第89話 ラッキースケベ

 僕の生活に、日常に、アウリエルという人物が加わった。


 彼女は王国の第四王女。つまりは王族だ。平民である僕とは生まれや格からして違う。


 だが、身分の差などアウリエルの前では無意味だった。


 薄い壁を隔てて分かれているはずの関係に、彼女は平気でヒビを入れてくる。


 僕との同衾だって、本来は王族の彼女が拒否を示すはずだと思っていたのに、むしろノリノリだった。


 護衛の騎士が泊まっている部屋を遠ざけてでも、僕とそういう行為がしたいと言った。


 どこまで本気なのかはわからないが、非常に恐ろしい人物である。




 そして、恐怖の初日が終わる。


 初日は平凡に時間が過ぎた。二人で一階の食堂でご飯を食べて、お風呂に入って寝る。


 本当にそれだけだった。


 合間合間に他愛ない会話を広げはしたが、特別なにかが起こったわけではない。


 アウリエルは偉ぶらないから、一緒に生活してても肩肘張ることがない。


 食事も質素だろうと問題ないし、浴室の広さにも文句を言わず、ベッドでは抱き付いてくる始末。


 彼女が寝る前になんて言ったと思う?


『二人で寝るにはギリギリですね。ふふ。落ちないように密着しないといけません』


 だってさ。


 おかげで寝付くのにだいぶ時間がかかった。


 隣で「ハァハァ」うるさかったし。


 それでも普通に意識を落とすことができたのは、人間という生物の便利な能力のおかげだろうか。


 それとも僕という個人が、意外にも肝が据わってるかのどちらかだろう。




 ▼




 そんなこんなで朝がやってくる。


 瞼を開けると、カーテン越しにわずかに透過する陽光が部屋を照らしていた。


 寝ぼけた頭で視線を斜め上に動かすと、飾ってあった時計の針は、午前七時ごろを差していた。


 重い体を持ち上げて起き上がると、大きな欠伸が出る。


「ふぁ~……とりあえず、眠気覚ましに風呂でも入るか」


 この宿は、女将さんとカメリアがかなりの風呂好きということもあって、早朝から風呂に入れる。


 そもそもこの異世界では、別段お湯というのは高価ではない。


 現代日本に比べるとかなり文明や科学力は劣るが、発展してる部分もちゃんとある。


 おかげで、安宿であろうと風呂に入れるのだから便利だ。




 ベッドから降りて、再び欠伸を噛み殺しながら部屋を出る。


 直前までアウリエルはすやすやと眠っていた。


 その横顔に笑みのようなものが見えたのは、気のせいだろうか?


 いい夢でも見ているのかな。




 ▼




 一階でカメリアとすれ違い、挨拶を交わして脱衣所へやってくる。


 早朝の脱衣所にはだれもいなかった。


 この宿の風呂場が賑わうのは、基本的に夕方以降だ。


 ゆえに早朝は以外な穴場だったりする。




 服を脱いで脱衣所から浴室へ。


 すでに湯は張ってある。


 モクモクと生暖かい蒸気が頬を撫でた。


 近くに置いてある桶で、流し専用のお湯を掬うと、勢いよく自分の体にぶっ掛けて汚れを落とす。


「これでシャワーがあれば完璧なのになぁ」


 なんて愚痴を零しながらも、石鹸で髪を洗う。


 途中、ガチャリと脱衣所の扉が開く音が聞こえた。


 珍しい。だれか来たのかな?


 そう思ってちらりと横目で来訪者を確認すると、——目玉が飛び出るくらいの衝撃に襲われた。


 僕の真横に、がいた。


 の。


「あ、あ、アウリエル!? なんで男湯にアウリエルが……!」


「カメリアさんに頼んで貸切にしてもらいました。すべてはお金が解決してくれるのです」


 動揺する僕とは裏腹に、アウリエルはまったく動じていない。


 いつもの優しそうな笑顔を浮かべて、隣に腰を下ろした。


 彼女、タオルすら巻いてないぞ!?


「な、なな、なんで……」


「もちろん、マーリン様と一緒にお風呂に入りたかったからです。わたくしも早朝の水浴びやお風呂は好きなので」


「まずいでしょ!? バレたら極刑ものなんだけど!?」


「ここにはわたくししかいません。カメリアさんも話すとは思えません。それに、バレたらバレたで、マーリン様を婚約者にすれば、すべて解決します!」


「解決しないよ!? なんて恐ろしいことを……」


 百歩譲って婚約者になったとしても、一緒にお風呂に入るのはおかしいと思います。


 ていうか、どちらに転んでも自分の利になる作戦とは……アウリエル、こやつ天才か?


 本当はお湯に浸かってのんびりじっくりと温まりたかったが、そんなこと言ってる場合じゃなくなった。


 急いで桶の中にお湯を入れて頭にぶっかけると、汚れと石鹸の泡を落として立ち上がる。


「残念だけど、そういうことなら僕は先にあがるね! 貸切なんだし、アウリエルは存分に楽しむといいよ! じゃ!」


 早口でまくし立てて浴室から出ようと歩き出す。


 その瞬間、腕を掴まれて動きを止められた。


「ま、待ってください! マーリン様にお話が——っ!?」


 いきなり腕を掴むものだから、引っ張られて足が滑る。


 アウリエルのほうへ倒れると、驚愕を浮かべた彼女と視線が交差する。


 そして、互いにぶつかって倒れた。

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