第35話 遭遇

「ゴブリン……!」


 僕の背後でソフィアが相手の名前を漏らす。


 立ち止まった僕の隣から、エアリーが顔を出した。


「最初の相手はゴブリンですか。運がいいですね」


 そう言うと彼女は腰に下げていた鞘から剣を抜く。


 剣身がやたら細長い武器だ。まるでアイスピックを伸ばしたかのような鋭さを持つ。


 僕の前世の記憶によると、あれは細剣レイピアと呼ばれる武器。


 斬るのではなく、刺し貫くためのものだ。急所を重点的に狙うというコンセプトは、腕力の劣る女性に見合った武器とも言える。


 あれがエアリーの武器か。


「援護は必要かい?」


「いえ。ゴブリン程度なら一人でも倒せるかと。……まあ、油断はダメですけどね。なにかあったらお願いします」


「了解。頑張ってね、エアリー」


「無理しないでね、お姉ちゃん」


 僕の後ろでソフィアが心配そうに姉を見る。


 エアリーはくすりと笑ってから彼女の頭を撫でた。


「まずいと思ったらすぐに退くわ。安心して」


 それだけ言って彼女は前に出る。


 切っ先をゴブリンを向けると、腰を低くして構えた。


 ゴブリンのほうも棍棒を片手に走り出す。


 知能が低いのか、ゴブリンは何の戸惑いもなくこちらへやってきた。


 棍棒を振り上げ、下卑た笑みを浮かべる。


 そこへ、エアリーの一撃が放たれた。


 きらりと光るレイピアの切っ先。


 銀閃が真っ直ぐゴブリンの眉間を捉えた。ノーガードで敵の頭部を貫く。


 一瞬である。


 ゴブリンは衝撃を受けて足を止めると、そのまま二度と動くことはなかった。


 ひえっ。


 たまらず僕は顔を青くする。


 いくら相手が人類の敵である魔物だとしても、あんな風に何の躊躇もなく殺すなんて……。


 さすが元・冒険者。


 ほとんど一般人と変わらぬ僕より迅速で的確だ。


 即死したゴブリンの頭部から剣をひき抜く。


 血を払った彼女は、笑顔でこちらを向いた。


「お待たせしました、マーリン様、ソフィア。ゴブリンくらい楽勝ですね!」


「……み、みたいだね」


「すごいお姉ちゃん! そんなに強かったんだね!」


 苦笑する僕。片や妹のソフィアは、倒れるゴブリンを見ても笑みを浮かべていた。


 これがこの世界での普通。


 平穏な日本で生きていた僕とは違う価値観に、わずかな恐怖を抱いた。


 けど、この環境にすぐに慣れないといけない。油断し、恐怖なんて抱いたら……。


 いつか僕もこのゴブリンと同じ運命を辿るかも知れない。


 そうでなくても、誰かを危険に巻き込むかもしれない。


 早く、適応しなきゃいけないな。


「ふふーん。少しはお姉ちゃんのことを見直してくれたかな? 一応、お姉ちゃんだって戦えるんだよ!」


「うん。お姉ちゃんはすごい。いまも昔はそれは変わらないね」


「えへへ。ありがとう、ソフィア。ソフィアのためならお姉ちゃんはドラゴンだって倒せるよ~」


「えー!? さすがにドラゴンは無理だよぉ……」


 微笑ましい姉妹の会話に、思考を切り替える。


「この辺りにはドラゴンも生息しているの?」


「え? いや、まさか。冗談ですよ冗談。さすがにドラゴンが人里近くに住んでいる、という話は聞きませんね。ごくごく、ごくごくたまに襲われることもあるようですが」


「へぇ……」


 いるんだ、マジでドラゴンがこの世界に。


 なるべくそんなあからさまに強そうな魔物とは戦いたくないなあ……。


 いざとなったら二人を連れて逃げよう。




 ——そう思った。そのとき。




 不意に、僕たちの聴覚が音を捉える。


 金属のぶつかる音。


 人の叫び声。


 明確な、戦闘音を。


「今のは……」


「近いですね。誰かが魔物と戦っているのかもしれません」


「ど、どうする? 関わって邪魔になるとまずいよ?」


「そうね。冒険者同士が外で揉めることは決して少なくない。多くもないけど、関わらないに越したことはないわ。ここは一旦離れましょうか、マーリン様」


「そうだね。じゃあ……」


 言いかけて、さらに聴覚が音を掴む。


 人の気配が。叫び声が。剣の音が。


 どんどん近付いてくる。


 話し合い、離れる間もなく前方から複数の男女が姿を見せた。


 木々の隙間を縫い、苦しそうに走ってくる。


 お互いの視線が交差した。


「——なっ!? ぼ、冒険者か!?」


 先頭の男が、一人の女性を担いで狼狽える。


 僕らが答える前に叫んだ。




「逃げろ! 早く逃げろ、お前ら! 後ろから……ハブールが来るぞ!」


 叫びとともに、茂みをかきわけて三匹の大蜘蛛が現れた。


 赤い瞳をこちらにまで向ける巨大なバケモノを見て、僕らも状況が最悪なことに気付く。

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