第9話 膨らむ心

 陽葵に言われた「香織先輩と一ノ瀬先輩、付き合ってるわよ」。何のことなのか一ノ瀬先輩に聞いてみる?陽葵は何を見たの?私は一ノ瀬先輩に聞くか迷っている。本当のことを知りたいけども、知ってしまったら私はどうなるのか。一ノ瀬先輩が私の手から離れていくのかも知れない。怖くて私には聞けなかった。

 

「風邪、もう大丈夫なの?」

 僕が花屋の前を通って大学に向かおうとしたときに香織が声を掛けてきた。

「おう。もう大丈夫だ。まひるちゃんのおかゆも美味しかったからな」

「おかゆ、作って貰ってたんだ。私のチーズケーキ、お腹いっぱいだったんじゃ無いの?」

「いや。デザート食べたいと思ってたから丁度良かったよ」

「気にしないで正直に言ってくれればいいのに」

「なに?香織。まひるちゃんに気を使ってる?大丈夫だから。それにまひるの許可も取ったんだろ?」

「取ったわよ。だからその辺は気にしないで大丈夫よ」

「まひるちゃん、結構やきもち焼きだからなぁ。例の井ノ島の件は内緒にしておくんだよな?」

「そうね。その方が良いと思うわ」

 

 その日の夕方、大学を夕方に出たら校門にまひるちゃんが制服姿のままで待っていた。一緒に居た後藤が何か言っているが放っておいた。どうせ制服デートがどうのこうのだろう。

「あ、後藤先輩。こんにちは」

「お。後藤、無視されなかったな。おめでとう」

「一ノ瀬先輩ひどいです。私そんな人じゃないですよ」

「それにしてもなんで一樹だけこんなにモテるんだ」

「人徳だ。後藤も人助けとかしてみたらどうだ?」

「人助けでモテれば世話ねぇよ」

「わからんだろ。美少女の人助けとかしてみればいいじゃん。でも変質者扱いされないように気をつけろよ」

「うっせ。お前みたいに香織さんの仮の彼氏なんてそんな境遇、願っても落ちてこねぇよ」

「仮の彼氏?ですか?なんですかそれ」

 香織先輩と一ノ瀬先輩に昔何があったのだろう。あんなことがあって聞くに聞けない。何かが崩れ去りそうで。

「こいつさー」

「さ。まひるちゃん、行こうか。こいつに変なことされないうちに」

「あ。はい。今日はどこに行くんですか?」

 隠してるの?香織先輩の仮の彼氏ってなに?隠したいことなの?その日はケーキ屋さんでケーキを買って一ノ瀬先輩の家に行くことになった。一ノ瀬先輩はチーズケーキ。私はモンブラン。花屋の店先には香織さんが接客をしていた。その前を見せつけるように腕組みをして歩く。二人の過去になにが会ったのか知らないけども、今の一ノ瀬先輩は私の彼氏。

「あ。一樹、おかえり。今日もケーキ?」

「そう。まひるちゃんと一緒にと思って」

「どうせいつものやつでしょ」

「そうそう。いつものやつ」

 陽葵の一件があってから二人のやりとりがいちいち気になる。いつものってなに?

 

「一ノ瀬先輩。いつもチーズケーキ、食べてるんですか?」

「ん?ああ。あまり自分で買うことも無いんだけどな。ほら、ケーキ屋に男一人で入るのってなんか苦手で」

「一ノ瀬先輩らしいですね」

 自分であまり買うことは無い。いつもは香織先輩が買ってきてくれるの?私の中の何かが膨らむ。

「そんなことより一ノ瀬先輩、この前の夜の続き、したくないですか?」

「何言ってるの。あれ以上はマズいって言ったでしょ?」

「あれ以上。ですよね?じゃあ、ここまでは良いんですよね?ほら。ここにケーキ、付いてますよ……」

 まひるちゃんは僕の顔を引き寄せて口元に舌を伸ばした。そしてそのまま軽くキスをしてきた。

「ちょっとまひるちゃん」

「なんでですか。いいじゃないですか、減るものじゃないですし」

「そうだけど」

「だけど?」

「なんか恥ずかしいというか」

「女子高生のキスですよ?有り難く貰っておいて下さい。あと三ヶ月ちょっとでこの制服も脱ぐことになりますし。あ、でもそうしたら一ノ瀬先輩、解禁なんですよね?」

「解禁ってまひるちゃん」

「だから私は構いませんってこの前も言いましたよ」

 そうしないと一ノ瀬先輩がいなくなってしまう気がして。

「好きですよ、一ノ瀬先輩」

「何だよ急に。分かってるよそんなの」

「ですよね。でも何度も言いたいんです」

「そうか。いつでも聞くよ。でも人前で宣言するのは遠慮してくれると助かるかな。恥ずかしいし」

「どうしようかなー」

 一ノ瀬先輩は本当に私の事が好きなのかな。でもこうして私の事を一番に考えてくれてるし。「そうえばさ。あの台本の件あったじゃない?あれってまだ持ってるの?」

「ありますよ?続き、やります?」

「なんだか面白そうだからやってみようよ」

 僕は本当は凛ちゃんのやりたいことリストを思い出してしまう。でもこうやって上書きすればそれも無くなるかなって思って。

 それからというもの、週末のデートは台本を使ってのデートになった。お互いに役作りなんかもして楽しんだ。

「この海に行くって言うのはどうするの?もう十二月になるけど」

「そうですねー。井ノ島なんてどうです?ちょっと遠いですけど」

「いいね。行こうか。あそこダークアクアリウムって言ってさ、ランタンだけで水族館を回れるイベントとかもあるんだよ」

 なんでそんなに詳しいんですか?ただそう聞けば良いだけなのに聞けない。

「そうなんですか!なんか楽しみですね」

 

「残念。なんかダークアクアリウムってチケットを事前に予約して買っておく必要があるんだって。で、当日券も売り切れだって。これからどうする?時間的にご飯でも食べに行こうか」

「そうですね。この辺で美味しいお店って有るんですかね?」

「この辺は生しらす丼が有名みたいだけど、夜もやってるのかな……」

 やめて。これ以上は。一ノ瀬先輩……。やめて。お願いだから。

 

「やー。すっかり遅くなっちゃったな。家まで送っていくよ」

「あ、大丈夫です。この時間、悠仁君とのゲームタイムですよね?待ってるんじゃないですか?」

「ああ、そういえば。それじゃ、気をつけてね」

 本当は送って欲しかった。そんなのいいよ、って言って欲しかった。その部屋には香織先輩は本当に居ないの?私の中の膨らみは収まることを知らない。

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