった。
……この人は、自分を必要としているのだ、と。
マリアは手を放し、改めて美依の顔を正面から見た。
「ですからあなたの贖罪を、わたくしの贖罪のために使わせていただきたいのです。もう一度伺いますね。あなたは罪を償うため、何をしてくださいますか?」
猫俣美依に迷いはなかった。手のひらを地に着き、喜びに溢れた瞳でマリアを見上げる。
「なんでもするっす! マリアさまの言うことなら、なんでも! マリアさまのお役に立てるなんて、願ってもないことっす!」
「嗚呼、ありがとうございます!」
暗い廃墟の中で、二人は再び抱擁を交わす。
――かくして、探偵によって鮮やかに暴かれた真実は。
光に照らされることなく、闇へと葬られたのでった。
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一週間後の日曜日。
つかさと美依は、再びマリアの探偵事務所を訪れた。つかさの眉間の皺はいつもより深く、不機嫌を隠そうともしていない。
「――結局、多田の事件は自殺と結論付けられたわ。つまり、迷宮入りってこと」
「あら……残念ですわ」
つかさは心底悔しそうな顔をしている。隣に立つ美依がぺろっと舌を出した。
「容疑者の候補さえ挙がらず、捜査続行を望む遺族もいない。そんな状況で、天涯孤独の元反社に、これ以上労力をかけてもしょうがないと判断されたんでしょうね。マトモな繋がりがあったのはマリアだけだったから、教えにきてやったわ」
「お気遣いありがとうございます。今度、お墓に花を持ってまいりますわ」
マリアは目を閉じ、胸の前で十字架を切る。
つかさは鼻を鳴らし、ソファから立ち上がった。
「美依、帰るわよ。わざわざオフの日に来てあげたんだから、これ以上時間を無駄にしたくないの」
「あ、先輩! わたしはもう少しマリアさまの所で遊んでいくっす!」
美依は意気揚々と手を挙げた。
「あんたねえ……」
「わたくしはかまいませんわよ。つかさ、いいでしょう?」
「まあ別に。勝手にしたら」
美依、芝野、そしてマリアの3人に見送られながら、つかさは帰っていった。
つかさが出ていくと、美依はマリアの方に振り向く。
「――というわけで」
そして背筋を伸ばし、敬礼のポーズをとった。
「不肖、猫俣美依。これからマリア様の探偵事務所でお世話になります! よろしくお願いするっす!」
マリアは満足そうに微笑む。
「よろしく猫ちゃん。働きに期待していますわ」
「捜査一課のスパイはお任せください! っす!」
気合を入れる美依の横でふてくされているのは、芝野謙こと鬼灯朧だ。
「猫俣美依を仲間にすること、僕はまだ納得してませんからね。だって殺されかけたんですよ」
美依は芝野をギロリと睨むと、顔がくっつくほどの距離まで詰め寄った。
「それはこっちの台詞っす! おまえなんかより役に立って、追い出してやるんすから!」
「じゃあまず警察としての勤務態度を直したらどうです? つかささんに見限られて首を切られるのと、僕に物理的に首を切られるの、どっちが早いでしょうね」
「あ~~っ! こいつ今脅してきたっすマリアさま! 脅迫罪で逮捕っすよ! 逮捕!」
「あらあら……」
ぎゃあぎゃあと喧嘩を始めた二人の手駒を眺めていると、騒がしさに反して、マリアは心が落ち着くのを感じていた。
きっと、こんな風景が探偵事務所の日常となっていくのだろう。
それはそれで悪くない。気兼ねなく堪能させてもらうとしよう。
――
第一話 仮面裏の悪 完
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