第1話 仮面裏の悪 追究編1

「犯人特定のロジックについて、順を追って説明しましょう」


 新宮マリアは小柄な体躯に似合わないレザー製のチェアに腰掛ける。芝野が対面のソファに座ったのを確認すると、謳うように語り始めた。


「第一の手掛かりは、現場から消えたものですわ。――すなわち、弾倉の予備」


 芝野は頷く。多田が拳銃と併せて弾倉の予備を所持していたことを、彼に拳銃を渡した張本人であるマリアたちは知っていた。それが現場から無くなったということは、犯人が持ち去ったと考えるのが自然だろう。


「探偵の助手に聞いてみましょう。犯人はなぜ弾倉を盗んだと思いますか?」


 マリアの質問に、芝野は少し考えてから答える。


「単純に、弾が欲しかったから……ですかね?」

「わたくしも同じ意見です。だとすれば犯人は、凶器になった拳銃グロックとは別に、自分自身の拳銃も持っている、と考えるのが妥当です」

「ですよね。弾だけ持っていても仕方ありませんしね」

「そして拳銃を所持できる人種など限られています。裏社会の人間か――あるいは、合法的に拳銃の携帯を許可されている公人か。たとえば、警察のような」


 マリアはその可能性に言及したとき、声を一オクターブ低くした。


「しかし裏社会の者に銃弾を盗む理由はありません。どうせ拳銃自体が裏ルートで入手したもの。弾もそのとき一緒に買えばよろしい。しかし、犯人が警察であれば、話は変わりますわ」

「……彼らは、銃弾を厳しく管理されている」

「そう。銃弾を手に入れる意味が生まれますの」


 警察は拳銃や銃弾などの装備品を極めて厳重に管理されている。勤務開始時と終了時には必ず弾薬の数を確認する必要があり、万が一、発砲が報告されていないにもかかわらず数が一致しない事態になれば、首が飛ぶレベルの重大なインシデントとして扱われる。

 「うっかり失くした」なんて言い訳は通用しない。そのくらい日本の警察は拳銃の扱いに敏感なのだ。


 日常的に手の中にある凶器を振るいたい者にとって、煩わしい枷であることは想像に難くない。


「でも警察なんてうんざりするくらいいますよ。犯人は特定できないんじゃ」

「多田のグロック19の弾は9mmパラベラム。自動式拳銃オートマでは最も一般的な規格ですが、平警官の銃の多くは回転式拳銃リボルバーだから流用できない。使うために盗んだと仮定すれば、特別な銃を持てる仕事の課だと推測はできます」

「なるほど。弾の流用のためには銃の規格が一致してなければならないと」

「とはいえ確かに個人までは絞れませんからね。第二の手掛かりに移りましょう」


 マリアは推論を区切って、次へと歩みを進めた。


「つかさの語った捜査状況を覚えているかしら?」

「確か、死体発見後すぐ捜査を始めたけれど、何の成果も得られていないって」

「ええ。そんな状況はと解釈すべきですわ。付近は監視カメラも多いと言っていたし、ベランダの裏は開けた駐車場。殺害後部屋から脱出したのなら、捜査網に必ずかかっているはず」

「警察の内部犯なら、誤魔化せませんかね?」

「捜査は組織がかりで行うものですから。逃げおおせるのは不可能に近いでしょう。日本の警察は、常識的な仮説の上での人海戦術は得意ですからね」


 言葉に毒を含ませながらもマリアは警察を高く評価する。落ち込んでいたつかさを「捜査能力を信頼している」と慰めたのも、決して嘘ではなかった。


「では、どうやって多田の部屋から犯人は消えたんでしょう? ――あ、思いつきましたよマリアさま!」

「あら、言ってみて?」

「犯人はアパートの管理人か、同じアパートの住人では? 管理人はマスターキーを持っていたらしいですし、住人でもベランダ越しに部屋を行き来すれば監視カメラにも映らないでしょう」


 自信満々な様子の芝野に、マリアはにっこりと作り笑いをする。


「もちろんありえますわ。ですがその程度の発想は、当然つかさたちも考えていると思いなさい。事件から三日も経っていて、今はしらみつぶしで多田の知人を聞き取りしている段階。同じアパートの人間の調査はとうに済ませているはず。芝野、警察を侮るのはあなたの良くない癖ですわ」

「それは……確かにそうですね。ではマリアさまは、犯人はどこに消えたと考えているんですか?」


 マリアは黒いネイルの人差し指を立てる。マリアがその仕草をするのは、推理の核心に触れるときだ。


「発想を逆転させるのです。犯人は消えたのではありません。。そう考えれば、捜査で一切見つからなかったことの説明がつきますわ」

「最初から、いなかった……!?」

「ええ。そもそも白昼堂々住宅街で発砲があったと聞いた時点で違和感がありましたの。そんな状況、すぐ見つかるリスクが非常に高い。アリバイ工作の匂いを感じていました」


 マリアは椅子から立ちあがり、リビングを左右に行き来し始める。


「わたくしの仮説はこうですわ。多田は殺される日の前夜、この事務所に留守番で泊まっていました。犯人はその隙に彼の自室に忍び込み、多田の拳銃を使って、遠隔操作か自動で発砲できる、何らかの仕掛けを作った。そして翌日、多田が帰宅したところで、仕掛けを起動させて殺害した」

「自動発砲の仕掛け? いったいどんな?」


 マリアは肩をすくめた。


手段ハウダニットはまだわかりません。ですが仕掛けを作ったのであれば、現場に何かしら証拠が残ったはず。ところが、つかさの言葉を信じるならば、証拠は何も見つかっていない。なぜでしょう?」

「……犯人に仕掛けを回収されたから?」


 マリアの推理がどこに辿り着こうとしているのか、芝野は薄々察し始めていた。


「そう。そして回収の機会があったのは第一発見者のみ。第一発見者は、光崎つかさと猫俣美依の二人ですわね。――まあ! 奇しくも犯人は警察という一つ目の推測とも合致しましたわ!」


 わざとらしく手を合わせて驚いてみせるマリア。


「まさか……」


 芝野は戸惑いを隠せない。つい先ほどまで和やかに会話していた二人のどちらかが多田を殺した犯人だとはにわかには信じられなかった。

 しかし芝野は知っている。マリアが誤った推理を披露したことは一度もないと。

 そして二人が容疑者に挙がったことで、芝野はあることを思い出した。


「そういえば! 二人が腰のホルスターに差していた拳銃は、どちらも『S&Wスミス&ウェッソン M39』。S&W製では珍しい自動式オートマで、規格は9mm弾です。つまり弾が流用できます!」

「その通りです。よく観察していましたわね。偉いですわ」


 マリアに褒められ、芝野は照れ隠しに眼鏡をいじった。


「さあ、残すは簡単な二択問題です。つかさと美依、犯人はどちらでしょう? ヒントは現場に着いてからの行動ですわ」

「ええと、部屋に入った二人は多田の死体を発見して、つかささんが駆け寄って、猫俣さんが窓が開いているのに気づいて、つかささんがベランダに出て外を確認して――あっ!!」


 声を上げた芝野に、マリアは満足げに頷く。


「まるで、相方に部屋を詳しく調べられる前に、外に目を向けさせるかのように誘導した人がいましたわね? しかもその人物は部屋に入る前も、応援を待たずに突入を促していました」

「……なぜなら少人数の方が証拠回収に都合が良いから。やっと、僕もわかりました!」


 マリアは口元に左手を当て、不敵に笑う。


「犯人は猫俣美依ですわ。ファンガールちゃんが猫の皮を被っていたなんて、わたくし悲しくってよ」


 言葉とは裏腹に、マリアはこの上なく上機嫌に見えた。

 なるほど、もはや猫俣美依以外に犯人はあり得ないだろう。芝野はすべての手掛かりが一本の糸で繋がった快楽に浮かされていた。


「では、後は猫俣美依本人に推理を突きつけるだけですね!」


 はやる気持ちのまま提案する芝野に、しかしマリアはかぶりを振った。


「今の推理には証拠が何一つありません。まだ仮説の段階ですわ。最低限、自動発砲の仕掛けの手段を解き明かさなければ、彼女はしらばっくれるでしょう」

「あ、そうですね……。証拠、必要ですよね……」


 芝野は勢いを失った。


「それに、彼女の二つの動機もわかっていません」

「動機が、二つ?」

「一つはもちろん、多田殺害の動機。わたくしは多田も美依も知っているけれど、この二人は因縁どころか、面識さえなかったはず。だからこそ警察も美依を動機面から容疑者に挙げるのは不可能でしょう。わたくしも今のところ見当もつかない」


 マリアは話しながら、リビングのクローゼットを開け、アウターの真っ暗なケープコートを羽織った。


「そしてもう一つは、銃弾を盗んだ動機」

「さっきおっしゃったように、足のつかない弾を手に入れるためなんじゃ?」

「その先の話ですわ。手に入れた弾を何に使うつもりなのか?」

「ああ……」


 芝野は得心し、デスク上の自動車の鍵を手に取った。

 どうやら安楽椅子探偵はここまでらしい。


「猫俣美依はまだを殺すつもりでいる。次のターゲットを突き止める必要がありますわ」

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