最悪探偵 新宮マリアの告解
餅は餅屋
第1話 仮面裏の悪
第1話 仮面裏の悪 出題編1
『管理しているアパートの一室から銃声が聞こえた』
そんな通報が警察署に入ったのは、初夏、平日の真昼間のことだった。
アパートから最も近い位置にいた二人の女性刑事に、急行命令が下る。二人は喫茶店でのランチを中断し、
「あーもー! デザート食べたかったっす!」
明るい茶髪のツインテールに、腰下丈のストリート系だぼだぼパーカー。いくら私服警官と言えどもやり過ぎなファッションで、捜査一課の先輩から苦言を呈されている、問題児の新人だ。
「贅沢言わない!」
長い黒髪を無造作に後ろで束ねており、苦労を重ねた皺を眉間に刻んでいる。美依の四つ年上で、彼女の指導担当を任されている。
怒られた美依は大げさに肩をしぼめながら、無線からの通報情報を聞く。
「現場はメゾン
「ええ、多田恭太郎の部屋ね」
何か思い当たった様子の美依に、つかさもうなずく。
多田恭太郎。半年前に強盗致傷事件の犯人として逮捕された元暴力団員の男だ。二人はその事件の捜査に関わらなかったが、同僚たちの間で話題になっていたから覚えていた。
その事件では、あらゆる証拠が多田の犯行を示していた。ところがとある探偵が介入したことで、すべてがひっくり返った。同じ組の中で対立していた他のヤクザが、彼を貶めるために仕組んだ事件だと明らかになったのだ。
多田は冤罪を証明され、それをきっかけに彼は暴力団から足を洗った。今ではその探偵の下で小間使いをしているらしいと聞く。
とはいえ、れっきとした元ヤクザには違いなく、多田は事件後しばらく警察の監視対象になっていた。それで二人ともアパートの部屋番号まで知っていたのだ。
――そんな多田の部屋から発砲音が聞こえたとあっては穏やかではない。
5分ほどで到着すると、二人は足早にアパートの二階へ昇った。
「管理人さん、部屋の中へは入っていませんね?」
「はい、指示通り……。これ、予備のキーです」
「ありがとう。自室で待機していてください」
通報者であるアパートの管理人は気弱そうな中年男性だった。
つかさは鍵を受け取り、203号室の扉の前に立つ。二人とも腰のホルスターから、お揃いの
インターホンを何度か押すが反応はない。つかさはドアノブに手をかける。
「鍵は……閉まっているわね」
「う~~じれったい! 突入しましょう先輩!」
「美依、慎重に」
「でも銃声っすよ! もしも誰か撃たれてたら助けないと!」
「まったく……。本部、突入します」
「じゃあ鍵借りるっす!!」
つかさが無線で本部へ伝え終わる前に、美依は予備鍵をむんずとつかんで、ドアノブを回す。そして勢いよく扉を蹴飛ばした。
「とおりゃ~~~~!!」
1Kの短い廊下を抜け、居間に入った二人が見たもの。
それは力なくうつ伏せに横たわった大柄な男――部屋の主、多田恭太郎の無残な姿だった。
角刈りの右側頭部にはぽっかり空いた赤黒い穴が一つ。
そして床に接した左側頭部からは血しぶきが派手に飛び散り、敷かれたままのマットレスを赤く染めている。
「……っ!」
つかさは動揺を抑えながら多田のそばにしゃがんで観察する。
脈は止まっているがまだ温かい。ついさっき死んだばかりのようだ。
彼の足元を見やると、クローゼット近くの床に、返り血のかかった
「先輩、窓がっ!」
美依の声で顔を上げると、ベランダ窓のカーテンがはためいていた。
つかさはベランダへ出る。アパートの裏手は駐車場になっており、すぐ下には植え込みと街路樹が立ち並んでいた。ここは2階だ。ベランダからの侵入も脱走も容易だろう。身を乗り出して周囲を見回すが、怪しい人影はない。
「ふー……」
つかさは息を吐きだし、冷静になる。
死亡時刻は明白。現場も死因も明らか。他殺だとしても犯人の逃走経路は限られているし、まだ通報から時間も経っていない。
つまり今から捜査の手を広げれば、難なく終わらせられる事件だと。
このときのつかさは、そう思っていた。
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探偵事務所の玄関が開くと、両腕いっぱいに紙袋を抱えた若い男がよろめきながら入ってきた。
男は紙袋をリビングの床に下ろし、ネクタイを緩め、眼鏡を外して額の汗を拭く。眼鏡をかけ直してからリビングを見回し、彼に買い出しを命じた探偵の姿がないことを確認すると、やれやれとかぶりを振った。
「マリアさま! 頼まれたもの買ってきましたよ! マリアさまー!?」
すぐに、寝室の扉の向こう側から、涼やかな女の声が返ってきた。
「芝野、いま仕上げの装飾生地が欲しいところでしたの。渡してくださる?」
「どの布です?」
「全部ですわ」
扉がわずかに開き、その隙間から白く細い手が伸びてきた。同時にミシンの駆動音が漏れ聞こえてくる。手が紙袋をよこせとジェスチャーで要求してきたので、芝野と呼ばれた男がそのまま手渡すと、扉はすぐに閉まり、ミシンの音も聞こえなくなった。
「礼の一言くらい……」
そんな期待は無意味だと知りつつも、芝野はぼやいた。
コーヒーを淹れ、窓際に面した自分のデスクに腰を下ろす。事件のレポートを書いたり、電話をかけたりすること数十分後。寝室の扉が開き、
「ねえ芝野、どうかしら? あなたの感想を聞かせて?」
新宮マリアは微笑みながら、腕を広げて一回転。透き通った黒のフリルスカートが宙を舞う。彼女が寝室に引きこもって仕立てていた服は、王道のゴスロリ調ワンピースだった。首元の十字架のチョークがきらりと光る。
マリアは芝野より頭二つ分ほども背が低い。一見中学生くらいに見える。顔立ちの幼さも相まって、まるで着せ替え人形のようだ。
芝野が初めて彼女に出会ったときに感じたそんな第一印象は、三年前から今まで変わっていない。
「いいと思います。マリアさまらしくて」
「誉め言葉、もっと他にないのかしら?」
「他、と言われても……。でも、素敵だと思います」
芝野は困った。先ほど礼を言われなかった不満が吹き飛ぶくらいには、マリアの姿に見とれてしまっていたし、それを素直に言葉に出したつもりだったからだ。
「まあいいですわ。口下手な探偵助手は、口達者な探偵と釣り合いが取れてちょうどよいでしょう」
マリアは涼しげな顔で嫌味を言う。マホガニー製の彼女の机に座ると、真面目な顔つきになった。
「それより、多田恭太郎と連絡はついたかしら?」
芝野は首を横に振る。
「ダメですね。電話にも出ないしメールも返さない」
「まったくあの子ったら。調べてほしいことがあるのに」
「ストライキですかね?」
「まさか。待遇は悪くないはずですわよね?」
「いや~、待遇というか、人使いというか……」
芝野が言葉に詰まっていると、インターホンのベルが鳴った。芝野はホッとして受話器に応じる。エントランスの訪問者と少し話した後、マリアのほうを振り返った。
「警察です。光崎つかささんと、猫俣美依さん」
「あら、入れてあげて。芝野、客人を迎えるのだから顔を整えておきなさい」
モニターに映った旧友の顔を見て、マリアは顔を明るくした。
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「ごきげんようつかささん、ようこそおいでくださいました」
にこにこと笑いながら出迎えたマリアに、光崎つかさは渋い顔を作った。
「その慇懃なしゃべり方、気持ち悪い。いい加減やめたら」
「ふふ、わたくしはこれが気に入っておりますもの」
「そう。わたしは好きじゃないわ」
ぶっきらぼうに言いながらつかさは事務所に上がり込んだ。
その後ろからついて来た美依は目を輝かせている。
「うおーーっ! 感激っす! 本物のマリアさまの探偵事務所っす! タワマンに事務所借りるとかお金持ちっすねえ!」
「あらあら」
「それにマリアさま! 何すかその服、めっちゃエロ可愛い! 地雷系ってやつっすよね! どこのブランドっすか!」
「自前ですわ。まったく、芝野もこれくらい褒めてくれればね」
「自分で仕立てたんすか!?」
「はしゃぐなファンガール! 業務中は背筋を正す!」
「いで……」
テンションがどうかしている美依の頭を、つかさは相当な勢いでどついた。
マリアはつかさとは昔からの付き合いだ。一方、美依とは知り合ってまだ間もない。捜査一課に配属されてから初めて担当した事件で、マリアの華麗な推理を披露されて以来、すっかり虜になってしまったようだ。
マリア、つかさ、美依がソファに座ると、芝野は紅茶と焼き菓子を供した。
「それで、今日はお茶を飲みにいらしたのかしら?」
「はっ、探偵の目は節穴なの?」
つかさは人を小馬鹿にする笑いを浮かべる。
「多田恭太郎――あなたが彼を使って、裏社会の情報を集めさせていたのは知っているわ。今日のあなたは、いわば重要参考人よ」
「……あらあら?」
鋭く疑いの目を向ける刑事。
優雅な笑みを崩さない探偵。
本来ならば真実を追求するため同じ方向を向いているべき立場の二人は、向かい合って互いを見据えているのであった。
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