第1話 仮面裏の悪 出題編2
つかさは胸ポケットから手帳とペンを取り出す。
「正直に答えなさいよ。直近で多田恭太郎と会ったのはいつ?」
マリアは紅茶を一口すすってから、ゆったりと答える。
「三日前ですわ。ただ、それ以来連絡は取れていませんが」
「三日前? 本当なの?」
「先輩! それ、ちょうど多田が殺された日っす!」
「……殺された?」
「情報漏らすなバカ!」
つかさは美依の頭を叩くが、時すでに遅し。しっかり聞きこえていたマリアは目を細めた。
「聞き逃せませんわ。何があったのか教えてもらおうかしら」
つかさは眉間を押さえる。もっとも、遅かれ早かれ教える羽目になる予感を彼女は抱いていたのだが。
「三日前の正午過ぎ、多田が自宅で死んだわ。死因は頭部へ銃弾が直撃したことによる失血死。彼の部屋から銃声が聞こえたという通報を受けて、わたしたちが発見した。他殺の線で追っていて、彼の関係者を洗っているところよ」
「それでわたくしの話を聞きに来たと」
「ええ。三日前に会っていたとなると、腰を据えて話を聞く必要があるわ。あなたたちのアリバイも併せてね」
マリアは芝野と顔を見合わせた。
「温泉旅行に行っていましたの。一泊二日。多田には私たちがこの事務所を空ける間の留守番を任せていました。戻ってきたのが三日前の午前で、入れ替わりで彼は家に帰りましたわ」
「留守番!? マリアさま、男に留守番させてたんすか!?」
変なところに食いついた美依に、マリアは優しく答える。
「そうですわよ」
「ひえ~~~~!」
「安心なさって。わたくしの寝室含め、リビング以外の部屋に入れないよう鍵をかけていきましたもの」
「えっ、じゃあ多田はどこで寝たんすか?」
「さあ、このソファじゃないかしら。まあ、大柄な彼には狭かったかもしれませんが……」
「かわいそう」
無感情に突っ込むつかさと、こっそり頷く芝野。
「聞き取りを続けていい? 温泉は誰と行っていたの?」
「芝野と行きましたわ」
「男と温泉行ったんすか!? 二人で!?」
「そうですわよ」
「先輩!! こいつら交尾したんす!! あ゛~~~~~!!」
「安心なさって。芝野とはそんな関係ではありませんわ」
「かわいそう」
同じトーンで突っ込むつかさだったが、今度は芝野は無反応だった。
「わたくしと芝野は帰ってきて、この事務所で多田と落ち合った。時刻は……午前11時ごろね。その後彼は家に帰ると言って別れたけれど、まさか死んでいたなんて」
「本当に別れたの? 彼の家までついていって殺したんじゃない?」
「本気でおっしゃってる? 動機がありませんわ。それに、この部屋に監視カメラをつけているのは知っているでしょう? 芝野」
「はい、マリアさま」
芝野はノートパソコンに映した監視カメラ映像を二人に見せた。天井からの視点映像には、事務所から去る多田が映っている。その後を早回しで再生するが、マリアも芝野も出ていく様子はなかった。
「アリバイとしては十分かと」
「ふん、まあいいでしょう」
「次はわたくしが質問する番ですわ。他殺の線で追っているということは、何か理由があるのですよね?」
そう尋ねたマリアの鼻先を、つかさはペンで指す。
「先に言っておくけれど。今回マリア探偵の出番はないわよ。あなたは被害者の知人だし、最後に会った証人でもある。いくらあなたがお上に気に入られているからといって、渡せる情報はいつもより少ないと思ってちょうだい。もちろん現場にも立ち入り禁止」
「ええ、わかっております。ですができる限りの情報はいただきたいですわ」
マリアは刺繍の入ったシルクのハンカチを取り出し、目元に当てた。声が微かに震えている。
「多田のことは大事に思っておりました。ヤクザから足を洗い、悔い改めて、わたくしのためによく尽くしてくれていましたもの。犯人を暴いて、彼の無念を晴らしたい。それこそがわたくしにできる唯一の弔いなのですから」
「ううっ……マリアさま、おいたわしゅう!」
「美依、騙されちゃダメよ。こいつの涙が本物だったことなんて一度もないんだから」
「つかさ、友達を信じてくださいまし」
「信じるわけじゃないけど……まあ……いいでしょう」
瞳を潤ませるマリアにつかさは嫌悪の表情を浮かべる。そして、現場の状況を簡単に説明し始めた。
多田の死体のそばに拳銃が落ちていたこと。発砲音の通報があった時刻と、死亡推定時刻はほぼ一致していたこと。頭を貫いた弾丸の線条痕がその拳銃と一致したこと。部屋には他に誰もいなかったこと。
「それだけ聞くと拳銃自殺の可能性もありそうですが」
「その線も捨てていないわ。でも、遺書がなかったし、何より彼の部屋に何者かが侵入した痕跡があったの」
ベランダの窓ガラスに手のひらサイズの穴が開いていたことが捜査で発覚していた。泥棒が内鍵を開ける際に使う常套手段である。
「わたしたちの仮説はこうよ。彼の殺害を目的とした何者かが部屋に侵入して待ち伏せていた。そして被害者を殺害した後、逃げ出した……。玄関の鍵はかかっていたから、ベランダから逃走したと考えられる」
「逃走した犯人は見つけられたのかしら?」
「目下捜索中。付近の監視カメラを洗ったり、近隣住民に聞き込みをしたりしているけれど、不審な人影は見つかっていない」
「まったく?」
「ええ。住宅街だから監視カメラは多い。なのに今のところ手掛かりはゼロ。殺害後すぐ捜査に取り掛かったから、もっと簡単に見つけられると思ってたんだけどね……」
つかさは力なくため息をつき、紅茶をすすった。
「落ち込まないでくださいまし。あなた方の捜査能力は信頼しておりますわ」
「慰め結構」
「はいはい! わたしはマリア様に慰めてほしいっす!」
「うるさい! ……とにかくそういう状況だから、今は動機の線から絞り込もうとしているわ。ただ……」
「……難しいでしょうね。彼を殺す動機を持つ人間は多かったはずですもの」
多田は元暴力団構成員だ。当然一般人からは恨みを買っていただろうし、身内にも他の暴力団にも対立している者がいたことは、マリアもつかさも知っていた。
「その通り。今はしらみつぶしで彼と関わりのある人たちを聞いて回っている段階よ」
「彼の部屋から何か不審なものは見つかっていませんの? あるいは逆に何かなくなっていなかった?」
「特になかったわ」
つかさはそう言った後、「あっても教えないけどね」と付け加える。
「犯人の手掛かりになる物的証拠はゼロ。指紋も残っていなかった。争った形跡もなし。普通の独身男性って感じの汚い部屋」
「凶器になった拳銃は? 手掛かりにならないのかしら?」
「いいえ、拳銃は多田自身のものよ。正直なところ、彼がチャカを隠し持ってるのは警察としてはわかりきっていたの。彼の身辺は半年前の冤罪事件のときに調査されていて、拳銃所持の疑いも濃かったから。直接の証拠は見つからなかったけど」
「まあ物騒! あの子が拳銃を持っていたとは存じませんでしたわ」
「……本当に?」
「本当ですわ」
一瞬、二人の間に緊張感が生まれる。が、すぐにつかさは話の先を続けた。
「ともかく、拳銃には多田の指紋がべったりだったから、彼の持ち物で間違いないわ。でも拳銃以外には何もなかった」
「弾倉の予備もなかったのかしら?」
「予備?」
「弾を打ち切ってしまったら、銃はただの鈍器でしょう。予備の弾倉くらい、押収品に加わっていると思ったのだけれど」
「ああ、まあ確かに……?」
マリアの指摘に、つかさはピンと来なさそうに首をひねる。
「言われてみれば無かったわ。でも弾なんて滅多に消費しないでしょうから、常識的に考えて、弾倉の予備は持っていない方が普通だと思うけど」
「……その通り、ですわね」
「むしろマリアが気にする理由がわからない。多田が予備を持ってるって知ってたの?」
「まさか。常識がなかっただけです」
つかさはマリアをジト目で睨みつけるが、それ以上の追及はしなかった。どうせ追及しても「証拠は?」の一言ではぐらかされるとわかりきっていたからだ。
マリアが褒められない調査手段に手を染めている疑念を、つかさは常々抱いていた。しかし証拠を掴ませない上に、どうやら警察署の上司も黙認している節があった。幾度も難事件解決に貢献してきた有能な探偵を失いたくないのだろう。そして、生真面目なつかさにとってはそれが腹立たしかった。
そんなつかさの葛藤をよそに、マリアは顎に手を当てて思案する。
「あなたたちが死体を発見したときのこと。もう少し教えてくれないかしら?」
「そのくらいならいいけれど。なんの参考にならないと思うわよ」
つかさは三日前の出来事を思い出しながら話す。
通報を受けて駆け付けたこと、管理人から鍵をもらって押し入ったこと、最初に死体が目に入ったこと、まだ死体は温かかったこと、窓が開いているのに美依が気付いて外を見たが誰もいなかったこと……。
「さすがの名探偵様もこれだけの情報じゃ推理できないんじゃない?」
一通り話し終えてから、つかさは挑発するように言った。マリアはにこやかに笑う。
「ええ、まったく、見当もつきませんわ」
「どうだか……。何か思いついたら連絡よこしなさいよ。情報を提供してあげたんだから」
「もちろんです」
「じゃ、わたしたちは捜査の続きがあるから」
「ああお待ちを。つかささん、美依さん、あと少しお時間いただける?」
二人が立ち上がりかけたところに、マリアは声をかける。
「この事件、あなたたちは何かご存じでないかしら?」
マリアが差し出したスマホの画面を、二人はのぞき込んだ。
そこにはネットニュースの見出し記事が映っている。
「『相次ぐ不審死 連続殺人鬼の復活か!?』……っすか」
「指名手配犯、
三年前に起きたその連続殺人事件は、かつて世間の注目を集めていた。被害者に共通した痕跡が残されていたことから話題になり、各メディアで盛んに報道されていたのだ。
記事に添えられているのは、若い男の手配写真だ。男の額には歪んだ形の傷跡がある。まるで針金が這うような縫合の跡が見え、それが痛々しさと同時に恐ろしさを殊更に演出していた。
「鬼灯朧が活動を再開した噂が立っています。多田にはこの件を調べさせようとしていたのですが」
「そういえば、マリアも一緒に捜査したわね。あなたが解決できなかった事件は珍しいから覚えてる」
「教えていただけることはないかしら?」
「生憎、何も知らない。当てが外れたわね」
「わたしも同じく。お役に立ちたかったっす……」
二人の刑事はそう言い残し、事務所を去っていった。
芝野はティーカップを片付け、サッシの隙間越しに二人の乗ったクラウンが発進したことを確認し、部屋に盗聴器の類が仕掛けられていないことを念入りに確かめてから、マリアに語りかける。
「多田のことは残念でしたね。まさか、あの拳銃が彼の命を奪うなんて……」
「ええ、こうなると知っていれば、返していませんでしたわ」
『多田は拳銃所持を疑われていたが、証拠が見つからなかった』とつかさが語った状況。それはマリアが作り出したものだった。
多田に冤罪解決の恩を着せ、部下として働いてもらうためには、たかが銃刀法違反程度で捕まえられては困る――。そこで当時のマリアは拳銃の隠し場所を推理し、警察に見つかるよりも先に盗み取ったのだ。
そんな経緯から、再び芝野に拳銃を渡したのはマリアに他ならない。その点で、マリアは確かに責任の一端を感じていた。
「犯人捜し、我々も行いますか?」
「あら、どうして?」
芝野の提案に、マリアは質問で返した。
「なぜって……多田を殺されたんですよ。やられっぱなしだなんて、マリアさまらしくない」
「ああ失礼、そういう意味ではありませんわ。犯人には償ってもらいます」
「ではなぜ犯人捜しが不要だと」
「だって、犯人はもうわかっていますもの」
こともなげなマリアの言葉に、芝野は息を呑んだ。芝野自身、つかさたちからの情報だけで謎を解けるとは到底考えていなかったからだ。
「少なくとも
マリアは十字架のネックレスに指をかけ、窓の外に向けて嗜虐的な笑みを浮かべる。
「わたくしの手駒を奪った罪――膝をついて懺悔なさい」
------------------------------
拙作をお読みいただきありがとうございます。
作者の餅は餅屋と申します。
この作品は拙いながらも本格ミステリを銘打っております。
「出題編」までの描写をもとに犯人を特定できるルールで書いていきますので、名探偵になりきりたい方は、ぜひマリアと一緒に犯人捜しゲームに興じてみてください。そうしていただけると、本格ミステリのつもりで書いた甲斐があるというもので、大変嬉しく思います。
第1話「仮面裏の悪」の出題編は今回まで。次回から「追究編」へと移ります。
引き続きお楽しみください!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます