第189話 勇者になりませんか?

 濃い緑色のローブを羽織ったオリビア第三王女は、口元に笑みを携えてから言った。


「勇者です。ベアトリス様、勇者になりませんか、という話ですね」


 しごく単純な言葉に、ベアトリスの思考は一瞬だけ止まる。


 その後、少ししてから現状を理解した。


 理解した直後、彼女は答える。




「——断る」




 あまりにもハッキリとした拒絶だった。


 オリビアは首を傾げて訊ねる。


「どうしてでしょうか。理由を教えてください」


「どうしてもこうしてもあるか。確実に面倒な話だろ、それ」


「まあ……たしかに、人によっては面倒な話ではありますね。ですが、勇者とは魅力的な地位でもありますよ?」


「別に地位には困っていない。金にも困っていない。力もある。勇者になる理由が見つからないな」


「ふむ……」


 オリビアはベアトリスの言葉に唸る。


 顎に手を添え、


「残念ですね。オリビアはあなたにこそ真なる勇者の資格があると思いましたのに」


「根拠はなんだよ……」


「実力です。それと、誰にも屈しない! というその志に見惚れました。素敵ですね」


「……それより、こっちからもひとつ訊きたいことがある」


「なんでしょうか。オリビアに答えられる範囲でよければお答えしますよ」


 にっこりとフードの内側でオリビアは笑った。


 質問をする前、その笑みを見たベアトリスは、内心で「胡散臭い笑みだな……」と思った。


 この手のよく笑う人間は、たいていが腹の内で表情とは違うことを考えている。


 平たく言えば腹黒いのだ。


 冒険者として世界各地を見て回ったベアトリスの勘だが、目の前の第三王女オリビアは、ほぼ間違いなく腹黒い。


 笑顔で人に言葉のナイフを突き立てられるタイプだろう。


 そんな彼女が、わざわざ身元がバレるリスクを負ってまで自分と接触した。その時点で、今回の話は簡単に済ませられることじゃないとベアトリスは察する。


 あとは単純に、彼女の話の続きが気になった。おおよそ答えは得ているが……。


「——どうして勇者が必要なんだ」


「…………まあ、そういう質問がきますよね、普通」


 フッ。


 オリビアの口元が真っ直ぐになった。笑みが消える。


 身にまとった空気から、彼女が真面目になったのがわかった。


 もう一度周りを見てから、彼女は声を小さくして言った。


「これから話す内容は、くれぐれも他言無用にしてください」


「そんな話をここでしてもいいのか?」


「先ほどと同じ回答を返します。それに……万が一聞かれても、誰も信じませんよ」


 再び彼女の口元に笑みが浮かんだ。反射的にベアトリスの背筋がぞわっとした。


 これはダメだ。話を聞いてバラしたらとんでもない目に遭う。


 目の前の女は、そういう汚いことを平気でやる——と感じた。


 こくりと頷き、しかし彼女は繰り返し口を開く。


「今更ながら、やっぱり聞かなくていい——って言ったら、許してくれるか?」


「ダメですね」


 オリビアはキッパリと拒否を示す。


 内心で「やっぱりか……」と肩を竦めた。


「あなたの瞳には、すでに答えを得ている者の色が見えます。真っ直ぐな目ですね。美しい。ですが、逆に危うい」


「今後は努力して隠してみるよ」


 オリビアが遠回しに、「あなたは心の声が顔に出やすいですよ」と教えてくれた。


 言われなくてもそんなこと知っている。だが、生まれながらの性分だ。そう簡単には直せない。


「ふふ。ではでは、ベアトリス様の質問にお答えしましょう」


 オリビアは語る。王国の現状を。


「まず、あなた様の予想通りに勇者は生まれていません。この世界に誕生したのは、今のところ魔王のみです。——いえ、この情報は正しくありませんね。確信したかぎり、帝国と皇国には勇者が生まれたらしいですよ」


「大事件だな、おい。どうするんだ?」


「そこで先ほどの話に戻るわけです」


「勇者になれってやつか」


「そこまでは言ってません。ただ、我々には必要なんです。人類を導くことのできる希望が。魔王を倒すための勇者が」


 やや真面目な声色に、ベアトリスは茶化す気にもなれなかった。


 オリビアが言いたいことはわかる。ベアトリスもまた、魔王が生まれたなら未来に不安を抱く。


 そこに、王国の勇者不在ときたら、その不安はよりいっそう大きくなる。


 だが、たしか、とベアトリスは思い出した。




「——ん? たしか王国にも勇者が生まれたって話を聞いたような……つか、最近やたら偉そうな男を見たような……」


「はい。国王陛下が選んだ男性ですね。聖属性魔法スキルを持っている若い男性だったので、正式な勇者に選ばれました」


「ならそいつで間に合ってるだろ。どうしてあんたは別の人間を選ぼうとしてるんだ」


「あはは……実はその勇者様が、各所で問題を起こしてまして……」


「あー……」


 即行でベアトリスは納得した。簡単にその様子が想像できる。


 あの性格だ、そりゃあ他人と揉めるだろう。少ししか見ていないベアトリスでもそれがわかった。


「ですので、これ以上王国側の不利益になる前に……ベアトリス様に勇者になってもらいたいのです」


 にんまりと笑って彼女は最初の提案に戻る。


 当然、ベアトリスの答えもまた同じだった。




「絶対に嫌だね」




———————————

あとがき。


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