第179話 俺は勇者
「ぐ……くぅっ!」
地面を叩いて自称・勇者の男性が呻き声をあげた。
周りでは、住民たちが騒動を起こした彼を遠巻きに見ている。
だが、本人はそんな視線に気付かない。それより何より、マーリン達への恨みが勝っていた。
「あの男……! 勇者である俺にあんな態度を取りやがって……!」
ギリリ、と奥歯を噛み締める。
「あの女もあの女だ! 勇者に媚びておけばいいものを、どうして反撃なんかしてくるんだ! 俺は勇者に選ばれたっていうのに……!」
自称・勇者は、貧しい家に生まれた奇跡の男児だった。
神様から与えられたとしか思えぬ聖属性魔法スキルを持ち、治療によって教会で研鑽を積み、誰かの役に立ってきた。
お金を稼ぎ、家族を養ってきたが……その家族も病気で他界した。
こればっかりは、自分のスキルレベルでは解決できない問題だった。
当時、最高位の神官——枢機卿の助力を請うための金もなく、懇願したがすげなくあしらわれた彼は、家族の死にそれほど不満や怒りは抱かなかった。
ただただ、自分がひとりになったという現実のみを受け入れた。
人は死ぬ。それはしょうがないことだ。
家族を助けてくれなかったからと神殿関係者を恨んだのもごくごく数日。
もう自分が苦労しなくても済むのだと思ったとき、むしろ彼の肩の荷は下りた。
それからはもう、自分のために生きると決めた。
教会を辞め、フリーの医者として過ごす日々はほどほどに幸せだった。
ある程度金は入ってくるため、それなりに満ち足りていた。
歯車が狂ったのは……再び教会関係者たちと顔を合わせたときだ。
彼は、勇者に選ばれた。
他に適任がおらず、若い男性という条件にも当てはまっていた。
例えそれが、ただの名前だけの勇者であろうと。政治的な意味しかない存在であろうと、彼はよかった。
勇者になったことでさらに人生が豊かになる。
誰もそばにいなかった勇者が、次第にそれに依存し、傲慢になるのはしょうがないことではあった。
タイミング悪く教会に聖属性魔法スキルを持つ男性がいなかったせいで。
マーリンが勇者という大任を拒否したせいで。
王国に勇者が生まれなかったせいで。
彼の人生は狂い始める。
自分をかつて親なし、貧乏人だと馬鹿にした連中を見返すときがきた。
気付いたらワガママになっていた。すべてを叶えてもらった。
何もかもが手に入ると勘違いして……手痛いしっぺ返しを喰らう。
「俺は勇者……俺は……」
握り締めた手が白く染まる。
もう痛みは消えた。立ち上がり、駆け寄ってきたシスターの手を振り払う。
「ゆ、勇者様……」
「触るな。俺は平気だ。もう行く」
それだけ伝えて勇者は踵を返す。
その顔には、鬼のような怒りが刻まれていた。
「これで終わると思うなよ……! 必ずあの男も、あの女も、俺を馬鹿にしたことを後悔させてやる! 俺は勇者になったんだ……俺だけが、偉いんだ……」
かつて抱いていたはずの気持ちは消え去り、徐々に、心に黒いモヤが現れる。
▼△▼
波乱万丈なデートが終わる。
急遽、国王陛下に質問したいことがあるから、と言ってアウリエルが王宮へ向かったため、僕たちも屋敷へと戻ってきた。
「今日は災難でしたね、マーリン様」
「そんなことないさ。むしろ、エアリーたちのほうが災難だろう? 変な奴に絡まれて」
「いえいえ。アウリエル殿下が守ってくださったので問題ありません」
「変な奴……ですか?」
リビングでエアリー、ソフィアの二人と話していると、きぃ、という音を立ててノイズとカメリアが入ってくる。
ノイズはビースト種特有の優れた五感で僕の話を聞き取っていたらしい。首を傾げて訊ねる。
「やあノイズ。さっき面白い人と会ってね」
「面白い人?」
「そ。勇者だってさ」
「勇者……って、あれ? たしか勇者の情報は出ていなかったはずでは?」
カメリアが疑問に気付く。
僕はこくりと頷いた。
「その通り。国王陛下に指名されたなんちゃって勇者様だったよ」
「え!? こ、国王陛下が個人を勇者認定したんですか?」
「しょうがないさ。たぶん、政治的な問題じゃないかな?」
「政治……ノイズは詳しくないのです」
「簡単だよ。もし他の国に勇者が生まれていたとしたら……王国だけ勇者がいないのは不利になる。魔王を倒したあとでかなり不利にね」
「あー……そういう感じですか」
さすがにこれだけ話を噛み砕けばノイズも理解した。
とりあえずヤバいってことくらいしか僕もわからないけどね。
魔王討伐後や、魔王を討伐する過程でどれくらい冷遇されるのか……それによる。
「とりあえず今は、アウリエルが陛下に確認を取るから、正式に認められるのはそれからかな? 一応、もう正式な勇者っぽいけどね」
果たしてアウリエルはあの勇者を本当に蹴落とすのか。それともしょうがないことだと認めるのか。
それは、明日にならないとわからない。
僕としては……別に誰が勇者でもいいけどね。ちゃんとしてくれるなら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます