第1話 仮面裏の悪 追究編2
メゾン
事件現場になった多田の部屋は203号室だ。玄関をテープで封鎖されており、見張りの捜査官もいる。つかさから現場調査禁止を言い渡されている手前、無視して部屋へ入ることはできなかった。
「どうしましょうか、マリアさま。トリックの手がかりを探しに来たのに」
「仕方ありません。外のルートを調べます。事件前夜に猫ちゃんがベランダ経由で侵入・脱出したのは確実ですから」
二人はアパート裏手に回った。住人の生活への影響が大きいためか、さすがに駐車場は封鎖されていなかった。203号室のベランダ直下には植え込みと街路樹が並んでいる。木を伝えば二階に侵入するのは難しくなさそうだ。
「手がかりが残っていないか探しましょう。なんでもいいですわ、気になるものを見つけたら教えてください」
「わかりました」
芝野は腰を下ろして草をかき分け始める。が、すぐに手を止めた。
「あの、マリアさまは?」
「何かしら?」
「いや、一緒に探してくれないのかなー、と」
マリアは優雅な所作で立ったまま、芝野を見下ろして微笑む。
「わたくしのワンピースが、さっき仕立てたばかりなのはご存じですわね?」
「そうですね」
「植え込みにひっかかって傷ついたら困りますわよね?」
「……そうですね」
マリアはそれ以上何も言おうとしない。芝野は口をへの字に曲げ、捜索を再開した。
数分後、側溝の隙間を探していた芝野は目の端に光る何かを見つけ、手に取った。
「お宝発見かしら?」
「どうでしょう……なんなんですかね、これ?」
それは、指先に乗るサイズだ。細い金属製のシャーシの両端にプラスチック製の丸いパーツがついている。パーツは触れると抵抗なく回転した。
「ミニカーのタイヤ?」
「殺人現場で遊ぶカーレースはさぞ楽しいでしょうね」
「――なわけないですね」
「最後まで言われなくても気づけるなんて賢いですわね。芝野、これがなんのパーツか調べておきなさい」
マリアはそう指示すると、踵を返した。
「了解です。マリアさまはどこへ?」
「猫ちゃんの動機を調べたいの。彼女のことはデータベースに載せていたはずですから」
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マリアが自動車を停めたのは、個人病院の駐車場だ。
『あがつま総合内科クリニック』と塗装の剥がれた看板が立っている。
マリアは無人の待合室を横切り、診察室へ入る。受付の三白眼の女性はちらと視線を向けたが、無言のままで咎めなかった。
「吾妻先生、ごきげんよう」
声をかけられた白衣の痩せた男はカルテから目を離し、椅子を回した。
「マリアくんか」
男は頬杖をつき、気だるげに言葉を返す。シミだらけの白衣に、ぼさぼさの髪と無精髭。医者にあるまじき不潔さは相変わらずで、マリアはわずかに眉間に皺を寄せた。
「用事は何かね? 定期診察がそろそろだったか」
「いいえ、二週間前に済ませたばかりですわ。今日は地下室を拝借しに来ました」
吾妻は、診察室の奥を顎でしゃくった。その先には、ついたての裏に巧妙に隠された扉がある。マリアはお辞儀をし、自身のポーチから取り出した鍵で扉を開けた。
扉の先は地下への階段だ。暗い階段を下ると、より堅牢な扉が現れた。マリアがパネルのカメラに瞳をかざすと自動で開く。
地下室は一面打ちっぱなしのコンクリートで、狭い。最低限の机と納戸、デスクトップPCが据えられている。
マリアは机に腰を下ろし、パソコンを立ち上げた。
パソコンは事務所のものと異なり、インターネットに繋がっていない。万が一にもデータを抜かれないよう、スタンドアロンにしている。
フォルダを操作し、目当てのファイルを開くと、モニターに猫俣美依の顔写真が映し出された。
猫俣美依。23歳。
光崎つかさの後輩で捜査一課所属の新人。
5歳のときに父親が蒸発。母親の女手一つで育てられた。
16歳のときに母親が再婚。義父ができる。
17歳のとき――義父は混雑した駅ホームから転落し、電車に轢かれ死亡した。
そして同じ駅ホームに猫俣美依は居合わせていたという。
「(報道では事故として片づけられていたけれど……やはりこれは美依による殺し)」
パソコンには、過去犯罪を犯しており再犯の可能性が高い人物や、今後犯罪を犯す動機を持っていそうな人物のあらゆるデータが格納されている。
ありていに言えば犯罪者予備軍のデータベースだ。
マリアは探偵業の傍ら、このデータベースを充実させていっていた。データベースに登録された人物が事件を起こす前に、その行動を予測し、探偵として事件現場に居合わせ、弱みを握って手駒と変えるために。
猫俣美依の場合、彼女の初めての事件を解決した後、マリアの方から「お祝い」と称して飲みの席に誘った。そのときに酔っ払った美依が口を滑らせた言葉がこうだ。
『あんなやつ死んで当然っす! わたしのママは渡さないっす!』
疑うには、その一言で十分だった。それからマリアは美依の経歴を調べ上げ、予備軍データベースに登録したのだった。
「あなたにとって、多田は殺しの一線を越える価値のある人だったの?」
マリアは独り言で問いかける。
殺人は言うまでもなく重罪。故に一線を踏み越えるには強い動機が必要だ。
動機は人によってさまざまである。金儲けや、こじらせた愛憎、己の身の防衛、仕事。
猫俣美依の場合は、おそらく独占欲だ。大好きな母親への独占欲から、新しい父親を排除しようとしたのだろう。
であるならば、彼女の母親がまた新たな縁を結ぶとき、あるいは彼女にとって新たな独占欲の対象ができたとき、再犯を犯す可能性は高い。そう予測してデータベースに控えていたのだ。
「(多田のデータもあるけれど……ううん……)」
マリアはマウスホイールを滑らせながら、二人の経歴を見比べる。
しかし何度読み込んでも、多田と猫俣に繋がりがないのは確実だ。
独占欲も何も、二人は顔を合わせたことはないはずだし、ヤクザだったころの多田の事件捜査に関わってもいない。
独占欲の対象がわからなければ、彼女の次のターゲットもわかりようもない。
「(名探偵の勘も衰えてきたのかしら?)」
二人について推理の材料が不足しているとは考えにくい。
これ以上独りで考えても進展しないと悟ったマリアは、疑問に応えうる人物に訊ねようと割り切り、地下室を後にするのだった。
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