第27話 姉

 ノイズが加わったデートは、つつがなく進行していった。


 特に騒動に巻き込まれることもなく、時刻は夕方。空をオレンジ色の光が照らしている。


「もうこんな時間か……。楽しい時間っていうのは、あっという間に過ぎるものだね」


「そのとおりですね。私にとっては慣れた町並みでも、マーリン様と一緒に歩くと違って見えました。すごく、楽しかったです!」


 満面の笑みを浮かべてソフィアがそう言ってくれた。


 ノイズもそれにこくこくと頷く。


「ノイズも楽しかったです! いつも一人でしたから、こういう賑やかな雰囲気も悪くありませんっ。露店でたくさん食べられましたし!」


「ノイズは普通に食べすぎだと思う……」


 この子、ありえないくらい食べてたよ。僕やソフィアの二倍や三倍なんて生易しいレベルじゃない。五倍とか六倍とか。


 しかもそれでも胃袋は満たされていなかったようで、続けて肉やパン類を食べたあたりでこちらのほうが気持ち悪くなった。


 ちなみに全部ボクの奢りだ。


 ノイズは戦闘の邪魔になるアクセサリーを拒んだ。だから、その代わりにね。


 まあ、アクセサリーが可愛く見えるほど食べられたけど……。


「あうぅ……ごめんなさい。ノイズは食べ過ぎましたか? マーリンさんにご迷惑をおかけしましたか?」


 しゅん、とノイズの耳が垂れる。


「……お金のほうは大丈夫だよ。これでも多少は持ってるからね。ただ、心配なのはノイズのお腹だよ。明らかに体の体積より食べてたよね……? 大丈夫? 苦しくない?」


「それなら平気です! ノイズたちビーストは胃袋も丈夫なので! 毒物だって食べられます! お腹は壊しますが」


「ダメじゃん」


 ぜんぜん耐えられてない。


 それとも今のはビーストジョーク?


 致死性の毒物を食べても平気だよっていう。だとしたら普通に怖い。


「まあ、ノイズが平気ならそれでいいんだ。でも、そろそろ夜になるから解散にしようか。ソフィア、家まで送るよ」


「——え? い、いいんですか?」


「うん。こんな時間まで連れまわしたのは僕だからね。それくらいはさせてほしいかな」


「そ、そんな……こんな高価なアクセサリーまで買ってもらって、さすがにそこまでお世話になるには……」


「まあまあ。僕がソフィアが心配で送りたいだけなんだ。ノイズもよかったら一緒にどうかな? 君の宿まで送るよ?」


 そう言ってちらりとノイズを見る。


 彼女は首を左右に振った。


「ノイズは一人でも平気です。少しだけ眠くなってきたので、ノイズは先に帰りますね。マーリンさん、ソフィアさん、また!」


 言うや早いや、ノイズは脱兎のごとく走り去った。


 食べたらすぐ眠くなる。


 ビースト種はやっぱり動物っぽかった。


「行っちゃいましたね……」


 ノイズの行動の早さに、思わずソフィアは目が点になる。


「ふふ、そうだね。じゃあ、残念だけどソフィアを送るのは僕だけの仕事かな? 送り狼にならないといいけど」


「——! そんな……でも……マーリン様なら……」


「あれ? 顔が赤いよソフィア。もしかして……」


 ずいっと、彼女の顔に自らの顔を近づける。


 にこりと笑って小声で囁いた。


「期待……しちゃった?」


「~~~~~~!!」


 トマトみたいに顔を真っ赤にして、ソフィアがポカポカと僕を叩く。


「あはは、ごめんごめん。冗談だよ冗談。からかってごめんね、ソフィア」


「も、もう! もうもう! マーリン様はたまに意地悪です! 誰にでもそんな風なんですか!?」


「えー? そんなことないよ~? 僕とここまで親しいのは、ソフィアだけさ。ソフィアは特別だよ?」


「~~~~~! だ、から……!」


 またしても、僕の口撃を喰らってソフィアの顔が赤くなる。


 そろそろ終わりにしないと、本気で嫌われてしまいそうだ。


 拳を振り上げるソフィアから逃げつつ、何度も繰り返し謝る。


 ソフィアの体力が底を尽きたところで、なんとかささやかな喧嘩は幕を閉じた。


 切り替えて彼女を家まで送る。




 ▼




 ソフィアの自宅は、主に平民や貧民か暮らすという東区画にあるらしい。


 南の通りを真っ直ぐ北に突っ切り、中央広場を向かって右——東側に曲がる。


 先ほどまでの賑やかな商業区画とは異なり、東の居住区画はほどほどに静かだった。


 夕方ということもあって、多くの住民が僕たちとは逆方向に歩いていく。


 これから買い物かな?


「ソフィアの家はどの辺りにあるの? 遠い?」


 なんとなくやや前方を歩くソフィアへ声をかけた。


「えっと……壁の近くなので少しだけ遠いですね。すみません、ご足労をおかけして」


「いいってば。僕が送りたくてソフィアを送るんだ。ソフィア姫は大人しく送られてね?」


「ッ……ありがとう、ございます」


 ソフィアもだんだん僕の軽口に慣れてきた。


 最初はあんなにも動揺していたのに、今ではグッと感情を堪えることができる。


 寂しいような、それはそれで面白いような。


 ……いかんいかん。からかいすぎると嫌われる。程よい距離感を掴もう。


 しばし無言の沈黙が流れ、二人の靴音だけがわずかに聞こえた。


 ものの十五分ほどでソフィアの自宅に到着する。


 ソフィアが言ったとおり、彼女の家は壁のすぐそばだった。ここから冒険者ギルドまで行き来するのは大変だろう。


 それでも引っ越さないのは、家賃が安いのかな?




「ただいま、お姉ちゃん」


 鍵を開けて中に入る。


 お茶だけでも飲んでいってください、と言われたので僕も入る。


 いよいよもって送り狼みたいな展開になってきたが、ソフィアの家にはもうひとり家族がいた。


 恩人を紹介したいと言われ、彼女に続いて奥の部屋に入る。


 するとそこには、ベッドに横になったひとりの女性がいた。


 ソフィアによく似た顔立ちの女性が。


「そ、ふぃあ……? おか、えり……」


 か細い声が聞こえる。


 なんて力のない声だ。非常に弱っているのがよくわかる。


「うん、ただいまお姉ちゃん。今日はね、私の恩人を連れてきたよ? マーリン様」


「こんにちは、ソフィアのお姉さん。僕はマーリン。縁があって妹さんにはお世話になっています」


「…………」


 ジッと、なにかを図るように彼女は僕の顔を見つめる。


 首を傾げる僕に、しかし彼女は一言、


「よろ……く、がい……す」


 とたどたどしい言葉を呟いた。


 恐らく、「よろしくお願いします」と言ったのだろう。


 にこりと笑う。


「マーリン様はね……って、いけない。お茶を出すって言ったのにここで話をはじめたらダメだわ! ごめんなさい、マーリン様。急いで準備をしますね。リビングのほうへ移動しましょう」


「ゆっくりでいいよ。……では、また」


 ぺこりと頭を下げてソフィアの姉と別れた。


 リビングに移動すると、急いでソフィアがお茶を淹れてくれる。


 温かな液体を喉に通すと、今日一日の疲労も同時に流された。


 ホッと一息をつく。


「それにしても、ソフィアのお姉さんは大丈夫なの? なんだかすごく体調が悪そうに見えたけど……」


「あ……実は、姉は病気に罹ってまして……」


「病気? その病気は、治せないの?」


「王都の神官様に見せれば恐らくは。ですが、王都に行く金も治療費も私たちには……」


「……そっか」


 旅費に治療費。魔法があるこの世界でも、それらは高額だったりするのだろう。


 孤児だというソフィアには、それを払う手段がない。


 なんとかしてあげたいな。


 かと言ってお金を出したところで彼女が受け取るかどうか……。


 僕が彼女の姉の病を治せればいいんだけどね。




 ……うん? なにか、頭の片隅に引っかかるような……。


 僕が答えを見つけるより先に、目の前に半透明のウインドウが表示された。




『聖属性魔法スキルがあれば、病の治療も可能です』

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