第22話 私の神様

 ソフィアの人生は地獄だった。


 しかし、始めから地獄だったわけじゃない。


 数年ほど前までは両親がいて、元気な姉がいて幸せだった。


 明確に彼女の人生が地獄に変わったのは、恐らく両親がいなくなってからだろう。


 ——捨てられた。


 それを理解するのに、当時のソフィアはたっぷりと一週間ほどかかった。


 徐々に喧嘩するようになった両親を見て、うすうす危機感を抱いてたソフィアとその姉は、ある日、家に帰らなくなった両親が自分たちを捨てたのだと理解した。


 そこからは忙しい日々を送る。


 まず真っ先に考えなくてはいけないのは、自分たちの寝床の確保。


 幸いにも家は東区のずっとずっと端にあるボロ屋で、建物の利用料自体はさほど高くもなかった。けれど、幼い子供たちに払える金額でもない。


 そこで姉エアリーがソフィアの頭を撫でながら言った。


「心配しないでソフィア。あなたは私が守る。お姉ちゃんが冒険者になってお金を稼いでくるから、お家で大人しく待っててね」


 それだけ言うと姉エアリーは、父が過去に使っていた装備を引っ張り出して外へ出ていった。


 引退した父の装備などオンボロで頼りなかったが、姉エアリーには才能があった。冒険者として多少の金銭を稼ぐくらいの才能が。


 エアリーのおかげで、ソフィアたちは家を追い出されずに済んだ。


 毎日の食費もエアリーが稼ぐ依頼の報酬などで十分に賄えた。


 ギリギリの生活ではあったが、二人のあいだにはたしかな幸せがあった。




 しかし、それも長くは続かない。


 ソフィアが十二歳の頃のこと。


 姉エアリーが重い病気を患った。


 それは、セニヨンの街にいる神官でも簡単には治せない類の病だった。


 しかも命に関わる病気。


 本来、病を治すにはかなり高レベルの≪聖属性魔法≫スキルを持つ者でないと不可能だ。それだけ希少なスキルを使ってもらえるようなお金も人脈もない。


 ずっと北へいった先にあるという王都にならば、高位のスキルを持つ神官もいるだろうが、そこまで行く旅費もなければ姉の体力ももたない。


 結果的に、姉エアリーはそれからずっとベッドの上で過ごすようになった。


 数日のあいだに食欲も失せてだいぶ衰えてしまった姉は、そばで心配そうに彼女を見つめるソフィアの頭を撫でながら呟く。


「ごめんね……ごめんなさい。私が、ソフィアを守らないといけないのに……」


 その言葉を聞いて、逆にソフィアはあることを決意する。


 これまでの記憶を振り返り、無力な自分を殺した。恨み、血が出そうなほど責めた。


 申し訳なさと自らの怠慢に涙を流し、ソフィアは必死にボロボロの顔に笑みを刻んで姉の手を握り締める。そして告げた。


「ううん……! ううん! 大丈夫。大丈夫だよ、お姉ちゃん……! あとは私に任せて。今度は私が……必ずお姉ちゃんを守ってみせる! 助けてみせる!!」


 立ち上がり、姉エアリーの制止を無視して彼女は家を飛び出した。向かう場所など決まってる。


 冒険者ギルドだ。


 すでに冒険者になれる年齢に達したソフィアは、迷うことなく危険な道を選んだ。


 もちろん彼女に戦う勇気などないが、他にも金を稼ぐ手段があることを知っていた。


 すぐに町の外へ出て薬草採取に精を出す。


 姉エアリーが戦闘もできたことを考えると、ソフィアは脆弱で戦闘などとてもできなかったが、姉エアリー以上の薬草への知識があった。


 それは後に、《薬草学》というスキルに関係していたことを知り、彼女は生活費と延命のための薬を買うべく朝から夕方までずっと危険を冒しながらも働いた。


 当然、薬草を売っただけでは稼ぎが足りない。姉エアリーがそうであったように、薬草を売ったあとは町での皿洗いや接客、掃除などを引き受けてお金を稼いだ。


 小さな子供ゆえに体力こそあったが、そんな生活が永遠に続くはずがない。徐々にソフィアの精神を疲労とストレスが支配していく。


 なぜ自分がこんな苦しい目に遭わないといけないのか。なにも悪いことはしていないのに、と考えることが増えた。


 それでもソフィアが諦めなかったのは、誰よりも好きな姉がいたから。


 死にたくなるほど辛い日々も、姉が生きていてくれるだけで笑えた。頑張れた。


 けれど、町中での仕事はともかく、外での薬草採取は危険がつきものだ。


 十分に安全な場所で採取を続けても、いずれは問題にかち合う。むしろ、積極的に外へ出ていなかったとしても、三年間ずっと無事だったのが奇跡だと言える。


 するりするりと怪我をしながらも生き抜いたソフィアは、しかしとうとう死神の手に掴まってしまった。


 ここ数年間で町の周囲に自生していた豊富な薬草は減少し、そのため森の奥へ進み薬草を採るしかなかった彼女は、そこで人生で数回ほどしか見たことのない魔物と遭遇する。


 これまで、見つけることはあっても遠方だったことに対して、その日はほぼほぼ目の前に鉢合わせてしまった。


 疲労のせいか集中力が下がっていたのか、とにかく彼女はピンチに陥る。




 だが、この出来事はのちに運命の出会いへと繋がる。




 たまたま近くにいたマーリンに助けられた彼女は、マーリンの協力によりこれまでに経験したことのない量の薬草を採取し、多額の報酬を受け取った。


 これならしばらくは外へ行かなくても平気だな、と何度も何度もマーリンに感謝しながら自宅へ帰る。


 ベッドに寝たきりで最近は口数もめっきり減った姉エアリーに、ソフィアは元気よく語る。


 自分を助けてくれた神様の話を。




「あのね、お姉ちゃん。今日は…………」

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