第6話 かりそめの彼氏、再び

 例の件があってから一週間後。

 『十五時に池のベンチで待ってる』

 それだけの短いメッセージが香織さんから届いた。流石に今回はどうしようか迷ったけども、なにか困ってたら、と考えてしまった。後藤の言うように本当にいつか騙されるかも知れないな。なんて考えながら指定時間に池のベンチに座る。

「なんだよ。呼び出しておいて遅刻とか」

 もしかしてからかいか?よくあるやつ。呼び出して本当に来た来た!って影で笑ってるやつ。僕が香織さんに未練があるか賭けてるとか?時計を見ると。約束の時間からもう十分遅れてる。本当に影で笑ってるのかな。別に良いけど。

「帰るか」

 そう呟いて席を立ったときに池の上の坂道を駆け下りる香織さんが目に入った。一度立ったけども僕はもう一度ベンチに腰を下ろした。

「待っててくれてありがと」

 息を軽く切らして香織さんは僕の隣に腰を下ろした。

「ん」

「なに?」

「飲み物。校門前で試供品で配っててさ。喉、乾いてるかと思って」

「そう。ありがと」

 今日二回目の「ありがと」か。香織さんから僕は結構沢山の「ありがと」を貰っているのかも知れないな。これも人助けのかいがあったというものよ。こんな超美人からお礼を言われるなんて。

「で?なんか用件があったんでしょ?」

「そう。それなんだけど……」

 手渡したペットボトルを半分ほど一気に飲んだ香織さんが話を切り出した。ひとしきりの話を聞いた後に事情を聞く。

「なるほど。そういうことですか。でもなんでそんなことに?」

「信用できる男の人って一ノ瀬君しかいなかったから。他に深い意味は無いわ」

「深い意味は無いって言っても、おばあちゃんに僕を紹介するとか大丈夫なんですか?」

「大丈夫。最近は物忘れも激しいし。多分言っても翌週には忘れてるわ」

 そう言った香織さんは少し悲しそうな顔をして池に目線を落としていた。本当にミステリアスな人だ。

「それでいい?頼める?」

「そっちが良いのなら別に」

 そんなことで僕は香織さんのおばあちゃんに紹介されることになった。紹介、とだけ聞いたけども何の紹介とまでは聞いていない。なんで聞かなかったんだ、後で思ったけども、まぁ、どうせ聞いてもどうこうなるようなことでも無い案件な気がしたのでメッセージで聞くこともなかった。

 

「時間通りね」

「待った?」

「ううん。私も今来たところだから。さ、行きましょ」

 待った?だって。デートの定番台詞じゃないか。こんなことが繰り返されたら本当に勘違いしそうだ。病院の受付で名前を書いてから病室に向かう。てっきり実家に連れて行かれると思ったからちょっとびっくりしている。まさか病院だなんて。

「いい?私が紹介するまでなにも言わないで」

 病室に入る前に念を押されてから香織さんが扉を開いた後についていった。

「おばあちゃん。今日の調子はどうなの?大丈夫?」

「んー?なんじゃって?最近耳が遠くなっての。もうちょっと大きな声で頼むわ」

「おばあちゃん!調子はどうなの‼」

 大きめな声で調子を尋ねる。相部屋だったのでちょっと気が引けたけども。って、なんで僕がそんなことを考えなくちゃならないんだ。それにしても紹介って何の紹介なんだろ。大学の友達でも紹介して欲しいとか言われたのかな。

「今日はね。紹介したい人がいるの」

「おや。それは楽しみだね。その後ろに居る人かね?」

「そう。こちら、一ノ瀬一樹君。同じ大学の同級生」

「そうかいそうかい。香織にもやっと彼氏が出来たのかい。めでたいねぇ」

 え、えー⁉また彼氏役なの⁉な、なんて言えば良いんだ?どうも、彼氏です、とでも言えば良いのか?『いい?私が紹介するまでなにも言わないで』思わず言葉が出そうになったが、病室に入る前に言われたことを思い出してすんでの所で言葉を飲み込んだ。

「で?いつからなんじゃ?」

「一週間位前。私が痴漢にあってるのを助けて貰ってそれがきっかけで」

「そうかいそうかい。勇敢な人じゃねぇ。一ノ瀬さん、孫の香織を助けてくれてどうもありがとうございます」

 頭をかきながら、返事をしようと香織さんに一応目線を送ると、あたりまえでしょ!と行ったような反応があったので「そんなことないです。当然のことをしたまでです」と当たり障りのない返事をして会話を切った。

「おばあちゃん、そういうわけで私は大丈夫だから安心して」

「そうじゃな。立派な人じゃないか。大事にするんじゃよ」

 そう言ってうつらうつらし始めたので、そのまま横になって貰ったら寝てしまった。

「最近いつもこうなの。少しなら話、できるんだけどすぐに寝ちゃって。それで次に来る頃には前回に話した内容をもう忘れてて」

「そう、なんだ。だから大丈夫って」

「そういうこと。だからもしかしたらまた頼むかも知れないけど、頼まれてくれる?」

 これは完全な人助け。騙されるとかない。最高の人助けじゃないか。僕は「分かった」と返事をして病室を二人で後にした。

「こんなこと聞くのはなんだけど、香織さんのご両親には挨拶しなくても大丈夫なのか?」

「記憶の定かな両親に挨拶なんてしたら面倒でしょ……」

「確かにそうか。すまないな余計なことを言って」

「なんか普通に話せるようになったじゃない。今までは会話の先頭に『あ』ってつけてたのに。

「流石に慣れたっつうかなんというか」

「そっちの方がいいよ。あれ、やっぱり私が攻めてるように聞こえてたし。」

「あのさ。この前すれ違ったときに講義のノートがなんとかって言ってただろ?あれってなんの講義だ?」

「会社法Ⅰ」

「あるよ。それならあるよ。今度持って行くから」

「別れた彼氏からノート借りるとかないでしょ」

「じゃあ、家のポストにでも入れておくよ」

「ねぇ。一ノ瀬君はどうしてそこまでして人助けするの?」

 人助け。それは僕にとって特別な事だった。母親にいつも人助けはするな、情けは人のためならず、だからだそうだ。人助けは他人のためにならない。全部自分のためだって。そう言われて育ったけども高校時代にいじめを受けている女の子から助けを求められたことがあった。彼女にとって男子ではクラスで唯一の話し相手だったからだと思う。でも僕は母親の言葉を思い出したのもあるけど、正直勇気が無かった。彼女は勇気を出して僕を頼ってくれたのに。そのときの後悔が僕の背中を押すようになった。人助けは自分のためじゃない。その相手のためになるって。

「僕が人助けをするのは……ボランティア精神が旺盛だからかな」

 香織さんに本当のことを話すのもちょっと重たいし、差し障りのない答えだろうと思った。

「嘘でしょ。嘘ついてる」

「そんなことないって」

「ボランティア精神旺盛って言っても赤の他人に自転車あげたりする?ちょっと行き過ぎだと思うけど」

「あれは緊急事態っていうか。あんな危険な目に遭ってるんだから。男として当然でしょ」

「なによ急に男らしいこと言っちゃって。でも感謝してる。ありがと」

 彼女から何回目の「ありがと」だろう。この一言で僕は前に進める。

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