第7話 社会人なのだから
翌日は日曜日。珍しく予定の無かった
紗奈は金曜日の帰宅途中、幼少のころからメインバンクにしている銀行のATMに寄ってお金を引き出して来た。金額は3万円。お年玉を貯めるのやアルバイト代の支払い先にも使っていた口座で、今は給与の振り込み先に指定している。
お昼前にキッチンに行くと、万里子が昼ごはんの支度をしていた。包丁を使うとんとんとんという音が聞こえて来る。鼻歌を歌いながら楽しそうだ。心底お料理が好きなのだなと感じる。
「お母さん」
「なぁに〜?」
作業中なので振り向かず、声だけ返って来る。
「お姉ちゃんは?」
「朝から出掛けてるで。デートやって」
清花にも恋人がいるのだった。同じ会社の先輩だと聞いた。周囲には秘密の社内恋愛なのだそうだ。確か1年ぐらいお付き合いが続いているだろうか。
秘密、というシチュエーションがたまらないと、清花が話してくれたことだあった。少女漫画好きの清花は少しばかり夢見心地なのである。
そうか、清花はいないのか。それは好都合だとほっとする。紗奈は手にしていた封筒をぎゅっと握った。ならお昼ごはんで隆史と万里子が揃った時に渡そう。
やがて昼ごはんができあがり、ダイニングに清花以外の家族が揃う。テーブルには具沢山の焼きうどんとわかめのお味噌汁が、それぞれの前に置かれていた。
焼きうどんはお醤油味。香ばしい匂いが立ち昇っている。
「ほな、いただこか」
万里子は言うが、紗奈が「ちょっと待って」と止めると、隆史と万里子の視線が紗奈に集まった。
「どうしたん?」
「……これ」
紗奈は膝の上で握り締めていた封筒を出し、隆史と万里子の間に両手で差し出した。
「何これ。お金?」
銀行の封筒なのだから、中身は一目瞭然だ。隆史と万里子は揃って首を傾げた。
「生活費。私も社会人になったんやから、ちゃんと入れなあかんと思って。お父さんもお母さんも言わへんかったから、私、会社の先輩に言われるまでそれが常識って言うか、そうしてる人が多いって知らんかった。聞いて、私もちゃんとせなて思ってん」
隆史と万里子の目を見て真剣に言うと、万里子が目を丸くし、だが次にはふわりと微笑んで紗奈から封筒を受け取った。
「分かった。ありがたく受け取るね」
紗奈は安堵する。これでどうにか、やっといっぱしの社会人になれた様な気がした。
紗奈は光熱費などの生活費が毎月いくら掛かっているのかも知らないし、正直3万円で足りるのかどうかも分からない。だが調べてみると畑中さんの言う通り、それが相場の値段だった。それにお給料はそう高額では無く、それが精一杯とも言えた。
「さ、冷めんうちに食べよ。食べながら話しよか」
「うん」
万里子の言葉に、全員で手を合わせた。
「いただきます」
お
「お母さん、これ味付けお醤油と何?」
「隠し味にウスターソース少しと、かつおの粉入れてんねん。どうしたん。今までそんなん気にしたこと無いやん」
「会社でお昼作る様になって、レシピ見ながらやけど大分慣れて来て、美味しいものとか食べると気になる様になって来てん」
「ちゃんと作れてるん?」
「うん。先輩にも
「その先輩が、さっき言うてた先輩?」
「ううん、ちゃう先輩」
紗奈は少ししんなりしたきゃべつと人参を噛み締める。お醤油の中にお野菜の甘みがしっかりと感じられた。
「その先輩、お父さんがいてはれへんねんて。お母さんとふたり暮らしで、そのお母さんも今はパートで、先輩は相場よりも多く家にお金入れてるて言うてはった。それ聞いて、私、恥ずかしなったんよ」
「恥ずかしいって?」
隆史がお味噌汁を飲みながら聞いて来る。
「うん。それが実家暮らしの社会人の常識なんや、私はそんなこともできてへんねんやって。考えてみたら、ひとり暮らしの人は、いただいたお給料の中からお家賃払ったり食費出したりして生活してはるんやもんなぁ」
「それは確かにそうやけど」
万里子はお椀をテーブルに置いて、ふぅと息を吐いた。
「うちはありがたいことにお父さんのお給料だけで暮らして行けるし、不景気が続いてて、特に今の若い子はお給料もそう
「お姉ちゃんはどうしてんの?」
「もろてへんよ。あの子はそれを疑問にも思ってへんと思う。言われたことも無いし」
「姉妹で同じ様に育てて来たつもりやけど、どこで違いが出たんやろか」
隆史が首を傾げ、万里子も「そうやねぇ」と思案顔になる。紗奈も考えつつ、思い当たりを口にする。
「職場の環境かも。先輩とそんな話になったんはたまたまやったけど、先輩もな、私が家にお金を入れてるもんやって当たり前の様に思ってはった。せやからお姉ちゃんはお友だちとかとそんな話せえへんだけなんと違うかなぁ」
紗奈はかりっと香ばしく炒められた豚ばら肉を口に入れる。甘い脂の旨味が口に広がった。
「そうかもねぇ。確かにそんな話、わざわざせんやろうしねぇ」
万里子が納得した様に言い、紗奈は「うん」と頷いた。
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