第7話 かりそめの彼氏、宣戦布告を受ける

 今週も香織さんから病院に付き合って欲しいとメッセージを貰って付き合うことになった。病院最寄りの駅で待ち合わせて歩いていたら前から知った顔が歩いてくるのが見えた。僕はちょっと人より視力が良い。香織さんはまだ気がついていない。

「ちょっと!香織さん、こっち」

「ちょ‼なによ‼」

 僕は香織さんの腕を掴んで路地に引っ張り込んだ。

「だからなんなのよ」

「し!声を出さないように」

 僕は香織さんを路地から隠すように立って涼花さんが通り過ぎるのを見送ってから大きく息を吐いた。香織さんが近くに居たので息を止めてたので死ぬかと思った。

「なんなのよ一体」

「涼花さんがいた。前から歩いてきてて今そこを通り過ぎた。迷惑、だったらすまない」

「マジ?」

「マジ。だってもう別れたことになってるんでしょ?一緒に居るのがバレたら面倒なことになると思って」

「ありがと。助かったわ。それしてもよく気がついたわね」

 そんなこともあったし、今回は何かあるような気がした、のは気のせいじゃなかった。病室に行ったら香織さんのおばあちゃんの周りに同じ入院患者とおぼしき人たちが集まっていた。

「お。香織。今日も一ノ瀬さんをつれてきてくれたの。ね、私の孫の彼氏!」

 老人仲間がわーきゃー言って僕に色々と質問を投げてきた。その度に香織さんに目線を送って答えるか確認をするが、質問の勢いの方が勝っていった。

「マズいわね」

「なにが?」

「おばあちゃん一人なら忘れるかと思うけど、周りがサポートしちゃったら忘れても思い出さされるでしょ?」

 香織さんは頭を抱えた。僕に毎週彼氏役を頼むのか悩んでいるのだろうか。その程度であればお安いご用だが。

「これから毎週彼氏役をすればいいの?」

「はぁ……。仕方ないわね。頼める?」

 それからというもの、毎週水曜日はおばあちゃんのお見舞いに付き合う日になっていった。

 

「ねえ香織さ。彼とはもう別れたって言ってたよね?」

「彼って?」

「なに?もう忘れる位の彼氏だったの?軽薄ー。でもなんで毎週水曜日に会ってるの?」

「え?」

「見えるんだよねー。あの道、私の家から。なんで私を騙すの?」

「だ、騙すなんてそういうのじゃなくて」

「じゃあ何?」

 昼食中に不意に涼花からそんな詰問を受けた。なんで涼花がそんなに執着してるのか分からないけど一応。本当のことを言えば理解してくれるだろう、そう思ったけども、たたみかけるようにこう言ってきた。

「あのさぁ。そんなこと、信用できると思う?彼氏って紹介してるんでしょ?なんで?彼以外に頼めば良いじゃん。なんで彼なの?本当は未練があるとか?」

「そんなんじゃ……というよりなんで涼花はそんなに彼のこと気にしてるの?」

「私ね。いじめられてたんだ」

「え?」

「高校時代にね。生意気だって。で、クラスで唯一頼れる男の子に助けを求めたの。勇気出して。でもね、彼、助けてくれなかった。一応?大学デビューして彼は気がついて無いみたいだけど。ここまで言えば分かるよね?」

 その彼っていうのが一ノ瀬君⁉

「なんで私のお願いは聞いてくれないのに香織の言うことは聞いてくれるのかな。最初、通りすがりの彼を捕まえて彼氏ー、とか言ったときはびっくりした。思わず逃げちゃった。だから最初から気がついてた。偽の彼氏だって。ねぇ、なんで?」

「どうしちゃったの涼花」

「聞いてるのは私なんだけど」

 正直、一ノ瀬君が私の事をなんで助けてくれるのかは分からない。人助けはボランティア精神旺盛だから、それしか聞いてない。今の涼花にそんなことを言ったら火に油を注ぐようなものだ。

「も、もしかしたら一応は彼氏役を押しつけちゃったからその流れ……かも知れない。正直私もなんでこんなに助けてくれるのか私には分からないの」

「じゃあ、私の復讐に付き合ってくれる?」

「復讐って……本気で言ってるの?」

「この目を見て本気かどうか分からない様な付き合いじゃないでしょ?」

 涼花は本気でそう思っているようだった。でも復讐ってなにをするんだろう。詳細は追って話すとだけ言い残して涼花は席を立っていった。

 どうしよう。借りたノートも返さないといけないのに……。これ以上涼花に一ノ瀬君と一緒に居るところを見られたらまずい。かと言って住んでる場所なんて知らないし、ましてや家に行ったなんて涼花に知られたら、今までの比じゃなくなる。考えに考えてメッセージでコンビニバイトが終わった後に如月公園にノートを返すから来て欲しいと伝えた。時間は深夜になるけど、彼なら来てくれると甘えて。

  

「後藤さ。毎週会ってる女の子がいるとしたらそれは彼氏彼女って事になると思うか?」

「なんだやぶから棒に。なるんじゃねぇのか。もしかして例の香織さんってやつか?まだかりそめの彼氏役やらされてるのか?いい加減断れよ」

「それがさ……」

 話すべきか迷ったけども後藤なら他言はしないと思うし、本当のことを話した。

「はぁ……それは重たいな。でもいつかは見切りをつけた方が良いと思うぞ」

「でもおばあちゃんになんて言ったら……」

「言うのはその香織さんって人で一樹じゃないだろ」

「まぁ、そうなんだけどさ……」

「お前の人助けってのは人が良すぎるだけなんだよ。利用されてるだけ。ノートだってそうだろ?あんなの人助けじゃなくて単純に利用されてるだけじゃんか」

「利用してるお前が言うか」

「ああ、それは悪いと思ってるよ。でもさ、今回の話はそうじゃないだろ。仮の話で済ます重さじゃないぞ」 

 後藤にそう言われて僕は断ろうかと思ったんだ。でもその週も、翌週も断れなかった。行く度におばあちゃんが喜んでくれて。なんか元気になっている様な気もして。僕に断れなかった。

 

「悪いとはわかってるんだけど、今夜、深夜になって本当に悪いんだけども二時半に如月公園に来てくれないかな」

「二時?二時って十四時じゃなくて深夜の二時で合ってるよね?」

 一応確認する。確かに深夜の二時で合ってるいるらしい。なんでそんな時間になるのか分からないけどもなんか切羽詰まった感じがしたので了承した。

「ごめんね。こんな時間に」

 時間が時間だけに待たせるわけには行かないと僕は二時には如月公園に到着していたので香織さんが後から来る格好になった。

「はい、これ。助かったわ」

「ノート?ああ、この前の講義の。用事ってもしかしてこれ?」

「そう。この際だから話すけど涼花に私と一ノ瀬君が一緒に居るところを見られるのがマズいのよ」

「ああ、別れてることになってるから、ってやつですか。でもそれだけならノートの貸し借りくらい大丈夫なんじゃないですか?」

「ダメなのよ。今回は。あなた、高校時代にいじめられてる女の子から助けを求められたことない?」

 なんでそのことを香織さんが知ってるんだ?この前話してもいないのに。

「知ってる、って事で良いかしら。その女の子って涼花の事なのよ。なんで名前で思い出さないかな」

「え?ああ、いや、名前はずっと名字の三宅さんって呼んでたからしたの名前の方は……。というよりもこれってマズくないですか。僕と香織さんがこんな関係だってバレたら」

「だからマズいって言ったじゃない。だからノートを返すのだってこんなところに呼び出したの。それと涼花からあなたへの復讐を手伝って欲しいって言われてる」

 復讐。その響きに僕はあの時に助けなかった事への後悔の念が押し寄せてきた。情けは人のためならず。この言葉の意味。情けをかけなかった場合の事がなにも書かれていない。

「でもさ。それならおばあちゃんへのお見舞いってどうするの?」

「それなんだけど……あの病院までの道って涼花の家から見えるらしいのよ。だから一緒に亜歩いていたら間違いなくバレる。って言ってももうこの話を聞いてから二週間経ってるから手遅れなのかも知れないけどね」

 香織さんは両肘を手で支えながら視線を逸らしてそう言った。マズいなんてものじゃない。これじゃ香織さんと涼花さんの関係にヒビがが入るに違いない。でも一緒に行かないとおばあちゃんに悪いし……。僕は人助けの天秤をかけることになった。香織さんを優先するのかおばあちゃんを優先するのか。

「その……さ。おばあちゃんは……」

「それは避けたいかな。おばあちゃん最近調子が良いのは、私に彼氏が出来たからって医者からも言われてるし。おばあちゃんの念願だったから。でも涼花との関係というよりも一緒に復讐って言うのが私には耐えられなくて」

 ということはもう答えは出ているのではないだろうか。涼花さんとの関係を断ち切る。おばあちゃんを優先するならそうするしかない。そう伝えるか迷ったけども親友の間柄を僕の判断で断ち切っても良いのだろうか。こんな時、母さんならどうするのかな。『情けは人のためならず』なにも手伝わないのかな。でも、そんなことは僕には出来ない。

「両方……じゃ、ダメなのか?おばあちゃんの件は僕がなんとかする」

「なんとかってどうするのよ。言ったでしょ?あの道、涼花の家から見えるって」

「見えなければ良いんだろ?僕は駅前からタクシーで向かう。香織さんは今まで通り歩いてきて。いきなりお見舞いがなくなったら、おばあちゃんが悲しむだろうし涼花さんも怪しむと思うから」

「でもそんなの……タクシー代だって毎回かかることになるし……その……」

 今の私にそんな金銭的な余裕はあるだろうか。毎週千円ちょっと。一ヶ月で四千円だ。バイト代の四時間分のお金。悠仁はこれからお金のかかる歳になる。できるだけ出費は抑えたい。

「タクシー代なら僕が持つから。香織さんはいつも通りの時間に病院に行ってくれれば」

「そんなの!」

「いいのいいの。これは僕がしたくてすることだから」

「どうしてそこまでしてくれるの?赤の他人でしょ?それに最初に迷惑をかけたのって私でしょ?」

「僕さ。おばあちゃん子だったんだ。今はもう居ないけど。生きているうちにもっと話しておけば良かったって今でも思うんだ。だから香織さんにはもっとおばあちゃんと話して貰いたい。その話の中に僕が必要ならそれを叶えたい」

「もう、本当にお人好しなんだから……」

 私は多分泣いていた。一ノ瀬君のあまりの優しさに涙していたと思う。その言葉の後に鳴いている姿を見せたくなくて早々に帰ってきてしまった。今日も悠仁は布団をはだけて寝ている。それを直してからお風呂に入りながらさっきのことを思い出す。

「ほんと、どうしてここまでしてくれるんだろ……」

 

 宣言通り翌週の水曜日は僕はタクシーで、香織さんは歩いて病室に向かう事になった。事は無事に運び、数週間は同じような日々が続いた。

「大変なことになった」

 そうメッセージが来て僕は身構えた。おばあちゃんの容態が悪くなったのか。と、次のメッセージを見て青ざめた。

「来週は涼花が一緒にお見舞いに行くことになっちゃった」

 これは不味いなんてものじゃない。行けば必ず僕の話題が出る。そうしたら涼花さんは香織さんになんでまだ一緒にいるのかと詰めよられる事になる。後藤に相談するか?でも多分、香織さんの事情を知らないし、そんなの香織さんの所為、自業自得だろ、そう言われる気がして自分で考えることにした。この判断は間違えちゃいけない。香織さんには負担とかけたくなかったので「僕がなんとかする」とだけ返信してから考える。

「さて、どうしたものか。考えられる方法は……①正直に話す。②都合が付かなくなったからと言ってもらう。③僕が涼花さんに事情を説明する。他に何かあるか?④香織さんに僕とは別れたと言ってもらう。このくらいか」

「よし整理しよう。①と③は同じようなことだから僕が涼花さんに説明するのが良いだろう。②は最悪だ。④はおばあちゃんの容態が悪くなったら一大事だ。ここはやはり僕が涼花さんに本当のことを話して赦してもらうしかない」

 そう考えた僕はすぐさま行動に移した。香織さんには負担をかけたくない。そう思って香織さんには伝えずに僕だけで涼花さんに話をすることにした。そしてその機会はすぐに訪れた。涼花さんが僕のノートを貸して欲しいと言ってきたのだ。復讐の一つでノートを捨てられることも考えたが、そんなことを考えてる場合じゃないし、香織さんから復讐のことを聞いたと悟られるのは最悪の結果だ。そう逡巡してノートを素直に貸した。返却は今日の十七時に駅前のモクドで、と指定して。

「遅いな……」

 約束の十七時を過ぎても涼花さんはやってこない。やはりノートは捨てられてやってこないのだろうか。その場合はどうする?こちらから話しかけに行く?素直に話を聞いてくれるのだろうか。

「でさー。この前彼氏の家に行ったら超すごいことがあってぇー。あ、鈴木君。ハロー」

 なんで香織さんが一緒に居るんだ。あ、でも二人は親友みたいだし一緒に来てもおかしくないか。そこまでは考えが及ばなかった。てっきり犬猿の仲になってしまっていると勝手に考えていた。

「あ、ああハロー」

 なにがハローだ。どうする。このまま香織さんも一緒に本当のことを話すか?でもそれは多分香織さんが既に試している可能性が高い。その場合。僕が同じ事を言えば口裏を合わせてると思われるだけになる。

「あ、ノート。助かったわ。サンキュー」

 まずはノートはちゃんと帰ってきた。話はどうする?僕は香織さんに目配せをしたが「どうするのよ」というような逆に困った、というような返事をもらった気がした。

 結局、当たり障りのない話をして「また困ったことがあったらノート貸してね」とだけ残して涼花さんと香織さんは去って行った。

 はぁー……疲れた。でも計画は失敗だな。それに香織さんに僕が一人で行動に移したことを知られてしまったし。

「ん?」

 返してもらったノートを鞄にしまおうとしたときにメモ帳が滑り落ちた。床に落ちたそれを見てみた時、僕は顔が青ざめるのが自分でも分かった。

 『高校の時。なんで助けてくれなかったの?』

 一言だけだったけど、その言葉の重みが伝わってくる。助けなかった理由。母親から「情けは人のためならず」なんて聞いていたのはほんの些細なこと。本当は怖かった。自分もいじめられるんじゃないか、そう思ってしまった。それに助けるってどうしたら良いのか分からなかった。とにかく涼花さんとは一度ちゃんと話をすべきだと思った。

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